ジャコメッティ 最後の肖像

今年最初に足を運んだ映画が、「ジャコメッティ 最後の肖像」だ。
友人のボリウッドマンが単身赴任先からメールで勧めてくれた。
ジャコメッティを演じる名優ジェフリー・ラッシュは本人にとてもよく似ている。
さらに特殊メイクがされているのは、大きな鼻のあたりだろうか。
しかしジャコメッティという人は写真を見てもそうだけれど、
顔にせよ身体にせよ、どこか「大きな印象」を与える。
そこが一番違うところで、
演技に熱が入るほどラッシュ氏はむしろウディ・アレンに似てくる。

色調をおさえた画面は美しい。
日本人哲学者でモデルにもなった矢内原伊作の手記や写真を以前読んだ。
そのアトリエの雰囲気をよく再現していると思う。
この美術を見るために日比谷の劇場まで足を運んだようなものだ。
矢内原伊作は作品中にもちょこっと顔を出す。
(実際にはジャコメッティの元を訪れていた次期には、二人にズレがあると思う)
映画はジャコメッティファンにはとても面白いし見る価値もあると思う。
私もできればもう一度見て、あのアトリエへ行ってみたい。
映画はポスターやチラシを作った形跡がなく、早々に打ち切りになるかもしれない。
映画はあくまで映画なのだけれど、ここであえて
「本当はこうだったのでは?」とお節介なツッコミを入れてみたい。

矢内原伊作は映画の原作で主人公になった米国人作家ジェイムス・ロードよりも
遙かに長くジャコメッティのモデルを務めた。
映画は18日間に及んだ制作の日々を描いているけれど、
「一時間ほど」で始まった最初の矢内原のデッサンは、
ついに二ヶ月半の間、一日も休まず続いた。
さらに、ふたたびモデルになるためだけに、その後何度も渡仏している。
手記「ジャコメッティとともに」(みすず書房、絶版)は
その最初の二ヶ月半の鬼気迫る制作風景を記録したものだ。
毎日くたくたになるまでポーズをとり続けて、帰宅後にとったメモを元にしている。
まったく恐るべき記憶力を持った人だ。

映画では思うように描けず筆を投げ、制作を切り上げるシーンが何度も出てくる。
ジェイムス・ロードの場合はこんなことがあったのだろうか。
矢内原伊作によると、ジャコメッティは一旦描きはじめれば、
暗くなってモチーフが見えなくなるまで筆を置かず、
見えなくなると電灯をつけて継続するか、今度は朝方まで粘土に取り組む毎日だった。
夕食は夕方6時頃、いつも近くのカフェで、ゆで卵二つだった。
手記にはこういう生活を何十年も、一日も休まず続けていたとある。
肖像画は鉛筆によるデッサンから始まり、時に油彩、さらに粘土による塑造へ。
油彩による肖像画は塗り重ねるうちに絵の具層が厚くなり、作業に支障が出てくる。
「今までの作業は全部嘘だった。
 これを消してもう一度最初からやり直さなくてはならない。」
 君は消すことを許してくれるだろうか。」
そう聞くといつも「もちろんです」と答えが返ってきた。
ジャコメッティは大喜びで描き続ける、といったことの繰り返しだ。
その矢内原伊作が、映画では間男のような描き方をされていたのは気の毒だった。
彼がもし西洋人だったら、
主人公はジェイムス・ロードではなく、矢内原伊作だったろう。

彼もまた画商から届けられた莫大なお金を見て、
「これは何かの間違いだ。私の画にそんな価値があるはずがない」
というジャコメッティの言葉を聞いている。
そんなエピソードを思い出すと、
ジャコメッティの実像のほうが、ずっと魅力的なのではないかと思った。
いずれにしてもこの狭いアトリエと食事に通ったカフェだけで展開されるエピソードを
一本の映画に仕上げたことがすごい。
この映画に興味を持った人には、矢内原伊作の「ジャコメッティとともに」が
(同じみすず書房から出ている改訂版「ジャコメッティ」は少し内容が違う)おすすめ。
派手な出来事はなにひとつ起こらないけれど、
まるでジャコメッティとともにアトリエにいて、
自分がポーズしているような気分にさせられる。
とにかく面白い。
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東京湾をゆく船-21(ガッシュ)

