枝

毎日というほどではないにしてもよく見ている、
あるいはときどき見ているニュース番組の看板キャスター、コメンテーターが
この春に相次いで降板させされる。
NHKの国谷裕子さんなんて、IMFだったかFRBだったかの代表と番組中、
生でTVインタビューして英語で対等に渡り合うだけでなく、
鋭い突っ込みを入れていたのを覚えている。
あんなことができるキャスターは今、ほかにいないんじゃないだろうか。
皆、ストレートな物言いが共通しているけれど、
偶然というには皆キャリアが長く、人数も多い。
それも含めてのことだけれど、息苦しく、大に寛容、小に容赦ない今の社会は
いったいどこから来たんだろうか、と考える。
ネットの存在はもちろんだけれど、
どうも就職氷河期と格差社会の始まりがその端緒ではなかったのか、
そんな気がしていた。

先日、作家の中村文則さんが新聞に寄稿した文章
ネットに上がっていたのをたまたま読んだ。
こちらにも全文がアップされている。)
自身のリアルな体験と、
ごくふつうの想像力を巡らせて綴る文章のタッチはやさしいが、
彼らが置かれた当時の環境は痛ましく悲痛だ。
20世紀が終わろうとする頃、ブラック企業や格差社会、
レイシズムや右傾化の根っこがすでに芽を出していたことがよくわかる。
最近の新聞によれば、この世代は非正規、派遣労働のまま今に至っているという。

原発関連や、大きな政治関連ニュースが取り上げられるとき、
同じ新聞の一面と社会面に真逆の意見が掲載されていることが多い。
違和感のあるその紙面風景は、報道の中立性を示しているのだろうか。
中村文則さんはこの「メディアの両論併記」を、報道の役割の放棄だと指摘する。
批判と肯定を併記されることによって、怒りの濃度がうまく薄められてしまうのだ。
同時に「政府への批判は弱いが他国との対立だけは喜々としてあおる」メディアは
とても危険であると。
これは歴史の中でかつて見た姿でもある。

列車のレールはすでに昨年までに敷かれていて、
仮に首相が交代してさえも、その流れを変えるのはもう難しいだろう。
替わりの人間は亡霊のように繰り返し立ち現れてくるに違いない。
もし日本のどこかで他国と軍事衝突が起き、
直後に新しい形の警察国家的な枠組みが必要だと言われたとしたら、
多くの人はためらいつつも粛々と受け入れるんじゃないだろうか。
その時に自分も受け入れざるをえない哀れな姿を想像して、
おずおずとでも現在にダメ出しするしかない。

トイレのない家と揶揄される原発に相次いで火を入れ、
他人の貯金を勝手に引出して博打を打ち、
ブレーキのない特急列車の発車ベルを押している。
私もその列車に嫌々ながら乗せられ、降りることも止めることもできないでいる。
作家はその行く先を案じているが、
彼と同じ若い世代はその言葉をどう受け取るのだろう。
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いろいろなことがあったが、きつかった一年がようやく終わる。
ぎりぎりのところで押し返すことのできたのは幸運だったとしか言いようがない。
そして良くも悪くも戦後70年ということが生活に食い入ってきた。
良いことというのは、70年前に日本も行った戦争を
自分のこととして想像し続けられたこと。
悪いことというのは言わずもがな。
人は昨日に対してだけ賢くなれるというが、はたしてそうなのだろうか、
そんなことを強く思った一年だった。

物事が複雑になりすぎて、世の中で起こるいろいろなことに対して
私などが解決策など思いもよらない。
答えなき時代だと言われているが、
識者と言われる人からも説得力のある言葉はなかなか聞けない。
ただ、今目の前で起こっていることや行われていることを見ていて、
そのことが将来どういう結果をもたらすのか、それだけはさまざまに想像できる。
どれもこれも「取り返しのつかない、バカなことをしている」と思うけれど、
そうやって悲劇や喜劇は連綿とつながってゆくのだろう。

年末、TVの報道番組にコメンテーターとして出ていた
生物学が専門の女性の言葉が印象に残っている。
わからないことが多い学問だけれども、
世界中すべての人間は、ただ一つの祖先から枝分かれしたことだけは確かなのだと。
だから分かり合えないはずはないのだと。

この退屈なBlogにお付き合いいただいた方々には、
来る年がきっと良き年となりますように。
やらねばならないことが増え、やりたいことがますますできなくなる年末、
帰省後にやっと少し画を描けるかなと思っています。

平城京夕景
神奈川県立近代美術館鎌倉館テラス

神奈川県立近代美術館の鎌倉館が来月で閉館になるのだそうだ。
入場者数の激減や経営的に行き詰まったわけでもない公立の美術館が
閉館になることがあるのか、と驚く。
しかもここは、世界で三番目にできた近代美術館であり、
もっと重要なのは、日本で最初にできた公立の美術館であるということだ。
理由は建物が建っている敷地は借り物で、隣接する神社が大家であり、
その借地権契約が満了するからだと広報に出ている。
その地にある文化的な意味や建築の重要性は、まず飽きるほど上がったにちがいない。
つまりそれを押し返すほどの理由があったというわけだけれども、
それを知れば、なんだかがっかりさせられるような気がする。

