「ピカソの陶器」

仕事場近くの老舗古書店店頭には、1冊100円の文庫とともに
美術展カタログが300円ほどで並んでいる。
若い世代は本を読まなくなったと言われているが、
ここでも古書を漁っているのはミドル以上の人ばかり。
店も最近は、高く売れそうな本はネット販売に出したがるので、
店自体の魅力も落ちている。
そんなある日、ピカソの函入りの豪華作品集、
「ピカソの陶器」がわずか300円で並んでいた。
先日TVで「私の履歴書」に出演していたニトリの社長が
自宅で話しているその肩越しに、ピカソの女性を形どった陶器が
棚の中で見え隠れしていた。
陳列の仕方はあまり趣味良くは見えなかったけれど、
意外な大きさと造形の面白さが印象に残って、「欲しいなぁ」と思ったりした。
本自体はずいぶん重いし場所もとるので、
高ければまず買わない本だけれど、安さに魅かれてこれを購入。
持ち帰って開いてみれば、これは素晴らしいピカソの陶芸作品の数々。
ピカソ晩年の7年余りを陶芸制作に没頭した頃の膨大な作品が収められている。
絵画はもちろん、彫刻にも革新的な作品を残したピカソは
陶芸でも素晴らしく自由な造形を試みている。

その頃、同じく晩年にあった日本の北大路魯山人が
欧州旅行の途次、ピカソを訪ねている。
パリでは、今でいう三ツ星クラスの家鴨料理で有名なレストランにて
看板料理を食したが、翁の口には合わなかったようである。
再度火の通し具合など細かく指示して出させ、
日本より持ち込んだ醤油と粉わさびでやっと満足した。
ピカソを訪ねたのも画家が最近陶芸を始めたと聞いたからで
そこでもやはり器は気にくわなかったようだ。
陶器にはピカソの原色の絵付けが施され、彫刻のような造形が試みらている。
作品としては度胆を抜く面白さがあるものの、
魯山人にはあのような「料理の造形」を殺す皿など
悪趣味以外の何物でもないと映ったのだろう。
著書に掲載されたピカソとの記念写真には、ピカソのいつもの笑顔とは対照的に
全くつまらなさそうな翁の苦々しい表情がおかしい。

ピカソは陶器に絵付けと彫刻的な造形の両方の面白さを発見したのだろう。
あまりの自由さに見ている方が笑顔さえ出てくる。
スタンダードなフォルムの壺をぐっとひねるとまさに「鳩」そのものになり、
水差しの絵付けには壺の絵を描いたりしている。
丼に茶碗の絵を描くようなものだ。
いくつもの幾何学的な器をくっつけてできた抽象彫刻のようなフォルムは
女性になったり動物になったりする。
絵付けされた皿と思いきや、皿に乗った目玉焼きやフォークや魚は
粘土で作られたものだったりする。
ピカソの造形の自由さを堪能できる楽しい一冊だけれど、
訳がひどいのか元の文章が悪いのか、テキストはひどくて読めたものではない。

ピカソの陶器
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多摩川春の色
(ガッシュ)

約二ヶ月ぶりにやってきた多摩川河川敷の風景は一変していた。
すでに桜は終わっていて、枯れ枝のシールドには若葉がつき、
河原は雪が降り積もったように一面白い花に覆われていた。
これはハマダイコンの花で、近づくと白より紫の部分が多い花だとわかる。
さらに花に触れると花粉がパステルのように付き、
うっかりすると衣服が黄色の斑点になっていたりする。
ダイコンといえば気になる根の部分は、売られている大根よりは細いものの、
食用にできるというから一度試してみよう。

二子玉川までさかのぼると、花は白から黄色に変わる(昨年はそうだった)。
春の河原に咲く黄色い花は菜の花だと思いがちだけれど、
多摩川に自生する多くはセイヨウカラシナだそうだ。
セイヨウカラシナは菜の花より茎が細くて花も隙間を持って咲く、
というのが見分けるポイントらしい。
「らしい」というのはネットで調べたからで、
私は花の名前に疎くてレンゲやタンポポくらいしか知らない。
樹木の名前も知りたいとは思うものの、図鑑やネットの写真を見ても判別ができず、
いつもわからないままだ。
この絵の真ん中に見えているのは、多摩川の河川敷でよく見るシダレヤナギのようだ。

多摩川はひんぱんに河川敷の工事が行われているので、
植生はいろいろ変わってゆくそうだ。
しかしこんなに真っ白に染まった多摩川は印象に残っていないので
昨年より、ハマダイコンの花は増えているのかもしれない。
これがいつか、一面黄色の花に変わってしまうこともあるかもしない。
自然というのは面白く不思議で、しかも理にかなった風景を作り出している。
この日は眠くなるような初夏の日差しの中で、何も考えずに描いた。
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Tag:Landscape Paysage 風景画

夜の桜
(パステルジェッソにパステル)

満開の夜桜を描きたいと思っていた。
花見客や酔っ払いがいなくて、しかも画を描くために手元が見える程度の明るさがあって—
そんな場所が最寄り駅にほど近い神社の参道にあった。
境内は少し高台になった小さな公園があって、
ありがたいことに人は見当たらず、路上生活者がひとり、夢の中。