お盆の週末、TSUTAYAで「死刑台のメロディ」を見つけて借りてきて観た。
1971年のこの作品は、私的にはベン・シャーンの初期の作品、
「サッコとヴァンゼッティ」の連作を通して(少しだけ)知っていたのだけれど
日本タイトル「死刑台のメロディ」というのはどうもピンとこない。
「メロディ」とは主題歌を歌うジョーン・バエズの曲のことだろうか。
それとも背景に流れるモリコーネの音楽のことだろうか。
いずれにしてもストーリーともサッコとヴァンゼッティの二人とも関係はない。
おそらく、「死刑台のエレベーター」か「恐怖のメロディ」の下にいる
ドジョウを狙ってのタイトル名かと想像するけれど
事件の悲惨さと重大さを考えると、あまりに能天気な日本語タイトルである。
といって私も詳しくは知らないその事件を、映画で見たいと思って借りた。

ベン・シャーンの画は報道写真を元に淡々と描いたにもかかわらず、
受難の悲劇と、不寛容の傲岸を描いて余りある。
主役の二人は本人にも、シャーンの画にもそっくりだった。
ストーリーは1919年、
アメリカの暗黒時代と言われる赤狩りのずっと以前のことだ。
アメリカという国は「自由」という看板を掲げながら
暗黒の側面をずっと抱え続けてきた国だと改めて思う。
それゆえ血とともに流れた時間が、他国以上の分厚い民主主義を作っている。
にわかにデモをしたり、借り物の音楽にのせて怒ってみたりする日本とは
お話にならないほどの差がある。

製靴工場に起きた5人のギャングによる強盗事件の犯人として逮捕されたのは、
イタリア移民の靴職人、ニコラ・サッコと
魚の行商人バルトロメオ・ヴァンゼッティだった。
裁判はは決定的な証拠もなく、
明らかなアリバイがあったにもかかわらず死刑の判決が出た。
当時世界中に裁判のやり直しと助命嘆願がされたものの、刑は執行された。
当時の、とくにイタリア系移民に対する偏見と、
貧困からアナーキストになった二人への社会の排除の力学を描いて恐ろしい。

ところで作品を見た翌日、アメリカのバージニア州で
白人至上主義団体と反対派が衝突し、死者が出る事件が起きた。
問題発言を毎日のようにはき出す米大統領は、
ここでも曖昧な表現で対応したために猛烈な非難を浴びている。
映画で見たばかりの100年前の事件がちらついてぞっとした。
日本のデモクラシーの先生は、このような暗黒の側面を持っている。
Le Havre
(ペン、インク)

最近、昔見た映画を何本か再見し、そのどれもがよかった。
映画を見るのは好きだけれど、それについて文章を書くのは苦手で難しい。
再見してやはりよかったので、忘れないように書き留めておきたい。
うち一本はアキ・カウリスマキ監督の「ル・アーブルの靴みがき」で
カウリスマキ監督にしては珍しい、明るいハッピーエンドになっている。

舞台となるフランスのル・アーブルに、
仲がいいのか悪いのかわからない移民たちが暮らしている。
ふだんはバラバラに生きている彼らのうち一人の靴みがきの男が
アフリカからの難民の子供をかくまったのをきっかけに一つになり、
その子を母親が住んでいると信じるイギリスへ向けて送り出す、というストーリーである。
シリア難民問題以前の作品だけれど、
移民、難民への風当たりはそれよりもずっと以前から強かったのだとわかる。
この問題について日本は物言える立場にも資格もない。
この監督の映画に出てくる人物はどれもがぶっきらぼう、
ストーリーもぶっきらぼうながら、じんわりとあたたかい。
近所のTSUTAYAではどういうわけかコメディの棚に並んでいるくらいで、
映画はけっして暗くはない(でもコメディでもない)。
監督は日本の小津安二郎監督を非常に尊敬していて、影響も受けていると言っているけれど
小津作品のように虫も殺さぬような善人ばかりが登場する非現実的な世界ではなく、
社会、それも多民族社会に置かれた一人の人間としてのリアリティがある。
再見したが、やっぱりよかった。
いい映画というのは繰り返し見てもやはりいい映画のことをいうのだろう。
週末TBSで放映されたドラマ「レッドクロス」は久しぶりに見応えのある番組だった。
TVドラマをほとんど見ていないのに、今回この番組を見ていたのは幸運だった。
ゲームタイトルのような番組名「レッドクロス」とは赤十字のこと。
第二次大戦時に女性でありながら赤紙を受けて招集され
満州に渡って戦地で救護活動をした従軍看護婦の物語である。
監督の福澤克雄さんは大ヒットドラマの「半沢直樹」を手がけている人だ。
骨太のドラマを演じたどの役者も素晴らしかったが、
とりわけ主役の松嶋菜々子、その息子役(次男博人)の高村佳偉人、
その中国人養父役の薄宏(bo-hong)が素晴らしい。
薄氏と、息子ふたりを売り飛ばす日本人役の加山到は
20年前のドラマ「大地の子」にも出演していて、
番組制作に込めた意思をそこに強く感じてしまう。
そして戦後も帰国させず看護婦として従軍を強いた八路軍の幹部を演じた俳優は
てっきり中国人かと思ったら、小松拓也をいう日本人俳優で、
あまり知られていない分、端整な顔立ちによる存在感が抜きんでていた。
なお、薄氏、小松氏共に声がいいと思っていたら、お二人とも声楽家、歌手でもあるそうだ。

