FC2ブログ
野島崎灯台_2019
(クレヨン)

陽がなくなって描ける時間はもうわずか。
クロッキー帳に水溶性クレヨンで最後に描く。
野島崎灯台が見える場所に移動して大急ぎで描いた。
海岸に連なる赤い岩が、夕日を浴びてさらに赤い。
その赤い岩が陽がなくなって色を失う頃、振り返った西の空を背景に
岩がアルプスのようなシルエットに変わっている。
小さなクロッキー帳を取り出し、
こちらも描いて、GWのスケッチ行は終了した。

野島崎
関連記事
スポンサーサイト
漁師の家
(ガッシュ)

そこから少し離れた小さな入江に、これも小さな船着場がある。
のばした手で波がつかめそうな水際に、漁師屋が建っている。
出たとこ勝負の建て増し建築。
大きな波が来たらすぐに塩水をかぶってしまいそうな、危うい立地だ。
震災後はどうしてもそういうふうに考えてしまう。
ただ、凪いだ晴れた日には、この世の楽園のような風景だ。

「山道は新しい緑のにおいがして
 風が草の間で口笛をふいていた

 漁村の屋根が肩をよせあって光っている」
    (安西水丸「汽車」より)
関連記事
千倉漁港の小屋
(ガッシュ)

長い連休、ほとんど外出もせずに、ただゆっくり過ごした。
何もせずに送る休日というのもとても贅沢なものだとわかった。
ただ、何もしなくとも画だけは描かないと、生きていた感じがしないので、
近所をクレヨンと油彩で描き、
連休も終わりに近い頃、千葉房総の南端、千倉へ写生に出かけた。
故安西水丸さんの足跡を追って一昨年に出かけた漁村への再訪だ。

千倉まで、車で高速を使っても片道100kmちょっと。
朝ゆっくりしたために、千倉に着いたのは昼の二時過ぎだった。
以前訪れた駅前の食堂で昼食をとって、まずは以前描いた千倉漁港へ向かう。
今日は別の場所へイーゼルを立てるつもりがったのだけれど
レトロな漁協建屋を眺めているうち、裏側におもしろい風景を見つけた。
草むら越しに廃屋の小屋が見え、水丸さんの小説「荒れた海辺」の装画に似ている。
ちなみに「荒れた海辺」は、
漫画デビュー作にして畢生の名作「青の時代」の小説版とも言える。
内容も装丁デザインも含め、私は水丸さんの小説でこの本が一番好きだ。
水丸さんの記憶の風景は当然木造の小屋だったはずだけれど、
ここで一枚描くことにした。

荒れた海辺-a

「春の海はまだつめたく
 波はブルースピネルのように青い

 風が吹くと
 色とりどりのセロハン紙が
 海面でめくれていく

 ぼくはこの海で育った」

安西水丸の漫画「青の時代」は、こんな印象的な書き出しで始まる。
関連記事
西日の風景(石川台駅)
(F6、油彩)

先日のクレヨン画を元に油彩で描いてみる。
想像通りに一度仕上がったところで、思い切って塗りつぶした。
そこから色調を再構成してもう一度仕上げる。
水彩とはまた違う、このあたりが油彩のダイナミックなところ。
画を作っていく実感がある。

午後から出かけてみようと思っていたら、にわかに空かき曇り、
冷たい風が西から吹き始めた。
わずかに雨、そしてもう「春雷」とは言えない、雷。
今年初めて積乱雲を見た。
関連記事
東京湾をゆく船-81(クレヨン)

GWに雨が何日も降った記憶はあまりない。
天気が崩れても、日本中で動き出した行楽列車は止まらない。
休みは家に居て、髪でも切りに行こうと思ったら、店が開いていない。
みんな休んでいるなら、やっぱり休むほうがいい。
でも休みの間、相手をしてくれる店がないとそれも困る。
スーパーに喫茶店。
喫茶店は夕方までの時短営業。

午後からまた雨が降ってきた。
久しぶりにキャンバスを取り出した。
この連休中に、油彩を一枚描くことにした。
先日フランス製ジュリアンの中古イーゼルを手に入れた。
長い間物置に眠っていたらしい。
歴史あるメーカーの30年以上は昔のタイプで、
なんと一度も使っていないらしく、少し物置の臭いがする。
ともあれ、二度と巡り会わないだろうと思って購入。
現在のとは少し構造が違っていて、
造りが簡易なところもあるせいか、微妙に小さくて軽い。
細部の作りも古いもののほうがしっかりしている気がする。

古くて新しいイーゼルを立てて、新しいキャンバスをのせた。
オイルを油壺に入れたら、
部屋はペインティングオイルの香りに変わった。
関連記事
池上線(石川台駅)
(クレヨン)

「四月尽」とは、4月最後の日という意味の難しい言葉(季語)。
本棚から引っ張りだした金子兜太さんの、季語を集めた本に出ていたもの。
一年365日すべての日に合わせた美しい季語を綴っている。
今日4月30日はまさに「四月尽」で、この日のためにある言葉だ。

先日、跨線橋の上から描いた石川台駅。
駅に通じる急な坂道を、少し下ったところから描いた。
すでに桜はないけれど、ゆく春とともに、ゆく時代を思う。
1990年代は、それまでの'60、'70、'80と、(もちろんそれ以前も)
あまりに濃い時代が続いたために、当時は「屁のような時代」ともいわれた。
「屁」の時代はまだマシで、そのあとの20年は下りを転げ落ちるような時代になった。

平成は30年、元号が変わるといって、ほんとうに何も感じるところはない。
時代が商機にされすぎているんじゃないだろうかと疑ってかかる。
たぶんそうなのだろう。
バブルの頃、サイフの中には一番お金が入っていなかったようだ。
30年前と今とで、何が変わったろうかと考える。
身近なところで、お茶や水にお金を出して買うなど、それまでありえなかった。
中国が世界で最もお金を持つ国になるとも思わなかった。
変化の落差を考えるとき、スマホの代わりに何を使っていたのかと考えてみる。
たぶん、あの頃ビジネスマンの誰もが持っていた「システム手帳」じゃないかと思う。
「できる社会人はこの一冊」という感じで
高いものはイタリア産の革装幀がされていたり、
今のスマホよりも高価だったけれど、所詮は手帳だ。
ページの編集機能があったり、文房具一式が収納されていたり、
今のスマホを思えば涙ぐましい工夫の数々だ。
自分自身はといえば結婚もしていなかったし、
まだ東京二年生だったのだ。

親しい人や、尊敬する人で亡くなった人の多くは生きていた。
母も生きていて、「いつか」という日があんなに早く来るとは、
いや、そんな予感が少しはあった気がする。
帰省して東京へ戻るとき、「一年に二度会うと、一生にあと何度母の顔を見るか」
そんなことを、見送る母を見るたび思い、
母の姿はそのたびに色が薄くなってゆくような気がした。
所帯を持ったその年に母は不帰の人となった。
その後何が変わったといって、妻が一番変わったんじゃないだろうか。
それはともかく、日本で戦争はなかったものの、たいへんな時代だった。
だからといってそれが終わったわけじゃない。
明日も少しも変わらず続くのだ。
時代のネーミングが今、あらゆるところで商機にされていて、
このいっときのつむじ風が吹き終わるまで、しばらくかかりそうだ。
関連記事

WHAT'S NEW?