川岸
(ガッシュ)

いろいろ雑事があって、画材を背にチャリで多摩川まで来たのは
もう陽が傾いた4時近くだった。
いつの間にか日はうんと短くなっている。

はじめて海外の地を踏んだのは、ロシアのナホトカで
宿泊したのは次の地、ウラジオストクだった。
その街にはアムール川が、街外れを悠々と流れていた。
初めて見る大河で、向こう岸は琵琶湖の対岸よりもずっと遠かった。
川とはいえ、その船着き場からは中国など、海外へ行ける船も出ていた。
その乗船客たちは、一見して違う民族のように見えた。
何もかもが初めて目にする経験で、今となっては夢のようだ。

目の前の多摩川は、大きくてもプレジャーボートくらいしか係留も航行もできない。
しかしこの川のどこかから、
せめて韓国行きの船でも出ていたらどんなに想像力をかき立てられただろう、
などと考えてみる。
このあたりから出ている現在多摩川の唯一の渡し船は
向こう岸のゴルフ場への客を運ぶためのボートだ。
しかし渡し船に乗ってゴルフコースへ向かうというのも、
それはそれで贅沢な話かもしれない。
こちら東京側は台風の影響がまだかなり残っているが、
川崎側のゴルフ場は大丈夫だったのだろうか。
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天空橋
(色鉛筆)

この日は久しぶりに色鉛筆を持って出かけた。
呑川と東京湾に注ぐ河口付近で二股に分かれる運河みたいなこの川は海老取川。
いかにも海老や魚の釣れそうな名前の川だ。
でも描いている間、周囲の釣り人の竿はとんと揺れることはなかったようだ。
国際空港が近いせいか、監視船のプレジャーボートが何度も通過した。
見送る船の上には、薄紫に色づき始めた雲が筋を引いて浮いている。

川にかかっているのは「天空橋」。
SFアニメに出てくるようなファンタジックな名前の橋だけれど、
外見は赤錆色の鉄骨むき出しでなんとも重々しい。
岸辺に立つと視界を大きく横切る橋は色といい元鉄道橋のように見えるけれど、
最初から人道橋だったらしい。
人と自転車だけが渡る橋にしては頑丈すぎる鉄橋だ。
橋の縁に橋を渡る人の頭だけが見えて、小さく移動していくさまはアリンコのようだ。
橋の上には羽田空港から飛び立つ旅客機が空を横切り、
その下、川の間には小さく大鳥居が見える。
ここへ移築されるまで、数々のオカルト的な逸話を残したが
今ではここで静かな余生を送っている。
釣り人以外は周囲を散歩する人も少ない。
雨あがり(ガッシュ)

問題多い大統領は国賓として来日、裏口から入ってきた。
基地という裏口は日本にありながら米国だ。
日本というのは、ああも手を揉まないとならないものか。
その対応をTVでは、どちらかといえば「おてがら」と伝えているような様子だ。
「そんなに強く揉んだらそのうち火がつくで」、などとは言わない。
TVから大事なことは何も伝わらず、ゴルフの球の行方やステーキの食レポ、
美人の娘さんの散歩の一挙手といった、どうでもいいことをネタにしていた。
その直前に来日したフィリピン大統領をもてなしたメニュー、
まずほとんどの人は知らないだろう。
米ドンの食べたメニュー、娘さんブランドの商品は
あちこちで売り切れや品薄になっているという人気ぶりだ。
ついこないだまでの「あきれた」といった人物像は、日本で蒸発してしまっている。
最後はまた、北の国へ兵糧攻めの後押しを日本は何度もお願いしていた。
戦争も辞さない人物に、かけるべき少しマシな言葉はあっただろうに。
それ以前に日本のドンガバチョはせめて問題の北のガバチョと、
長い任期に一度くらいは話し合いらしいことをやった方がいいんじゃないか。
多摩川監視所(ガッシュ)

多摩川の水位を監視するこの空中の小屋からだったら、
天気によらず快適に風景が描けそうだ。
穏やかな秋晴れの水辺風景を見ながら川沿いの遊歩道に立っていると
川が暴れた時の表情は思いもつかない。
先週まで繰り返しやってきた季節外れの台風の痕跡がいやでも目につく。
おびただしい草木やごみの漂着物が河川敷のあらゆるところに絡みつき、
金属製の手すりがぐにゃりと曲がっている。
すぐ近くの堰を大幅に超えた水位は、この歩道をも飲み込んで流れたようだ。
散歩やランニングをする付近の住民や釣り人を含め、普段の姿を取り戻した川沿いの風景は
この世に心配事などまるでないような佇まいだ。

いつの間にか日は短くなり、夕方4時を過ぎると、早くも夕闇の気配がある。
手早く描いて画材をザックにしまう頃には、風は秋の終わりの冷たさだ。
自由が丘旧街区(ガッシュ)

西日に浮かぶ街はどこの街だってしみじみとした美しさを持っているのだろう。
以前、会社勤めしていた都心の街ではしかし、そう感じたことは少なかったように思う。
前を見ていないと人とぶつかるような忙しさだったからだろうか。
10年以上自由が丘の街で一日の半分以上の時間を過ごしてきて、
一番好きな風景は、夕暮れ時に西日を受けたビル、路地だ。
その時間帯になると、他からやってきた人の数も徐々に減ってきて
街はやや落ち着きを取り戻してくる。
自由が丘は昔、こんなに大勢、とくに女性の集まるお洒落な街ではなく
学生とサラリーマンが飲みに集まる街だったらしい。
それほど大きくもないこの街は、変わるとなるとあっという間に別人になったようだ。

昔の顔を残す一角がある。
そこの夕暮れ時を描いた。
時代に取り残されたようなハデハデネオンはいつしかシミジミ看板となって
こういうかつて繁華街でよく見た様式は、さながら「キャバレー建築」といった風情だ。
貼り付けられた文字、「夢のパラダイス」のフレーズが想像力を膨らませる。
この骨董品的ネオンサインに、最後に灯が入ったのはいつなのだろう。
今はビルのテナントもすっかり入れ替わっているし、
あたりには女性向けの雑貨店が通りを埋めて、ここはすっかり浮き上がっている。
かつておじさんたちを誘い込んだ赤や黄色の灯は、今では夜も灯ることなく、
新陳代謝を繰り返す街の中で、意外にも癒しの風景となっている。

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