「不忍池、弁天島-1」

不忍池、弁天島-1(ジェッソ+パステル、F4)

上野、不忍池には池の真ん中あたりに弁天島があり、
そこには以前にも書いたが長谷川利行の碑がある。
碑の揮毫は彼を終生評価した熊谷守一によるものだ。

夕映えに染まる池の水面にはまだ葉も茂らぬ蓮が群生している。
漂っているのは昨年花を落とした後の残滓であるガクで、まだ無数浮いている。
まもなくその丸い葉が、水面も見えないくらいに池を覆い尽くすはずだ。
この同じ景色の中を利行は一人で、あるいは友人の矢野文夫と毎夜、そぞろ歩いた。

「浅草〜宵の口」

浅草 宵の口(ジェッソ、パステル、F4)
酒はあまり飲めないが、酒を飲む場は嫌いじゃない。
仕事を独立してからは、その飲む機会もぐっと減った。
プライベートで友人と会う機会が少ない上に
ここ数年は飲むための出費がイタイということもある。
しかし本当は、気持ちよく酔えなくなったから、というのが一番の理由だと思う。

年に一度会うか会わないかという研究所時代の友人、
そして小学校からの長いつきあいの映画マニアの友人、
そして東京の老師、
彼らといる時が唯一の例外で、頭が宙を飛び、意識が世界と時代を行き来する。
画と笑いと映画、話題はいつも抽象的だ。

先日、ふたたび浅草に寄る機会があった。
気持ちのいい酒を、こんな店で飲みたいものだ。

「浅草寺写生」浅草は今日も活気にあふれて

夜の浅草寺(パステル、F4)

上野までは年に何度か足を伸ばすものの、
浅草まで行くことは少ない。
すでに完全に観光地化されていて、
花火見物や、開業したスカイツリー見物でもない限り、
都民が観光客がごった返すこの街へ足を伸ばすことは少ないかもしれない。
しかし先週GWの最終日、上野の帰りに久しぶりにちょっと寄ってみたら、
この街は相変わらず驚くほど活気にあふれていて、
やはり一年中お祭り気分が抜けることのない街だと思った。

東京へ着たばかりの頃、やはり転勤で東京勤めになった古い友人と
(当時二人で自主映画を制作するのに使っていた)8mmフイルムカメラを手に
浅草裏町を徘徊した事を思い出す。
林海象監督の映画で見た仁丹塔はまだあったような気もするし、無かったような気もする。
六区の映画館「東京倶楽部」は当時まだ普通に営業していた。
閉園すると聞いていた花やしきが健在だったのを見て、ほっとした気にさせられた。
東京というのは古いものが意外に多く残っていて、
地方のほうがよっぽど変に安っぽい新しさに冒されている。
友人は現在、長年勤めた大手企業に見切りをつけ、今は香港に単身赴任して働いている。
日本の状況はあれから大きく変わったが、浅草は当時以上に活気にあふれている気がする。
しかしこの街の夜は意外に早い。
7時頃から店は閉じ始め、8時頃には昼間あれほど人がごった返していた
雷門、仲見世通りも閑散とし始める。
しかし裏の飲み屋街にはその頃から地元住民が街に出てくるのである。
昼間大きいと感じた街はその時間帯には、半分の大きさに感じる。
そしてほんとうの人なつっこさを見せ始めるのもこの時間からなのだ。

日曜は日曜美術館へ

日曜美術館タイトル

すべて見ているわけでもないけれど、
昔からNHKの日曜美術館を見るのは休日の楽しみの一つだ。
この番組で自分が初めて知る画家も多い。
自分自身にもっともなじみがあり、通い続ける美術館だと言っても良いかもしれない。
上の画像は、先日再放送された1981年頃の番組タイトルで、
テーマ曲ともあわせてため息が出るほど懐かしかった。
1981年当時の番組は、今に比べて似ているようでもずっと落ち着きがあり、
番組の構成にも品があって安心してみていられたように思う。
こういう番組も時代と共に変わってゆく必要があるのだろうか。
20歳頃、はじめて家を出て生活を始めたとき、部屋にはTVがなかった。
日曜の朝はこの番組を見るために洗濯をかねて
TVが置いてある近所のコインランドリーへ出かけるのが常だった。
しかし運悪く誰か先に来ていて別の番組なんかを見ていたらその週は見られないことになり、
しょぼくれて部屋に引き返したこともあった。


先日は今も続くこの番組で青森の洋画家常田健をとりあげていた。
この画家も番組で初めて知った画家だ。
常田健は若い日に一度は東京に出たものの生まれた青森に戻り、
りんごを育てる畑仕事を続けながら世間に発表することもなく、ひたすらひとりで描き続けた。
90歳間近になったとき、東京の画廊主から強く請われて初の個展を開いたことから注目を集め、
急逝した2000年前後には展覧会、画集出版、マスコミの取材など、
一躍陽の当たる場所に出ることになった。
しかし画家の急逝により、初の公立美術館での展覧会は同時に初の回顧展になってしまった。

それから12年経ってふたたび日曜美術館で光を当てたわけだが、
コメンテーターに画家の生きた世界とは真逆の広告業界にいる人物を据えていた。
対比として面白いと思っての企画だろうが、
その人物と近い業界にいる私は「大丈夫だろうか」と思って見ていた。
NHKとは番組の司会やゲスト出演などしてきたパイプの太さが便利だったのだろうが、
世の評価とは一切関わりのないところで描き続けた画家を
企業に何らかの価値をもたらすために生きる人間に語らせることに、
一体どんな意味があるのだろうか。
NHKは最近よくこういうキャスティングをする。

