入院患者
(ペン、色鉛筆)

その日友人は草野球の助っ人を頼まれ、2打数2安打一打点の活躍。
相手のエラーも重なって全力疾走の末、ホームベースを踏んだ。
瞬間、全身の力が抜けるようにくらっときた。
よろよろと倒れ込むようにベンチへ戻り、そこで選手交代を頼んだ。
暑い盛りのロートル野球で、「熱中症か」とも思った。
それにしては帽子もかぶって水分も十分取っている。
なにより、胸が苦しい。
おかしいなと思いつつ、胸を押さえながら早めの帰宅をした。
自宅で安静にしているとすこし楽になり、
一晩寝るとずいぶん楽になった。
慎重な性格で、念のためにかかりつけの内科医に診察してもらった。
すると、大きな病院へ紹介状を書くから今からすぐに、
なおかつゆっくり(?)行ってくれとのこと。
そこからほど近い総合病院で精密検査の結果、即手術台へ。
病名は〝急性心筋梗塞〟。
幸い開胸はしなくてもすんだが、ともかく〝カテーテル〟という、
血管に微細な器具を通しての難しい手術をすることになった。
メールで「今入院しています」と連絡があったのは翌日火曜のことだった。

思い返せば前の週にも助っ人選手として野球の試合に出ていて
そのときにもちょっとくらっときたらしい。
怖いのは、安静にしていれば楽になるということで、
もし翌日に仕事が入っていたりしたら、医者など行かなかっただろうということ。
「仕事がなくてひまでよかったねぇ」と笑い合った。
しかしほんとのところは生死の境界線上で草野球のバットを振っていたわけで
「突然死」は、誰にでも起こりうるものなのだ。
身体、とくに胸や脳の違和感は自分しか知りようがない。
早期発見がいかに大切かを思い知る。

友人はとくにどこかを切り取ったわけでもないけれど、
それでも術後はほとんど歩けなかった。
その後リハビリをはじめて数日経ち、歩いたり、冗談を笑い合えるようになった。
笑うと疲れるらしく、ベッドに戻ってうとうとしたところをペンで描いた。
通常病室には誰だって長居したくはないものだ。
こうやって描いているとそれも平気で、
父の入院に付き添ったときのことを思い出した。

話は変わるけれど、病院の食事に使われている無地の白い食器、
あれはほんとに味気ない。
数年前に病院で奥さんを亡くしたときの経験を今度は自分の身で感じたらしい。
そこの病院(区民病院のような庶民的な病院)では毎食、
(プラスチックながら)料理によって器の絵柄が変わるそうで、
そのことをしきりに感心していた。
クリエイターなどはインテリアであれ食器であれ、無地で白のものを好む。
私自身も昔はそうだったけれど、今では無地の白い器というのはあまり好きでない。
暮らしのデザインというのは「シンプルイズベスト」がすべてではないことは
実はデザインしている側が一番わかっていないのかもしれない。
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あたたかい日(ガッシュ)

海の向こうでふたたびいたましい事件が起こっているけれど、
こちら日本ではふしぎでおかしな事件が起きる。
いかにも平和だと感じる。
ネットであらゆる情報が社会に晒され、その真偽が公のまな板に載る現在、
TV、ラジオにひんぱんに登場していたコメンテーターの輝かしい経歴が
すべてウソだったのだという。
長年にわたり誰も気づかず、家族さえ黙っていたことに、あっけにとられる。
はたして彼のコメントは、そんなスキャンダルに関係なく、
的確で価値のあるものだったのだろうか。
日本にはそれこそ、経済を専門とする評論家やコメンテーターがごまんといて、
ひとりくらい「ちょっとおかしいんじゃないか」と突っ込んでいても良さそうなものだ。
でもそんな話はほとんど聞かない。
だからといって、価値あるコメントだったとも(共演者以外からは)あまり聞かない。
訂正されていない経歴がウソでないとすると、これまで680もの企業が、
彼のアドバイスに安くはないギャラを支払ってきたことになる。
不謹慎ながら、ほんとうに不思議でおもしろい。

ここで思うのは、最近多発する問題大臣の任命責任を首相に言うならば、
TVやラジオは問題コメンテーターの任命(なのか採用なのか)責任を
問題にしなければウソじゃないかということだ。
逆に言えば、繰り返し「任命責任は自分にある」といいながら責任をとらない無責任対応が
一般社会に不感症をまん延させているからとも言える。