とは言いながら、都内からは少し遠いので足を運んだ数は少なく、
閉館を惜しむなど言えた義理ではない。
最後に出かけたのは2年前の「松田正平展」だった。
出かけた時にテラスで飲んだコーヒーの記憶が懐かしいが、味は覚えていない。
日曜美術館で紹介されていたが、あのカフェテリアのオレンジ色の壁画は、
そうか、田中岑の作品だったのか。
気まぐれ美術館で名前だけ知ってはいた。

松田正平さんの作品に触れたのはその時初めてだったが、
晩年になるほどマチエールが磨かれてゆくようだった。
周防の海を描いた作品が特に美しかった。

野見山暁治さんのエッセイに松田正平さんについて触れているところがある。
「芸術大賞のパーティーに出たら、受賞した松田(正平)さんが、
 候補に挙がっていたぼくの手を握って、
 年寄りだから勘弁してつかあさいと言った。」
どう感想のいいようもない短い話だけれど、
展覧会へ出かけたときの穏やかな晴れの日の思い出とともに、
この話がずっと印象に残っている。
週末、ETVの「立花隆 次世代へのメッセージ~わが原点の広島・長崎から~」
という番組を再見する。

立花氏は学生時代に、国際青年核軍縮会議に招かれた。
ところが戦勝国の人々の中で、当時はソ連への対抗上、核兵器が必要だとする認識が広まっていて
原爆の被害の側からの深刻さが全く伝わらないというジレンマに陥る。
そのときに唯一立花氏の話や持参した原爆の写真集に興味を持ったのが
カナダ人のディミトリ・ルソプロス氏だった。
この番組ではこのディミトリ氏の存在がとりわけ重要である。

かつてカナダにはアメリカの核兵器が持ち込まれていた。
ソ連の核攻撃を受けた場合、アメリカに届く前にカナダ上空で打ち落とすためのものであり、
撃墜されれば弾頭は、カナダ上空で炸裂する。
つまりカナダにあった何カ所もの核ミサイル基地は、アメリカの盾とするためのものだった。
被害を被るのはカナダ人であると、基地を廃絶するための運動を起こしたのが
当時学生だったディミトリ氏らである。
運動前、基地反対の支持率は19%だったのが、数年後44%まで上昇し、
ついにはカナダのトルドー首相が核兵器撤去を決断する。
首相は国連で「カナダは核を作ることも保有することも放棄した国です」と演説した。
立花氏と交流絶えて久しいディミトリ氏が、その間にはじめた草の根の反核運動が、
ついにカナダ国内からアメリカの核ミサイル基地の撤去を実現させていた事実を知って、
立花氏は衝撃を受ける。
ちなみに立花氏はその間、若い日に打ち込んだ反核運動から一切身を引き、
フクシマの原発事故後には原発使用継続を支持もしている。
その是非をここではひとまず置く。

半世紀を経て再会したディミトリ氏は立花氏にこう語る。
「核爆弾が核戦争の抑止力になっているというのは愚かな考えだ。
 ヒロシマとナガサキの被爆の現実が、
 あの悲劇を繰り返してはならないという、抑止力になっている」
ヒロシマとナガサキの悲劇がなければ、ベトナムで使用されただろうというのが氏の考えだ。

番組でもう一つ重要なエピソードとなっているのが、
香月泰男のシベリアシリーズの作品群だ。
立花氏の最初の著作が香月泰男の「私のシベリア」だ。
まだ駆け出しのルポライターだった立花氏が画家の聞き書きをまとめたもので
本のクレジットに氏の名前はまだなかった。
後年、画家本人についてのその後のレポートと合わせて再版されたものを私は読んだ。
その中でも「1945年(赤い屍体)」という作品とそれについて語った内容が忘れられない。
可能なら、「シベリア鎮魂歌—香月泰男の世界」(1945・避難民・奉天の章だけでも)を
読まれることをおすすめする。
香月泰男のシベリアシリーズは、
ただ眺めていただけでは半分も「見た」とは言えないことが理解できると思う。
香月泰男_1945

敗戦直後に見た、中国の線路脇にうち捨てられた日本兵の屍体。
生皮を剥がれた赤い屍体はその後も画家の脳裏を離れず、
戦時中に中国人に対して行った日本兵の蛮行への、
憎悪の爆発の一つであったろうと画家は見る。
シベリア抑留からの帰国後、画家は原爆被害者の「黒い屍体」の写真を見せられる。
二つの屍体を思い浮かべて画家は考える。
「日本に帰ってきてから、広島の原爆で真黒焦げになって転がっている屍体の写真を見た。
 黒い屍体によって日本人は戦争の被害者意識を持つことができた。
 みんなが口をそろえて、ノーモア・ヒロシマを叫んだ。
 まるで原爆以外の戦争はなかったみたいだと私は思った。
 私には、まだどうもよくわからない。
 あの赤い屍体についてどう語ればいいのだろう。
 赤い屍体の責任は誰がどうとればよいのか。
 再び赤い屍体を生み出さないためにはどうすればよいのか。
 だが少なくともこれだけのことはいえる。
 戦争の本質への深い洞察も、真の反戦運動も、
 黒い屍体からではなく、赤い屍体から生まれ出なければならない。

