権之助坂裏通り(ガッシュ)

目黒区はJR駅に続く坂道を描こうと思って出かけた。
この日は東京の秋祭りで、ここに来る途中いくつもの神輿に出くわした。
この権之助坂下にも神輿の囃子が響いていた。
そこを少し登り、二つの坂道が合流するところを見下ろす歩道橋があったと思ったが
いつの間にか撤去されていた。
他にも無くなっているところはないかと目黒シネマをのぞいてみたら
ここは今も営業していてホッとする。
かつて斜め前にあったAVメーカーのバイオニア本社はマンションに建て替わっている。
表通りをわきに折れると、ここが崖のような傾斜地に広がった街だと気づく。
落ちていくような急な坂道から中目黒方向の眺望が現れる。
坂道の風景好きはタモリがTVで言い始めてからあっという間にマニア的に広まった。
描く側からも坂道というのは下からも上からも描いて面白い。
上から見ると、近景の向こうに意外な風景の広がりを見せていることがあって
そういう場所に出くわすと「おっ」と思う。
画面手前の無粋な店舗がまだ無かった時代には富士山まで見通せる、
いわゆる「富士見坂」だったのだろう。
細いうえにかなり急な坂道なのに、登ってくる人、下ってゆく人、
一方通行を下る車の往来が引きもきらない。
描き始めて気が付いて、ずいぶんじゃまになったようで申し訳ない。
ちなみにお城のホテルも元気に営業中だった。
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石川台呑川
(ペン、インク)

週末は半分仕事に、残りの時間に近所の石川台でペン描きした。
ちょっと新鮮な気分でと思って、23区を順に描いてみようか、などと考えてみた。
(しかし、どうも続きそうにない。)
名所巡りになってはつまらないので、行き当たりばったりでスケッチブックを拡げる。
最初は時間もないので、地元大田区にする。
大田区はドラマや映画のロケ地に使われることが多いのは以前書いた通りで、
それはかつて蒲田の撮影所が近かったせいもある。
最近区では「大田区ロケ地探訪」というパンフレットを作った。
それによるとここ東急池上線石川台駅は、
小津安二郎監督の「秋刀魚の味」のロケに使われたそうだ。
30代の頃にビデオで見たものの、
長男役の佐田啓二がゴルフクラブを妻の岡田茉莉子にねだるシーン以外は
すっかり忘れていて、他の小津作品の記憶とごちゃ混ぜになっている。
行き遅れた娘をひんぱんに嫁に出す監督であった。

同じアングルの高架下から駅ホームの床を見上げてみたが、
「当時の面影を色濃く残している」ホームも、床の裏ではよくわからない。
ロケ地そのものはやめにして300mほど移動し、吞川から高架を見る場所を選んだ。
この川下では何度か描いている。
橋の上は夕方になると川の上を風が吹き抜け、さらに涼しくなってきた。
持ってきた上着を羽織ろうとしたそのとき、あっという間もなく
ペンのキャップが軸から外れて川に落ちた。
登大路裏通り(ガッシュ)

友人のカメラマンが奈良の平群町から講演を依頼され、
その奈良行きの車に同乗させてもらって、週末久しぶりの帰省。
真夏に奈良へ出かけるのは13年振りになる。
当時はフリーになったばかりで仕事はほとんどなく、
父の入院に付き添うための帰省は、ずいぶんうつむき加減だった。
友人は私とともに父宅へ一緒に泊まることになった。
無口な父が珍しく友人と会話がはずむ。

翌日友人が講演に、父が(長く通っている)パソコン教室に出かけている間、
私は奈良へ描きに出かけた。
厳しい盆地の暑気に、日陰で立っていても汗がにじんでくる。
といっても東京のような蒸し暑さじゃない。
奈良の夏の暑さはたまらないと思っていたけれど、
東京に比べればずっとからりとしている。
夜も夜半を過ぎればエアコン無しでよく寝られる。
父を東京へ呼び寄せることばかりを考えていたけれど
必ずしも東京で父が暮らしやすいとは言えないと思った。

奈良へ出て昼食は、いつも立ち寄る「田川」でカレーライスを食べる。
ここも一年と8ヶ月ぶりの味で、少し甘めの昭和のカレーは変わらずうまい。
「普通盛り」が「アルプス盛り」なのに注意。
少食の人にはおそらく食べきれない。
マスターの姿は見えなかったけれど、元気にしておられるらしい。
食後、登大路のあたりからぶらぶらと歩き回る。
奈良は公園以外の市街地は木陰が少ない。
あまりの暑さに鹿が池に入っていた。
何年か前に描いた東大寺旧境内の大樹は、なんと伐採されていた。
奈良公園内では樹齢のある樹はめったなことでは伐られないので、
すでにコケの生え始めていた切り株を見ながら、あっけにとられた。
塀の向こうは高級レストランになっていた。

しばらく歩き回って、ここ登大路の裏通りでスケッチブックを拡げた。
細い通りの両側に土壁と塗り壁が伸びている。
壁に落ちる木立の陰が綾をなしている。
人通りが比較的少ないこの通り、それでもときどき通行人に声をかけられた。
東京ではめったにないことなので、関西へ帰ってきたことを実感する。
人懐こそうなおばさんには「学生さん?」とたずねられ(今年56歳)、
外国人の若い女性には「これは油彩?」とたずねられる。
以前ナショナルジオグラフィックの表紙で見た、
アフガニスタンの女性とよく似た美しい大きな目に真正面から見つめられて
「Watercolor」という言葉がすぐに出て来なかった。