このドラマは実話、または実話を元にしたフィクションだと思って見ていた。
というのは、昼に番組制作に伴う実際の従軍看護婦のドキュメントがあって、
そこに現在も存命の方が何人も出演して実体験を語っていたからだった。
戦後70年(彼女たちにとっては戦後60年)を機に、
ふたたび旧満州を訪問する密着ドキュメントも合わせて取材され、
ドラマ以上に壮絶な人生を追体験していた。
当時身につけた中国語は60年経った今もまったく錆びておらず、
90歳近い年齢で心身共に壮健な様子には目を見張った。
なのに番組のエンディングで「このドラマはフィクションです」
というクレジットが流れたのは意外で、これには何らかの配慮があるような気がする。

戦後、シベリアへ抑留された日本人は長い人で10年に及んだというが
戦後も中国八路軍に従軍させられた日本人はさらに長く、
帰国したのは1953年だということをはじめて知った。
最近民放でこれほどスケールの大きな番組が制作されることは珍しい。
美術セットも大きくコストがかかっており、周囲の自然環境にも大陸のリアリティがある。
おそらく大規模な中国ロケが敢行されたのだろう。
TBSテレビ60周年記念番組ということ以上に、
きな臭くなっている戦後70年にこういうドラマを制作するには、
おそらく大きな決意があったことが想像される。

赤十字とは、紛争地において敵味方なく救うこと、
それ以外の災害地などでも、
宗教や人種を超えた中立・公平な救護活動をすることを基本原則にしている。
赤十字をかかげている病院や車両、人には
絶対に攻撃を加えてはならないと国際法でも決められているのはそのためである。
このことは、日本が(法によって)立てた非戦の誓いと、
どこか通じるところがある気がする。
武器をとって貢献する国が普通の国だとしたら、普通の国にならなくてもいい。
「肩身が狭い」と嘆じるより、評価の多様性を信じてもいいのではないかと思う。
シネスイッチ

以前ここに書いた、個人で映画を買い付けてきた友人の作品は週末、
無事初日を迎えることができた。
はるかに思えた劇場公開も、迎えてみればあっという間だった。
一本の映画が劇場で公開になるまで、どのような人々の手と情熱によって動いてゆくかを
私も初めて知ることができた仕事だった。
小学校時代からの友人と、お互い映画好きが変わらずここまできた。
この年齢になって一本、いや二本の映画を共にかつぎ、
ミニシアターの聖地、シネスイッチ銀座にて公開されるとは夢のような話である。
その紆余曲折は彼のBlogに今も綴られている。
まだ書かれていないエピソードも多いので、どこかで単行本化されれば
きっとおもしろい一冊になると思う。

初日、私もじっとしていられなくて劇場ヘ出かけた。
配給会社のひとは映画の公開にあたり、
初日はどのくらい観客が入って何がどれくらい売れたかチェックする。
そうか、そんなこともしていたのかと初めて知る。
客の入りは雨にもかかわらずかなり手応えのある数字だった。
まずは「おめでとう」である。
私がデザインしたパンフレットの売れ行きもまずまずのようで、
ポスターの評判と共に、私をデザイナーとして使うよう強く押してくれた友人の信頼に
なんとか応えられたことに安堵する。
ちなみに「映画狂」とは友人であり、私はそれに比べればただのファンである。
夢を叶えた友人を深く尊敬すると共に、感謝する次第である。

(下:友人のBlogより初日劇場前風景)
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