人のいない夜の桜は、一種荘厳な感じがする。
坂口安吾の「桜の森の満開の下」を二十歳頃に読んだ。
桜の下から人間を消すと、怖ろしい景色になるという。
小説は現代の酔漢あふれる花見風景の随筆風の語りから、
「昔」の山賊の物語へと入ってゆく。
残虐非道を働いてきた山賊の男が一人の女をさらってくる。
女は男の女房に収まると、別人のように傍若無人に振る舞う。
男に強奪した金品ではなく、襲った人間の首をほしがる。
男はそんな奇妙な女に、次第に惹かれてゆくのだった。
女を背負って満開の桜の木の下を男が通りかかったとき、背負った女は鬼に変わっていた。
安吾の絢爛とした語りがこの世のものとは思えない満開の桜の森を想像させ、
二十歳前後の当時、陶然とした記憶がある。

一日中降っていた雨が夜にはやみ、
これがこの春最後の機会と思って出かけたのはすでに夜更け。
街灯が点いているとはいえ、暗い中でとんでもない色を塗っていないか、
心配したほどには違っていなかったようだ。
でも帰宅後フィクサチーフをかけると、微妙な色は沈み、
せっかくとらえた色は消えてしまった。
ベースのパステル地塗り用ジェッソを使うと、とくにそうなる。
再度「明るすぎか」と思うほどやや濃いめにパステルを塗り直す。

都内で見る桜のある風景とは、たいがいが道の両側に並ぶ通り抜けか、
大きな公園でも他の樹木と混ぜて計画的に植えられている。
桜の森とはどんな風景だろうか。
画題になったここの桜は、とうてい安吾の世界にはおよばないけれど、
風に花びらが舞って、スノードームのような趣きがある。
どこかにあるのなら、桜の満開の森を、夜に見てみたいものだと思う。
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東京へ来て、一つ一つ買い足していった、わが家にある電気製品、
トースター、洗濯機、レンジ、電気釜などなど。
なかには道具屋で買った'60〜'70年代のレトロ家電もある。
そしてそれらを見渡すと、T社の製品は新旧織りまぜ、かなりある。
どれも丈夫で長持ち。
ひとくちに1兆円の赤字というけれど、
重さあるかなきかの一万円札をあつめて積んで100トンの重さ。
一秒間に一万円の浪費を続けて3万年かかるという。
原子力好きのアメリカが、なんで米国第一の原発メーカーを売りに出すのか、
それを日本の会社が買った時にはほんとうに不思議に思ったけれど、
おそらくカモられたのだな。
ニッポンはしかし、これからもきっと国ごとカモられるだろうという、
確信めいたものがある。

いっぽう、ニッポンの政治家や公務員の度外れた厚かましさはどうだろう。
見られては困る記録は勝手に捨てるし、
あったことはなかったことにする、コトバはつねに玉虫色。
そのうえで、記憶も記録もないと開きなおるあたり、始末が悪い。
公文書って、あんなに軽いものだったのか。
アフリカでも日本でもその申し開きと扱いは同じだ。
そうやってなお態度の大きい彼らへの支持率は、今もおどろくほど高い。
あきれるだけでたいして怒らない我々はここでもカモだ。

小学校のことはともかく、首相を含む国や地方を実際に動かしているメンメンが
あの戦前を思わせる教育方針については今も小さく、しかし強力に支持、拍手している。
それについてもおおかたの日本人が、たいして驚いていないようだ。
ワイドショーに名前の挙がった面々は皆仲間である。
別の舞台で百条委員会に引っ張り出された元都知事はもちろん、
今人気急上昇の東京都知事も例外ではあるまい。

今、国を動かし、法を替え、法の解釈を変えている主役は誰かと思うとき、
日本はちょっと途方にくれる状態だ。
うちらは無用、と断っても、包装紙を変え、見た目を変えての押し売り、掛売り。
ペラっと貼られた⦅安全⦆マークは「開き直ったメンメンが保証」という、
これは笑えないことになっている。
どうやらまた、かなり危ないものを買わされることになる。
先の醜聞は、証人が言ったようにトカゲの尻尾になって、
いっときのネタで終わりそうな気配である。
それでもフラストレーションがたまらない寛容というか、無関心が彼らを支えている。
国会で彼らが笑っているのを見た。
北風がふきすざぶ今年の春だ。
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ナスと皮をむいたタマネギ
(水彩にパステル)

一シーズンに一度、モーレツな花粉症発症の日がやってくる。
薬を飲んでいてもまったく効かない、アレルギー持ち受難の日。
この週末、鼻が破けるかと思った。
3月唯一の連休は部屋にこもってビデオと静物に向かう日々。

カレーの支度。
小さなテーブル、というか台に野菜を並べる。
狭くてにんじんが乗らない。
外皮をむいたタマネギの素肌のさわやかさ、鮮やかさ。
ナスの深い紫はそこだけ夜である。