 私にとっての1945年は、あの赤い屍体にあった。
 もし私があの屍体をかかえて、日本人の一人一人にそれを突きつけて歩くことができたなら、
 そして、一人としてそれに無関係ではないのだということを
 問い詰めていくことができたなら、
 もう戦争なんて馬鹿げたことの起こりようもあるまいと思う。」
 (以上、「私のシベリア」より抜粋)

この二つのメッセージを読み解き、結びつけて並立させるには想像力が必要である。
現代人はその想像力を働かせ続けることができるだろうか、
悲観的な思いが大きくなりつつ、戦後70年という年を迎えている。
この曲は、よく読ませていただいている、
長崎在住のちょっと変わった絵描きさんのBlogに紹介されていた。
歌としての背景はよく知らないけれど、先の世界大戦時のことを歌っているのだろう。
反戦の歌として世界的に有名なこの曲を、私はそこで初めて聴いた。
シャンソンというなじみの少ない音楽がこれほど響いたのは、
今、というタイミングに聴いたことも大きい。
その人は自分でも和訳をされているけれど、コメント欄がなく転載の了解が取れないので、
下ではネットに出ていた別の訳を引用している。
でも訳として読むには、絵描きさんの方がわかりやすい。
この曲は日本では沢田研二加藤和彦などがカバーしている。

Boris Vian "Le déserteur" ボリス・ヴィアン「脱走兵」
作詞:ボリス・ヴィアン 作曲:ハロルド・ベルク  1954年  


 

Monsieur le Président
Je vous fais une lettre
Que vous lirez peut-être
Si vous avez le temps

大統領閣下
お手紙を差し上げます
お時間がある時
たぶん読んでいただけるでしょう

Je viens de recevoir
Mes papiers militaires
Pour partir à la guerre
Avant mercredi soir

たった今
水曜の夜に
戦地に出発せよとの
礼状を受け取りました

Monsieur le Président
Je ne veux pas la faire
Je ne suis pas sur terre
Pour tuer des pauvres gens
C'est pas pour vous fâcher
Il faut que je vous dise
Ma décision est prise
Je m'en vais déserter

大統領閣下
わたしは戦争をしたくありません
哀れな人びとを殺すために
わたしは生まれてきたのではありません

あなたを怒らすためではありませんが
でもいわなければなりません
もう決めました
わたしは脱走します

Depuis que je suis né
J'ai vu mourir mon père
J'ai vu partir mes frères
Et pleurer mes enfants
Ma mère a tant souffert
Elle est dedans sa tombe
Et se moque des bombes
Et se moque des vers

生まれた時から
わたしは父が出征し
兄弟たちが出征するのをみました
そして自分の子供たちが泣くのをみました

わたしの母は苦しみぬき
今は墓の中で
爆弾をあざ笑い
うじ虫どもをあざ笑っています

Quand j'étais prisonnier
On m'a volé ma femme
On m'a volé mon âme
Et tout mon cher passé
Demain de bon matin
Je fermerai ma porte
Au nez des années mortes
J'irai sur les chemins

わたしが捕虜だった時
わたしは女房を奪われ
わたしの魂を奪われ
わたしの愛しい過去まで奪われました

明日の朝早く
死んだ年月を置いて
わたしは扉を閉め
旅に出ます

Je mendierai ma vie
Sur les routes de France
De Bretagne en Provence
Et je dirai aux gens:
Refusez d'obéir
Refusez de la faire
N'allez pas à la guerre
Refusez de partir

わたしは物乞いをして暮らすでしょう
ブルターニュからプロヴァンスまで
フランスじゅうの街道を歩いて
そしてわたしは人々にこう訴えるでしょう

服従することを拒みなさい
戦争を拒否しなさい
戦場にいっちゃだめだ
出征を拒否しなさい、と

S'il faut donner son sang
Allez donner le vôtre
Vous êtes bon apôtre
Monsieur le Président
Si vous me poursuivez
Prévenez vos gendarmes
Que je n'aurai pas d'armes
Et qu'ils pourront tirer

もし血を流さなくてはならないのだったら
ご自分のを流しなさい
あなたはとんだ偽善者だ
大統領閣下

わたしを追跡させるのでしたら
憲兵におっしゃっておいてください
わたしが武器をもっていないことを
そして撃ち殺しても構わないということを

(所収/東芝EMI)

悲劇を微笑みながら語り、まるで口笛のようなフランスのメロディ。
えらく胸にしみるのは、今という時だからだろうか。
仮に将来日本が戦争状態になったとき、
若年層の少ないこの国では、私の年代でも赤紙が来る可能性はあるだろう。
そのとき私は、「脱走兵」にはとてもなれないだろう。。
いや、誰も脱走できないから、平和な時に歌われたのだろう。
今、猜疑と不安とともに、くり返しこの曲を聴いている。

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