電柱(オイルパステル)

この暑さ、エアコン無しで過ごせるのだろうか。
今日、東京は34度まで気温は上がったけれど、
それでも猛暑日には届いていない。
昼前にはすでにこの気温になっていた。
部屋では横になっているだけで動くのが嫌になる。
外だったら、そこで肉体労働をしたらどんな気分なのだろう。
若い日に経験した記憶は言葉としてはすぐに出てくるけれど、
実感として思い出すのは真実なのか、こころもとない。

横になったまま時計は4時を過ぎた。
少し夢をみた気がしたけれど、記憶は暑さの中で蒸発した。
風が熱風からややおだやかに感じ始めたので起き上がり、窓の外を見る。
雲のない空にも色のニュアンスがあるのを見つけると、
今度はじっとしていられない。
パステルの入った缶を取り出し、手早くスケッチした。
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新国立競技場
(オイルパステル)

私は今も2020東京五輪はやるべきじゃなかったと思っているし
今も止めるべきと思っている。
「五輪開催」を理由にいくつものひどい法案が通されたこと、
ここ新国立競技場建設予定地ではたった半月のお祭りのために
30年以上住み慣れた住民が問答無用で立ち退きさせられたことなど、
東京五輪がなければ起こらなかったことだ。

新競技場は驚くほど工事が進んでいた。
そこにあった駐車場で毎週のように開催されていたフリーマーケット、
思い出すことも多い。
その横にはオレンジ色の壁の古い団地があった。
どちらも今は無い。
たしか、新たな設計案は「木造」とはいわないまでも、
木の素材をふんだんに使って「和」のイメージをアピールする、
そういうことだったと記憶する。
工事用ネット越しに見える構造物は、コンクリートと鉄骨しか見えない。
出来上がったときには木造や屋上庭園に見えるほど木の部分が多くなるのだろうか。

3年前、最初の設計者ザハ・ハディド氏の提案や言動は
ことごとく否定的に扱われていた。
今一度ネットで建築家らの意見を読んでみると、
氏に対しての擁護論がすごく多い。
W杯で予想外の健闘をしたサッカー日本チームと解雇された監督の関係のようだ。
ザハ氏が急逝する直前、氏は新設計案に対して自分の設計案の盗用疑惑を訴えていた。
建築家の伊東豊雄さんなどは、
基本構造の6本の柱の位置や地下通路、トイレの数と位置まで
ほぼ一致しているのは通常まずあり得ないと指摘している。
問題になったコストを下げるには、すでに発注済みだった素材を
使わざるを得なかったのではないか、と推測している。
再度コンペを行って決まった建築家と組んだのは
ザハ事務所と組んでいたときと同じ施工会社だ。
しかし、基本構造に違いがなくとも、
外側の化粧板でまったく違うデザインになる建築物というのは
いったいなんなのだろう。
再度の建築コンペは、審査方法についてなんの検証もなかった。

国立競技場は新たに作らなくてもいいんじゃないのか
そういう声が上がったときにすでに旧競技場はなく、
コストダウンしながら競技場のデザインを詰めていくべきでは
と言い始めたときには建築家はすでにいない。
新競技場は着々と工事が進んでゆく。
屋根(オイルパステル)

今住んでいる家は1995年に建て替えられたというから、今年で築23年になる。
内装はきれいだし、23年ならまだそれほど古くはない、という感じだ。
前のマンションは昭和46年竣工だったから、入居したときは築33年、
けっこう古いと思ったが、そのぶん家賃は安めだった。
その前は昭和44年竣工で見るからに古かったけれど、それでも入居時は築30年ほど。
所帯を持ってからは古いマンションにばかり住んでいたものだ。
どちらもそこを出るときには築40年を越えていたことになる。
地震の心配もあって、出るときには「やっと出られる」と、ほっとしたものだ。
「はて」と思い出したのが、最初に一人暮らしをした大阪のアパートのこと。
「源氏荘」という昭和38年に建てられた木造モルタルのアパートは
当時でさえいかにも古いアパートだった。
階段を上ったところにあった背の低い手すりや、共有の物干し台もやはり木造で、
まるで大正か明治に建てられたような印象があったものだ。
けれど今考えれば、そこはまだ築20年に満たなかったのだ。
若さ故の時間感覚もあっただろうけれど、
今住んでいるところよりずっと新しかったというのは
ちょっと信じられない感じがする。
時代の進み方は今のほうがはるかに急激だけれど、
ものの形、洋から和、モルタルからコンクリへの変化は、
当時のほうが速いというより、落差が大きかったのだろう。

