関西弁をつかったCMは関東でもあまた流れているけれど
そこから関西弁を取ってしまえば意外につまらないものがほとんどだ。
関西以外の人の耳には笑いの仕掛けとしての関西弁
(ほんとは「関西弁」というのはないのだけれど)は
いったいどう聞こえているのだろう。

そんなときに仕事場で流れているラジオから聞こえてきたCM、
これはうまい。
過去いろいろ話題になってきたキンチョールのCMだけれど
正直、面白いと思ったことが一度もなかった。
このCMはFMラジオから毎日聞こえてくるけど、毎日聞いても楽しい。
ということで、たまにはこんなものを軽く聞いてみてください。
(4本続きますのでご注意)

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東京湾をゆく船-41(オイルパステル)

相も変わらずまた船の画です。
海風に吹かれながら船のシルエットを追っていると気分がいい。
細かいことはどうでもよくなってくるのでなかなかやめられない。

サッカーW杯、大会前の冷めた空気がうそのようだ。
今大会の特徴として、優勝候補がどこもかなり苦戦し、
FIFAランク下位チームの予想外の健闘が印象的だ。
そのおかげで、どの試合もたいへん見応えがあって応援も楽しい。
「弱小」の下馬評を覆して決勝Tに実際に進むことができたのは、
けっきょく日本とロシアだけだった。
ただその「進出を決定」した瞬間の風景は両国で全く違っていた。
下位チームのタフな試合を見ていると
そこに日本が残っているのが、今もってちょっと不思議な気がする。
FIFAランク下位でありながら決勝Tに進んだもう一つの国、
開催国であるロシアの粘りは本当にすごかった。
ここ、本当に70位なのだろうか。
ランキング上では日本より下位だ。
私が初めてW杯をTVで見た西ドイツW杯では
(ベッケンバウアー率いる西独が優勝した大会)
USSRとして出場し、強豪国だった。
今回のチームはその時のイメージに近い強さがある。
昨夜はJリーグにやってくるイニエスタ擁するスペインを応援したかったものの
実力遙か上をゆくその国をロシアが追い詰めたのにはコーフンした。
あまりいわれないけれど、フェアプレーも光っていて反則が少ない。
いっとき日本には「もっとずるさが必要」と、子どもたちまでがよく言っていた。
そんなものよりまず必要なものを、ロシアチームが示している。

いっぽうの日本は今回から導入された
「フェアプレイポイント」によって決勝Tに進むことができたのは笑えない話だ。
決勝T進出を競う同じグループ同士のもう一方の試合が同時刻に行われているのは
実は今回の日本のような試合が行われないようにするための施策だったそうだ。
今、どこでも触れられないのが不思議だけれど、
4月になでしこがW杯出場を決めた試合も最後の5分近くをパス回しし、
時間を潰して終わっている。
この時も異様だったけれど、最近のなでしこが不振のせいか
あまり大きなニュースにならず、責められることもほとんどなかった。
W杯予選と本選の違いはあっても、今回もそれと同じだ。
そのことが記憶にあって今回のポーランド戦のことも、
サッカーの国際大会では「アリ」なことなのかと思っていた。
ところが海外での非難批判が予想外に多かったので、
遅ればせながら私も「アリ」ではなかったのだとわかったのである。
同じサッカーで、しかもW杯という舞台で
同じ国の男女チームが同じような試合をしたこと、
このことは尾をひくかもしれない。
どうにも後味が悪い。
せがれたちも試合後がっかりしていた。
ベルギー戦の前では日本は、ブーイングの代償として
(あくまで国内では)大きなものを手にしたと思われているけれど、
明日の試合後、風はどちらから吹いているだろうか。
次のベルギー戦は相手チームだけでなく、
世界中のサッカーファンを向こうに回しての試合になる。
内向き日本はあの試合で実は外向きにすごく大きなものを失ったんじゃないか。
選手に罪はないので応援はするけれども、
これはサッカーの歴史に残るわけで、とても残念なことだ。
東京は先週37度を超えて燃えるような暑さの日があったと思ったら、
週末は10度ほど下がってかなり涼しい。
原爆の日にドキュメンタリー番組をなどを見ていると、
あの日の熱線は数千度だったという。
37度と数千度、その差がまったくわからない。

