東京は先週37度を超えて燃えるような暑さの日があったと思ったら、
週末は10度ほど下がってかなり涼しい。
原爆の日にドキュメンタリー番組をなどを見ていると、
あの日の熱線は数千度だったという。
37度と数千度、その差がまったくわからない。

父が子供の頃、故郷の宮崎から長崎に移り住んでいた時期がある。
私はときどき自分のうかつさに呆れることがある。
その頃、長崎に原爆が落ちたのではなかったか。
無事だったのは間違いないけれど、何も見なかったのだろうか。
空に立ち上ったキノコ雲とか。
TVや映画、文字でしか歴史を知らない人間は、
このような漫画ふうの図を思い浮かべる。
昨年、今さらながら父に聞いてみた。
父たち家族がいたのは佐世保、長崎の爆心地から60kmほど離れている。
そこで大工だった祖父は、軍艦の内装を行っていたそうだ。
戦争に行かなかった理由はそこにあったのかと、今さらながらわかった。
父によると原爆が落ちたその日、まったくそのことには気がつかなかったという。
空はどうだったか、黒い雨は降ったのか、ひつこく聞いてみたけれど
外で遊んでいたし、空にも変わったところはなかったということだ。
父は当時10歳くらい、語るところによると、
長崎との間にはいくつかの山があり、海があり、岬があったからかもしれないという。
地図で見ればわずかの距離も、住人にとってはかなり離れた場所という印象らしい。
人というのは自分のいる場所、時間などの
ほんのわずかの違いが人生や生死までも分けている。
そう考えると、人には避けられない運命のようなものがあるのだと思ってしまう。
私は今年、祖父の寿命を超えた。
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老人

毎朝仕事場まで約一時間の道のりを歩いて通っている。
仕事場を目指してただ黙々と歩くわけだけれど、
毎朝歩いていると同じ人、同じ車とすれ違うことがある。
とくに気になっていたのは一人の老人である。
嵐寛寿郎と東山魁夷を足したような顔は最初に会ったときから懐かしさを感じていた。
けっこうな高齢で、おそらく健康のため毎日歩いているのだろう。
かなり真剣度が高い散歩の様子はこんな感じだった。

前方をきっと見据え、脇目も振らずにまっすぐこちらに歩いてくるのが遠くから見える。
私の顔を見ているのかと思っていると、まったく視野に存在しないかのようにすれ違い、
ペースを変えることなく歩き去ってゆく。
毎日同じ時間、同じコースを一体どこを目指して一心に歩いていたのだろうか。
そして住宅地とはいえ車の往来はあるのに歯牙にもかけず、
道のど真ん中を杖をつきつきマイペースで歩くのだった。
道路中央は路肩よりつまずく可能性が低いからだろう、東山画伯は用心深い。
後ろから車が来たことがあったが、車の運転手もたまたま老人同士、
クラクションを鳴らすこともなく老人の歩行に合わせてハンドルを握り
追い越すこともなく後ろからそろそろと付いていく。
運転手はニコニコとしている。
自分以上に老いた老人にこの朝出会い、
ふだんいたわれる存在からいたわる自分へと立場は突然逆転し、
相対的に若さを感じた喜びに浸っているようにも見えた。
その間、車を引き連れて散歩の歩を進めるひとりの老人と、
けげんな表情をしながら追い越すおばさんの自転車との対比の図は
ちょっとした見ものだった。
老人が着ている服は毎日違っていて、同じのを見たことがなかった。
なかなかおしゃれで老人然としたところがあまり感じられず、
それはおそらく、同居する家族が老人のために用意したものだろう。
家庭内で大切にされていることが想像されるのだった。
(上の画は老人を少し大きく描いてしまったが、日々のいでたちはこんな感じだ)
その老人をこの春から見なくなった。
週に何度かすれ違っていても黙礼さえ交わすこともなく、
我々はコミュニケーションをまったく持たずに何年もすれ違っていた。
ひょっとしたら老人はすれ違う私のことなどまったく覚えていなかったかもしれない。
きっとそうだろう。
にもかかわらず、姿を見なくなると小さな喪失感を覚える。
今となっては住んでいるところも名前も知らない老人のその後を知る術はない。
年齢が年齢だけに心配になる。
私にとって近所の風景の一部であった老人が消えて
変わらないはずの風景がどこか変わってしまったような気になっている。
ところで、「私が見る目」があればまた「私を見る目」もありうる。
老人と同じく毎日同じ時間同じ道を歩く私を、
風景の一部と見ている目もまた、どこかに存在するかもしれない。
画の整理