大阪は野田に住んでいた当時、三畳一間の部屋の窓からは、
手を伸ばせば届くほどに近く、隣の瓦屋根が空を斜めに切っていた。
さすがに手の届く距離ではないけれど、今の二階の部屋からもお隣の屋根が見える。
以前は屋根が空を切って隠していたけれど、
今の景色は空の下に屋根があるように見える。
昇仙峡(オイルパステル)

友人のカメラマンが、また自費で写真集を出したいというから、
今回もレイアウトを手伝った。
その御礼ということで、山梨へ温泉旅行に連れて行ってもらった。
GW直後の宿は安くなっているそうだ。
しかし日本中の観光地というのはあらゆるところに外国人がやってきていて
混んでいないところなどないと聞いている。
久しぶりの遠出は、そう覚悟して出かけた。
予想に反して宿は日本人だけで、やや混み、といったくらい。
しかしホテルを出ると周りには、地方にありがちな新興住宅地が広がって
眼に留まるものは何もない。
数件あった喫茶店さえ、少し前にすべて閉店したという。
そんな場所へGW後とはいえ、
安くはないお金を出して遠路やってきた自分たちを顧みると、
なんとも薄ら寒くなる。

翌日、車で40分ほどの距離にある渓谷へ足を伸ばした。
けっこう有名なところにもかかわらず、ここも閑散としていて、
リーマンショック時の温泉地を思わせる寂れ方をしている。
日本にもまだこんな空いている観光地があったのだ。
混んでいる時はやはりうんざりするけれど、
お土産屋が並ぶ観光地ががらんとしているのはちょっと寒々とする。
渓流を下ったところにあるお土産屋兼食堂で、
「いつもはもっと混んでいるんでしょう」と聞いてみたら、
「いやあー、まぁ」とやや歯切れが悪い。
渓谷沿いに数多く並んでいた鉱物系のお土産屋が気になっていたので
「あの宝石は全部ここで取れるんですね」と話題を向けると
「いや、水晶以外はアメリカ産です」と意外な答え。
「ここは加工が世界一なんですよ」
なんだか苦しい答えになっている気がするが、正直なところがいい。
ただ、階下で食べた「ほうとう」はホテルのより数段おいしかった。

帰り、高速は意外にもものすごい渋滞だった。
「GW後の週末は空いている」
我々と同じ事を考えた人は、こんなにいたということだろう。
「俺等は人混みを避けて、うまい具合に空いている場所へ行ってきたぞ」
と言いたいところだけれど、トクした気分にはなれなかった。
20180503(オイルパステル、水彩)

都心にある歴史的な建物は新しい超高層建築に埋もれて
まるでガラスや金属の島にあいた深い穴の底のようなたたずまいだ。
丸ノ内にある三菱一号館美術館は、
そんな摩天楼の街の真ん中に2010年に復元されたレンガ造りの洋館。
すぐ近くの東京駅といい丸ビルといい、
街に顔が必要なときには目もくらむような高層ビルよりは
こんなレンガや石造りの歴史建築のイメージを借りることが多い。
同じく近所の丸ビルや中央郵便局は、
旧建築の「皮」一枚を残してビル自体は新たに高層化され、
床面積は数十倍になっている。
三菱一号館のように歴史的建物をそのままの容積で復元というのは
珍しいかもしれない。
しかし同じ敷地内に超高層ビルがセットで建てられているとはいえ、
この土地に三階建ての建物とはずいぶん贅沢だ。
でもおそらく損はしないようになっているのだろう。
歴史的建物と周囲の都市的な景観との残念な対比は札幌の時計台を思わせるけれど、
その高低差のコントラストはこちらのほうがはるかに大きい。
こういう跡地に元々あった建築の痕跡をどこかに残すといったスタイルは
東京や横浜で複数ある。
安藤忠雄の表参道ヒルズあたりが火付け役だろうか。
「痕跡を少しでも残して、町の記憶を残す」という提案は
安藤さんはたしか80年代からしていたと思う。

「歴史的」といってもたかだか百年ほど前の様式だ。
現在流行のガラスで覆われた超高層ビルと、レンガ造りの低層ビルと、
200年後にはどちらが街の記憶としての「顔」になるだろうか。
その両者が夕暮れ時には、シルエットの中で静かに共存しているようだ。

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