大きな大きなナスのたとえがあった。
「暗闇にナスのへたが付いていました」
小話だったのか、ジョークだったのか、そのひと言の部分だけ、記憶に残っている。
人間の想像力の地平だと感心した。
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先週末突然1000近いアクセスが集中したのは
日曜美術館で長谷川利行が取り上げられたからだろう。
以前からGoogleで「長谷川利行」を検索すると、
私が5年前に書いた記事がトップに出てくるようになっていた。
よほど利行に関する記事が少ないのだろう。

番組で長谷川利行が取り上げられたのは1978年以来40年ぶりで
その時の放送を私は見ていない。
78年の放送時には、利行その人を隣で見ていた親友の矢野文夫がゲスト出演している。
私が見てみたかったのはその時の映像だった。
生前の利行については矢野文夫の本が質量とも第一だけれど、
一時共同生活もした手塚一夫と中込忠三氏との交流も興味深く、
以前私もここに紹介したことがある。
中込氏の著書から利行らとの共同生活について触れられたところを、再度紹介したい。
二人は矢野文夫が書いた利行の伝記小説にも登場する。

長谷川利行_東京放浪地図

それほど長くもなかった利行の生涯において晩年にあたる時期に多作を強い、
結果的に数々の傑作とともに利行の名を残す黒子になった画商、
天城俊彦の画廊が新宿にあったことはよく知られている。
画廊が新宿武蔵野館のあたりだとすると、利行がカンヅメにされたドヤ街は目と鼻の先、
今のタイムズスクエア(今聞いてもニセ物っぽい名前)あたりになる。
時代の先端を行くようなタイムズの前に、
つい最近までその名残をとどめる和風旅館があり、営業もしていた。
甲州街道をもう少し下ったところには今も古い旅館街がある。
伊丹十三監督の映画「マルサの女」には、
新宿南口に残っていたその闇市時代のような界隈がチラと出てくる。
坂の上にあった横町を下るU字型の奇妙な階段を、松本竣介が描いている。
私は歌舞伎町に映画を見に行くとき、そこのチケットフナキに寄るのが常だった。

利行がここのドヤ街に住んだのは最晩年にあたるわずか2年ほどのこと。
中込氏の著書によると、手塚一夫は女の横顔を描いた4号大の作品をとても大事にしていて
それは彼が上京した折に泊まった新宿の木賃宿で知り合った画家が描いた作品なのだという。
その放浪画家というのが長谷川利行である。
未払いになっていた絵の代金、残り半分を届けるため、
二人はポンポン蒸気に乗って新宿へ向かった。
残金を渡した後、中込氏と手塚は利行に
当時彼らが住んでいた船堀の家に一緒に住まないかと持ちかける。
その折に見た、木賃宿に置かれた利行所有の品々の描写が興味深い。

新宿南口界隈1992
('92年頃の新宿南口界隈)

「こういうところに住まないと絵が描けないからここに暮らしている。
 親切らしく呼びに来たって行かないぞ!」と一度は拒否したものの、
翌朝には絵箱を手に持って、「さあ行こう」と立ち上がるのだった。
暮れに出会って共同生活を始め、春に(利行が)出て行ったとあるので
共同生活は3ヶ月ほどか。
その間、利行の馴染みらしい年増の裸婦モデルを手塚と二人で描いたり、
川で洗濯したり、というような牧歌的な生活が続いたものの、
最後は利行の酒びたりの生活に嫌気がさした手塚が利行を閉め出したため、
三人の共同生活は終止符を打つ。
ふたりの画家に残された時間は余りに少なかったが、
中込氏はその時、そのことを知る由もない。
にもかかわらず、当時目にした二人の画家とその周辺の描写は驚くほど詳細だ。
登場する人物、あたりの空気感が生き生きとしている。

 「老画家はやがて市の養育院板橋本院で一人その生涯を閉じたと聞く。
 彼の短歌もまた美しい。

 汚れたる 枕の紗綾をとりかえつ
 夜床さびしくひとりねむれる

 死の枕辺にはニイチェの「夜の歌」が置いてあったということである。」
というところで、中込氏の著書「炎の絵」の利行に触れた章は終わっている。

貧しい農家の出だった手塚一夫が描いた一枚の絵を見たことをきっかけに、
彼が亡くなる28歳まで生活一切の面倒を見た中込氏は、
自身の晩年に至るまでそのことについてほとんど語らなかったそうだ。
氏の人となりをうかがえる挿話として、若い日の小学校教師時代のことがある。
成績優秀で人柄も良かったある生徒を級長に推薦したところ、
中国人だということで校長から拒否にあった。
怒った中込氏は、ついに教職を辞職し、以後小学校教諭に戻ることはなかった。
その後さまざまな職につき、のちに中央大学のドイツ語教授として定年まで勤めた。
この人の一生は二人の画家以上に波乱万丈だ。

中込氏の残した文章を多く読むことができたのは、
実は私がここで書いた氏の著書「炎の絵」についてのBlog記事を読まれたご子息が
文献と手塚一夫関連書籍一式を、以前送ってくださったからである。
ここで再度感謝を申し上げます。
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