週末は台風で自宅にこもり、かねて気になっていた画の整理作業をした。
とうとうというか、ついに狭い部屋の中にキャンバスを置くスペースがなくなってきたので
(たかだが50枚ほどなのだけれど)過去の作品を始末することにした。
何枚かを残して木枠からキャンバスを外し、一枚の布にすると大きさは数十分の一になる。
最大で8号までしかないから丸めずに平置きのママでしまえる。
私の試行錯誤の段階の画は再び見る可能性も低く、
そのうちこれさえも始末することになるだろう。
でも一年に一枚でも残すことができれば筆を持ち続けた甲斐があるというものだ。
しかし作業は思いの外きつく、鋲を抜き取る作業を15枚も続けていたら
(鋲を浮かせるための)ドライバーを持っていたてのひらに穴が開いてしまった。
傷の所を見た途端、急に痛くなってくるのはどうしたわけだろうか。

作業を終えて夕方、台風一過の夕空は輝くような美しさがいっぱいに広がる。
生きているということは感動することだ。

夕焼け20130916
もうすぐ敬老の日だからというわけではないけれど、お年寄りの話が続く。

今年7月末に、96歳の男性が87歳の妻と夫婦げんかをして家出をし、
北九州から沖縄へ、そこから今度は東京へ行くつもりでどういうわけか
中部空港でぼんやりしていたところを保護されたというニュースが話題になった。
人間いつまでたっても夫婦間のいざこざは絶えることなく、
年齢を経てもそれほど物わかりが良くもならないのだと知って、私はため息が出た。
自分もいつかはきっと、ものわかりのよい、おだやかなおじいさんになれるのでは、
と密かに期待していたのにこれを読んであてがはずれた。
最も注目を浴びたのは保護されたとき、老人の手にしたバッグのなかには
2800万円もの大金が現金、それも封の切られていない札束で持っていたことであった。
老人は杖をついていながらも頭はしっかりとしていたということである。
老人はこの大金を(この年齢で)
「どこか気に入った場所があったら移住するため」持っていたと読んで、さらに驚く。
人間つくづく歳は取っても頭脳ははっきりして
この保護された男性のように身体的にも健康でありたいものだと思った。
また、仮にそうであっても世間の良心というかお節介というものがある限り、
世の中はそうそう自分を放って置いてもくれないものなのだと再度嘆息した。
この話は、以前水彩画家ひまつぶしさんのBlogでも取りあげておられた。

高齢での夫婦不和は年齢、時代、国、そして教養に関係なくあるようで
ロシアの大文豪で思想家のトルストイが同じように、長年の夫婦不和の末、
82歳の時についに家出(!)、一週間後の旅の途上で倒れて亡くなっている。
文豪の場合は高齢での自分探しの旅に肉体が追いつかなかった悲しい例である。
大思想家らしからぬ最期だけれど、それでもそれが人間というもので
文豪も我々と同じく、一人のたわいのない男だったのだと思った。
そしてニュースの老人の放浪は短かったかもしれないけれどその間、
おそらくこれまで感じたことがなかったほど大きな自由を味わったことだろうと思う。
その点では文豪より(ひとまずの)結末は幸せである。
その後、急に老け込んだりしないことを願うばかりだ。

トルストイの肖像写真
(Wikipediaより、トルストイの肖像写真)
ソ連が崩壊した時、社会主義の失敗がはっきりしたと、TVで言っていた。
しかしそれは正確とは言えず、
世界で唯一今なお成功している、と言われている国があって、それがキューバだ。
その国の映像を初めて見たのは
映画「ブエナビスタ・ソシアル・クラブ(Buena Vista Social Club)」だった。Buena Vista Social Club

南の国で楽しそうに暮らす人びとの映像を見たら、音楽も忘れられなくなった。
今も時々サントラ盤をiPodで聴く。
映画は、キューバの老ミュージシャンらがバンドを結成して
彼らを見いだした西側を代表するミュージシャン、ライ・クーダーの
プロデュースによって米国カーネギーホールで上演するまでを描いている。
ボーカルのイブライム・フェレールはここに参加するまで、
30年間キャラメル売りと靴磨きをして暮らしていた。
ギターの当時90歳になるコンパイ・セグンドも世間からは忘れられ、
長く葉巻職人として暮らしていたのをこのバンド活動によって
グラミー賞を取るまでなったのはクーダーの手腕によるのだろう。
何人ものボーカルが代わる代わる歌っているが、ともにすばらしい声質が忘れがたい。
「いぶし銀」という形容がこれほどふさわしいものもない。

映像はキューバの、音楽と渾然一体となった生活風景が素晴らしいのだが
それはとくにヴェンダース監督の手腕というわけでもない気がする。
ライ・クーダーのほうはどうだろうか。
私には、彼の「未開人のよいところに光を当てる文明人」的な目線がちょっと鼻につく。
キューバン・ミュージシャンらへの敬意ははたして本物だっただろうか。

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