震災後の相反する矛盾した声は同じところに存在する。
一つ前に書いたBlogの、被災地に必要なものは?と聞く声と、
がれき処理依頼にNOという声もそうであり、
節電を求める社会の中で電気自動車が「エコ」だというのも最たるものだ。
電気自動車がどうしてエコなのだろうか。

また、原発事故の収束も検証も何もできていないのに、
再び核発電のスイッチを押すのもやむなしとTVで言っている。
私は新聞は日経を購読しているが、震災後社会面1/2面を割いて
震災と原発事故後の被災地の報道を毎日継続して続けている。
これはTV民放にはマネのできない新聞ならではのことである。
しかし別の紙面には原発再稼動を前提とした論陣を張っている。
読者(国民)とスポンサー(経団連)両者に向けてアリバイを作っているのであり、
社会の矛盾を突くことが最大の使命のはずの報道がこれでは
日本がおかしくなるのも無理もない。
海外から日本の新聞記者の姿勢には、すでに「あきれたレベル」との評価がされている。
震災から日本が学んだことはせいぜい食糧の備蓄をもう少し多く、
そして「津波が来ない、高いところに住みましょう」くらいなのか。。なんとも稚拙だ。
スポンサーサイト
今日から11日まで、震災のその後について少し書こうと思う。

震災直後もその後も、
被災地以外から乗り込んだ報道関係者は
「今、何が必要ですか」とマイクを向け、全国、全世界へ伝え続けた。
個人では求めるものはさまざまにあったが、
今、最も重い声は震災によって生まれた膨大な災害廃棄物(=がれき)がれきの処理の分担だ。
石巻ではそこの処理能力の百年分にあたるがれきが野積みになっているという。
全国の自治体に向けて処理の協力を願っているのはもちろん放射線量の低いものである。
ところが待ったなしのこの頼みに対しては全国で「NO!」という声が大きく、
せっかく協力の声を上げた自治体さえ早期の受け入れが難航している。
がれき処理の協力なくして復興はおぼつかないのは誰もがわかっているが
「YES」とは言わないのである。
安全なところから「がんばれ」の声を掛けるが、自らへのリスクは負わないという立場だ。
「がんばろう、東北!」「オールジャパンで東北を支えよう」の声は何だったのか。

Tag:東日本大震災 原発事故

避難所閉鎖

昨年、震災前に注文していたワイエスの画集「カーナー農場」は、震災後に届いた。
楽しみにしていた本が届いたものの開く気になれず、
そのとき、願掛けよろしく
「避難所を最後のひとりが出た日にこの本を開こうと思う。」と、ここに書いたものだった。

そのニュースが今日届いた。
そのとき思ったように、やはり自分は何もできなかったし、国のもたつき具合は何よりひどかった。
一年がたっても被災地が力強く復興に向かっているというニュースは、
あまり伝わってこない気がする。
ネガティブな物事のうわべの表現を変えることによって、
ソフトなイメージにすり替えるやり方は、この国全体の最も得意とすることだ。
原発事故は今もギリギリの綱渡りで現状を維持してるだけなのであり、
震災前に大きな問題だったワーキングプアも少しも解決していないはずだ。
「節電しています」の貼り紙は店や企業のイメージを挙げるツールになり、
放射能の除染はビジネスになった。
節電した方がいいのは子どもだってわかっている。
それをわざわざ標語にして貼り紙をするというのは、
戦時中の「欲しがりません、勝つまでは」とどこが違うのか。
作った方も貼った方も、よかれと思って走り回ったが、
何かに協力して踊らされてしまうのは、よくあることだ。
おかしな事を挙げればきりがない。

もうすぐ震災後一年がたとうとする今も、上のニュースを聞いて手をたたくよりは、
むしろ手を合わせるほうがふさわしいという気がする。
気分は少しも上向きにならないが、今夜はワイエスの画集を開いてみようと思う。
息をするように画を描き続けた画家、ワイエス。
ここに描かれた農場のような豊かな自然が東北にも広く存在しているが、
過去形になってしまった多くの土地もある。
新聞

東日本大震災から半年がたったという。
あまりにも早い時間の経過が信じられない。
その間、ボランティア含む災害と原発事故対応に当たられた方々、
なにより被災者の方々には長くつらい日々が流れたろう。
日本という国も、東京にいて不況にもまれる日々をしのぐ私にも
結局何もできなかったという無力と後悔の念が強い。

Tag:東日本大震災

私の実家のある奈良では報道の通り、先日台風の大災害があった。
和歌山よりは死者行方不明者は少ないが、
それは奈良県内の被災地が過疎地だったせいもある。
同じ奈良県といっても私の実家のある奈良市と十津川村のある吉野郡とは
北と南の端にあたり、東京で言う23区と奥多摩以上に遠い距離感がある。
奈良市で生涯を送る人がこの地を一度も訪れなかった、
ということも珍しくはない、というより普通だ。
私は高校の時に友人と単車で紀伊半島を回ったことがあり、
そのときの帰途、十津川村を含む吉野の大台ヶ原を縦に走って帰ってきた。
そのときもやはりそこだけ雨に見舞われた。

十津川村明治災害明治22年8月十津川村、豪雨の時の様子

WHAT'S NEW?