父が子供の頃、故郷の宮崎から長崎に移り住んでいた時期がある。
私はときどき自分のうかつさに呆れることがある。
その頃、長崎に原爆が落ちたのではなかったか。
無事だったのは間違いないけれど、何も見なかったのだろうか。
空に立ち上ったキノコ雲とか。
TVや映画、文字でしか歴史を知らない人間は、
このような漫画ふうの図を思い浮かべる。
昨年、今さらながら父に聞いてみた。
父たち家族がいたのは佐世保、長崎の爆心地から60kmほど離れている。
そこで大工だった祖父は、軍艦の内装を行っていたそうだ。
戦争に行かなかった理由はそこにあったのかと、今さらながらわかった。
父によると原爆が落ちたその日、まったくそのことには気がつかなかったという。
空はどうだったか、黒い雨は降ったのか、ひつこく聞いてみたけれど
外で遊んでいたし、空にも変わったところはなかったということだ。
父は当時10歳くらい、語るところによると、
長崎との間にはいくつかの山があり、海があり、岬があったからかもしれないという。
地図で見ればわずかの距離も、住人にとってはかなり離れた場所という印象らしい。
人というのは自分のいる場所、時間などの
ほんのわずかの違いが人生や生死までも分けている。
そう考えると、人には避けられない運命のようなものがあるのだと思ってしまう。
私は今年、祖父の寿命を超えた。
老人

毎朝仕事場まで約一時間の道のりを歩いて通っている。
仕事場を目指してただ黙々と歩くわけだけれど、
毎朝歩いていると同じ人、同じ車とすれ違うことがある。
とくに気になっていたのは一人の老人である。
嵐寛寿郎と東山魁夷を足したような顔は最初に会ったときから懐かしさを感じていた。
けっこうな高齢で、おそらく健康のため毎日歩いているのだろう。
かなり真剣度が高い散歩の様子はこんな感じだった。

前方をきっと見据え、脇目も振らずにまっすぐこちらに歩いてくるのが遠くから見える。
私の顔を見ているのかと思っていると、まったく視野に存在しないかのようにすれ違い、
ペースを変えることなく歩き去ってゆく。
毎日同じ時間、同じコースを一体どこを目指して一心に歩いていたのだろうか。
そして住宅地とはいえ車の往来はあるのに歯牙にもかけず、
道のど真ん中を杖をつきつきマイペースで歩くのだった。
道路中央は路肩よりつまずく可能性が低いからだろう、東山画伯は用心深い。
後ろから車が来たことがあったが、車の運転手もたまたま老人同士、
クラクションを鳴らすこともなく老人の歩行に合わせてハンドルを握り
追い越すこともなく後ろからそろそろと付いていく。
運転手はニコニコとしている。
自分以上に老いた老人にこの朝出会い、
ふだんいたわれる存在からいたわる自分へと立場は突然逆転し、
相対的に若さを感じた喜びに浸っているようにも見えた。
その間、車を引き連れて散歩の歩を進めるひとりの老人と、
けげんな表情をしながら追い越すおばさんの自転車との対比の図は
ちょっとした見ものだった。
老人が着ている服は毎日違っていて、同じのを見たことがなかった。
なかなかおしゃれで老人然としたところがあまり感じられず、
それはおそらく、同居する家族が老人のために用意したものだろう。
家庭内で大切にされていることが想像されるのだった。
(上の画は老人を少し大きく描いてしまったが、日々のいでたちはこんな感じだ)
その老人をこの春から見なくなった。
週に何度かすれ違っていても黙礼さえ交わすこともなく、
我々はコミュニケーションをまったく持たずに何年もすれ違っていた。
ひょっとしたら老人はすれ違う私のことなどまったく覚えていなかったかもしれない。
きっとそうだろう。
にもかかわらず、姿を見なくなると小さな喪失感を覚える。
今となっては住んでいるところも名前も知らない老人のその後を知る術はない。
年齢が年齢だけに心配になる。
私にとって近所の風景の一部であった老人が消えて
変わらないはずの風景がどこか変わってしまったような気になっている。
ところで、「私が見る目」があればまた「私を見る目」もありうる。
老人と同じく毎日同じ時間同じ道を歩く私を、
風景の一部と見ている目もまた、どこかに存在するかもしれない。
画の整理

週末は台風で自宅にこもり、かねて気になっていた画の整理作業をした。
とうとうというか、ついに狭い部屋の中にキャンバスを置くスペースがなくなってきたので
(たかだが50枚ほどなのだけれど)過去の作品を始末することにした。
何枚かを残して木枠からキャンバスを外し、一枚の布にすると大きさは数十分の一になる。
最大で8号までしかないから丸めずに平置きのママでしまえる。
私の試行錯誤の段階の画は再び見る可能性も低く、
そのうちこれさえも始末することになるだろう。
でも一年に一枚でも残すことができれば筆を持ち続けた甲斐があるというものだ。
しかし作業は思いの外きつく、鋲を抜き取る作業を15枚も続けていたら
(鋲を浮かせるための)ドライバーを持っていたてのひらに穴が開いてしまった。
傷の所を見た途端、急に痛くなってくるのはどうしたわけだろうか。

作業を終えて夕方、台風一過の夕空は輝くような美しさがいっぱいに広がる。
生きているということは感動することだ。

夕焼け20130916

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