FMラジオでの涙まじりの謝罪コメントを聞いたけれど、なんか滑稽だ。
これは紛れもないイケメンに、
あんないい声で「ごめんなさい」と耳元でくり返しささやかれる、
その状況がおかしすぎるのである。
つくづく思うのは、人の印象というのは顔と、
その人の声にコーティングされやすいということだ。
とくに良い声にひとは弱いのではないかと思う。

Tag:肖像画 Portrait

新聞(ペン、色鉛筆)
父の体調が落ち着き、新しい仕事も入ってきたので
退院を前にして私は帰京した。
帰るまでの時間に、新聞を読んでいる父をスケッチする。

まだ勤めていた頃、父は、朝トーストをワシワシ食べながらインスタントコーヒーを飲み、
テーブルに広げた新聞に目を落としていた。
そしてTV番組のページを切り離し、残りの新聞を手にして仕事に出かけた。
私たちが必要なのは、TV番組欄だけだったからだ。

入院からこの日まで、父宅に配達されてきた新聞を、さらに私が病室の父に配達してきた。
私の帰京と共にそれができなくなり、父がとっている新聞は配達を止めてもらった。
あとで父に聞いたら、その新聞屋さんは私が高校に入ったとき、
初めて配達のバイトをした店であることがわかった。
相撲部出身だった頑丈な親父さんは今も元気だろうか。
在日二世である親父さんのこれまでの暮らしの大変さを、よく聞かされた。
3ヶ月で辞めてしまった私のことなど覚えてはいないだろうが、懐かしい。
すでに経営は世代交代しているに違いないが、たしか兄妹がいたはずだ。
電話の明るい女性の声は、あの小さかった娘さんだろうか。

今朝電話があって、父は無事退院した。
眠る父
父が病院に入った付き添いで、一週間ほど奈良へ帰っている。
正月に引き続き、これほど長く奈良にいるのは東京へ来て以来、初めてのことだ。
父と大人になった息子がふたりきりでいて、
セガレというのはなんとも役立たずである。
これが母親と息子となると、状況が全く違ってくるのはどういうことだろう。
男というのは世間話で会話をつなぐことができない。
一見無駄に見える女のおしゃべりというのはこういうとき、たいへん尊いものだ。
母がまだ生きていたとき、帰省時に久しぶりに実家の食卓で一緒にいると、
とりとめも無いことを語りかけ続けたその時間の心地よさを思い出す。
今、眠る父の前でただ座ってペンを走らせている自分は、まったくのでくの坊だ。
ひじをつく女性(F4、油彩)

都内と横浜近辺のレンタルスペースを借りながら、
リサイクルのモダン着物を扱う仕事をしている友人の女性は
実店舗を持っていないので、いつも販売会場の手配のことが頭から離れない。
商品の性格上、会場は大正昭和期に建てられたレトロなところを選んで催している。
いい場所とわかれば同じところを1〜2年をかけて巡回することになる。
ところで最近不動産業界が活況といわれる中、
販売会場にしてきた稀少なレトロ建築の物件が二件続けて建て替えられることが決まり、
近く使えなくなることがわかった。
安くて古くて交通の便のいい場所をまた探さなくてはならないと彼女はこぼす。

彼女はもともと私と同じ業界で仕事をしていたが、
自分らしい仕事を求めて今の仕事に行き着いた。
一生つきあえる仕事と若いうちに巡り会う幸運というのはなかなかない。
若くして天職に出会ったとしても、その仕事に自分が受け入れられるとは限らないし
その仕事自体が社会に残っていかない場合もある。
一筋に10年続けていればそれが天職になったのは過去のことだろうか。
かつて終身雇用で生涯ひとつの仕事を全うするのがごく普通の人生だったが
そういう時代はバブルとともに終わった。
当時そういう不安定な社員の立場を「自由」と勘違いして
「働き方の多様性」などと言い換えられれば、それを聞いた若者は皆いい調子だった。
社会は人にいい面だけを見せようとする。
その耳障りのいい理由付けは今も派遣業界はじめ、いろいろなところで生き延びている。
今の仕事(職場)は10年後もあるのかと、
自分よりも乗っている船である企業の行く末を案じながら勤めている。
天職よりも今日を維持することが容易ではない時代。
個人事業ならばなお切実である。

Tag:肖像画 Portrait

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