最初のうち控えめに発言していた彼は、比較的安心して見ていられた。
スタジオに戻って彼は常田の代表作を紹介しながら次第に熱が入り、
「この作品は、今すぐにロックのCDジャケットに使える」と聞いた時、はっとした。
先日書いたばかりの、辺見庸が資本と最も対極にあるはずのジャコメッリの作品をさして
「この映像は即日CM写真としてつかえる可能性がある。(中略)
 じっさいに使用を考える者がでてきてもおかしくない、と私はおもっている。」
と書いてたことが思い出されたのだった。
CMディレクターの「CDジャケットに使える」という発言を聞いた時、
同じ業界の末端にいる自分は冷や水を浴びる思いをした。
画家は
「東京から帰って、百姓になり、なりきって、
 しかも絵を捨てきれませんでした」と語った。
こういう切実な生から生まれたものを、
我々のようなちんどん業界のレベルに引きずりおろして語ってはいけない、
それがわかっていないといけないと私は思うのだが。。
画家はすでにこの世におらず、それを望むかどうかの了解を得る術さえないなら
なおさら分をわきまえ、あえて控えるのが制作者の良心ではないのだろうか。
誤解を招きそうだけれど、CDジャケットにアート作品を使うのがよくないのではない、
CMディレクターが「これは使えそうだ」と思うことに違和感があるのだ。


その2〜3日あとのこと、2009年に亡くなった忌野清志郎の命日にあわせ、
夜中のBSでいくつかの追悼特番を流していた。
そのうち、彼がゴッホ作品をたずねるというアーカイブ番組を見たが
清志郎はもともと画家志望で、ゴッホのファンであったばかりでなく、
実際、若い時にはゴッホばりの作品を多く描いていたことを初めて知った。
(ちなみに私は彼のCDを数枚持っていた程度の薄いファンである。)
番組で訪ねたのは、当時国内を巡回していたゴッホとミレーの展覧会と
新宿東郷青児美術館に常設展示されている「ひまわり」だった。
言わずもがなこれは、バブル期に日本が有り余るキャッシュを使って購入した、最大の美術品だ。
美術史上の至宝のアジアへの流出に、当時の欧米諸国はさぞ無念な思いをしたのではないだろうか。
かつて日本は、ゴッホがアルルで描いた6点のひまわりのうち、
戦前にも一点を所有していながら(戦災とはいえ)焼失してしまった前科がある。

話を戻して、清志郎は予想したよりもずっと静かに、慎重にコメントをしていた。
彼はこの番組で初めて直接ゴッホの作品に接したと思うが、
作品を前にしては非常に謙虚だった。
そしてミレーとゴッホのいくつかの作品を見て、ミレーのすごさに感動してしまう。
ゴッホの意外に多い駄作を指摘していたことも印象的だった。
実際に駄作であったかどうかは別にして、
熱烈なファンでありながら、初めて直接ゴッホ作品に接して浮き足立ったところが少しもなく、
「たぶんこうなんだろう」と思っていながら、しかし実際の発言はかなり抑制している。
岩手で見たゴッホに彼はいささかがっかりした様子を隠さなかった一方、
東京で見た「ひまわり」にはかなり圧倒されていたようだ。
しかし私にはゴッホよりも、清志郎のコメントが記憶に残った番組だった。

清志郎とゴッホ

もの作りにたずさわる人間は大勢いる。
そこの世界にいる人間は根っこは誰も同じだと思いたいが、
どうもそうではないと思った、そんなGWの日だった。

「春、青い多摩川」

春の多摩川(パステル、F6)

多摩川というのは季節や時間によって、七色に変わって見える。
この画のタイトルは「青い」としたが、
描きたかったのは右手前、河床が紫色に染まって見えるところだ。
もう少し近寄ると、黄色の強い焦げ茶、カーキというんだろうか、
そういう色にも見えたりして、川の持つ色のバリエーションは多彩だ。
なじみの深い川沿いの住民にしても、清流、とはとても言えない気がするが、
意外や、鮎が多く捕れたりもする。
水量が減ったときに現れる砂利の島は上から見ると地図のようにも見え、
そのそれぞれの色がまた違っているのも面白い。

この季節、河川敷の風景は週ごとに変化し続け、
このあと、桜が満開になり、その直後には菜の花が一せいに開花して、
この画の緑の部分は黄色の絨毯のようになっていた。
その早さに画はとても追いつかない。

NHKアーカイブス 日曜美術館「田中一村(1984年)」再放送

今晩、4月21日(土)午前0時(金耀深夜)から、
日曜美術館「黒潮の画譜 異端の画家 田中一村」をEテレで再放送する。
過去、日曜美術館で一村を取りあげた番組は何度かあったが、
これは1984年12月9日放送に放送された最初のNHKのアーカイブズで、
放送後は「日曜美術館の番組が発掘した無名画家」と広く宣伝されて、画集もよく売れたはずだ。
当時画学生だった私も一村の作品を番組で初めて見て衝撃を受け、
その後足跡を追って奄美を訪ねたこともある。
作品の実物を見ることができたのはそのずっと後で、番組放送から10年後だった。

今は巨匠といわれる孤高の日本画家 田中一村を初めて紹介した映像を
是非ご覧いただきたいと思い、今日ここで紹介しておきます。