Tag:Landscape Paysage 風景画

蒲田駅ホーム
(ガッシュ)

東急蒲田駅は二線、東急目黒線と池上線の4本の線路が並ぶ終着駅。
といっても乗り入れ区間を除けば両路線ともそれほど長くはない、
どちらかといえば短い路線だ。
渋谷駅が地下に乗り入れたので、
「終着駅」らしい風景があるのはここと大井町駅だ。
逆にJR線は日本中を走っているのに
線路が行き止まりになった終着駅は意外に少ない気がする。
行ったことがあるのは北海道の稚内駅、函館駅、東京は上野駅と奥多摩駅、
九州の門司港駅と西鹿児島駅。
25歳のとき出た長い旅の途上で稚内、門司港、西鹿児島には野宿したことがある。
西鹿児島駅は新駅の建て替えと新幹線の開通もあって、
今は鹿児島中央駅に改称されている。
ここも以前(2代目駅舎)はたしか行き止まりの終着駅だった気がするが、
今はそうなっておらず、記憶はもうあいまいだ。

ここ蒲田駅はJR東海道本線との乗換駅でもあるので、
長距離移動客には弁当屋があり、通勤のお父さんには立ち食いそば屋もある。
駅近辺は東京の下町の風情を残しているので、
ドラマや映画のロケなどにもよく登場する。
近くでは「下町ロケット」や大ヒットした「シンゴジラ」が記憶に新しい。
ここの駅ホームに夕方通りかかると、
夕陽が駅舎を抜けてきて乗降客の長い影を引き、
そのシルエットの揺らめきに思わず立ち止まってしまう。

海外の鉄道には終着駅が多い。
数多くの映画にその風景は出てくる。
海外の駅の多くは日本のようにドアと同じ高さにホームはない。
タラップを降りて線路と同じ高さにある、地面のホームへ降り立つ。
高齢者や車椅子の人には大きなバリアになるけれど、
「とうとう出発する」「やっと着いた」という感じには
窓やドアから身を乗り出すあの高さがやはり画になる。
終着駅ではないけれど、以前新宿駅の何本も重なるホームを上から斜めに眺めていたら、
少し離れたところに「西鹿児島」と行先表示のある列車が止まっていた。
鹿児島中央駅ではなかったから、東京に来たばかりの頃だと思う。
新宿駅の山手線の隣に、九州南端まで走っていく列車が止まっている。
その風景がとても不思議で、仕事に追われるばかりの当時の(今も)私の目には
列車に旅情が漂って見えたものだ。
「この列車に乗れば明日には鹿児島駅までいけるのか」
長距離列車にはそういった想像力をかき立てる引力のようなものがある。
列車はブルートレインだったように思う。
表参道街路樹(ガッシュ)


「○○年に一度の災害」が毎年のように起こっている。
自衛隊というのはたとえば「国際救助隊」になったらどうなのだろう。
日本にとどまらず、近隣国、やがては世界中の被災地の救援にも飛んでいく。
彼ら彼女らは世界中から尊敬される。
隊員のモチベーションや誇りは極めて高いものになるだろう。
また、そういう団体を持つ国を、攻撃しようという国もまたないだろう。
これは青臭い話なんだろうか。


人が溢れる表参道、その多くは観光客で、
そのうちここも世界遺産にしてくれと言い出しそうだ。
目抜き通りもコープ・オリンピア側は人通りがやや少なめで、
休日に舗道でスケッチブックを開くこともできる。
車道を挟んで反対側は新しいビルに入るテナントがひんぱんに入れ替わる。
LAFORET付近と、こちらはコープ・オリンピア近くに
60〜70年代から残る古い建物がある。
一番古いのがたぶん右のコープ・オリンピアで、
名前はもちろん64年の東京オリンピックにちなんでいる。
1965年竣工当時の分譲価格が最高で1億円というのは尋常でない価格で
今ならいったいいくらくらいになるのだろう。
当時の先端を行く建築デザインも今や参道の並木と調和して
この辺りで最も落ち着いた風景を作り出しているが、築50年を経て老朽化も進む。
Wikipediaによると、住民はすでに建て替えに賛成しているそうだ。
建て替えのめどが今も立たないのは、一階の商業テナントの反対によるらしい。
セントラルアパートの晩年が思い浮かぶ。

描いている背後には最近まで、
表参道や丹下健三設計の代々木競技場を見下ろせる歩道橋があった。
いつの間にか取り払われて、今はあとかたもない。
(もう一つの代々木競技場側の歩道橋は残っている)
東京最古で木造の瀟洒な原宿駅も
三年後の東京五輪に伴う再開発で、遠からず取り壊される。
2020東京に限らず五輪というのは、人為的に作り出した一種のバブルなのだろう。
東京五輪に関わるエンブレムや競技場、築地も含めて終わってみれば
「あれは一体なんだったんだろう」と思うに違いない。
画の左奥には遠く、六本木ヒルズが見える。

東京は本当に災害が少ない。
だからみんな、災害は起こらないと思っている。

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