東京湾夕景-02(オイルパステル)

在りし日の石牟礼道子さんがTVのインタビューでこんな話をしていた。
行政へ(チッソの会社だったかもしれない)の抗議の座り込みをしていた、
ある冬の夜明けのこと、
ふと目をあけると目の前で子猫がフンをしていた。
子猫はそれに砂をかけようと、アスファルトの地面を懸命にツメでかいている。
議事堂にもほど近い都会の道路には砂などないわけだから、
フンはいつまでもそこにあるのだった。
石牟礼さんと目が合ったのはその時で、フンが晒されたままになっているのを、
子猫はさもみっともないかのように恥じた表情をしたという。
こんな小さな生き物が、自分の排泄物を人目にさらすことを恥じている、
そのことが今も忘れられないのです、と言っていた。

次から次へ、優秀な頭脳も単なるオヤジみたいなのも、
自分がヒリ落としたものを見せて恥じるところがない点で「類」であり、「友」である。
どうやら彼ら自身は、ほんとうは何も悪いことをしていない、
そう思っているじゃないだろうか。
でないと、2年前から現在にいたる面々の、
繰り返されるあの態度と言葉の説明がつかない。
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東京湾をゆく船-24(ガッシュ)

写真家の星野道夫さんの本を読んでいて、印象に残った文章がある。
(どの文章も印象深いのだけれど)

星野さんは10代の頃から、
すべてのものに平等に同じ時間が流れていることの不思議を思っていた。
都会で暮らしている自分と、どこかでヒグマが生きていることの不思議。
日々の暮らしに追われている時、もうひとつの別の時間が流れている。
それを悠久の自然と言っても良いだろう。
そのことを知ることができたなら、
いや想像でも心の片隅に意識することができたなら、
それは生きてゆくうえでひとつの力になるような気がする、
と言っている。
流れる二つの時間は二つの自然と言える、とも。

私がまだ家庭を持つ前で会社勤めをしている頃、つまり独身の頃、
夏の休暇というのはやはり特別な時間だった。
そして休暇がくると必ず決めていたことは
「普段見る、経験するものとは全く別の世界を見ること」
必然的に山へ出かけたり、テントを持って知らない田舎町へ出かけたりしていた。
そういう時間・空間に身を置くことによって、
普段の慌ただしい生活とは別の世界が存在するのだと、
今自分がいる世界はもっと広がりのある豊かな世界なのだと思えたのだ。
星野さんの時間の観念は「ああ、そうなんだなぁ」と、とても共感できた。
自然や動物らの悠久の時間だけではなく、
人間についてもまた同じことが言えると思えたからだ。
しかし別の国や場所で、同じ時間が全く別の風景の中で流れている時間は、
自然のように必ずしも豊かで幸福なものではない。
生まれた国、場所の違いが生む人の運命の差はどこから来るのだろう。

よその国の不幸を知るにつけ、いつも無力感にとらわれてしかたがない。
でももう一つの時間、もうひとつの世界に思いを馳せることは、とても大事だと思う。
戦争なんかへの選択をしないために、自分たちにできることの一つだと思う。
話は少し飛躍するかもしれない。
朝鮮半島で今起きていることは、もとはいといえば
「同じテーブルについてつきあってほしい」くらいのことを言っていたのを
取りつく島も与えなかった米国の失策によっている。
あんな危ないものまで作るところまで放っておいてしまって、
この先どうするのだろう。
この国はいつまでたっても反省がなく、失敗の経験が生きない。
選択を誤ったことに気づく時、
いつも後戻りができなくなっているのはこの国だけではないだろう。
枝

毎日というほどではないにしてもよく見ている、
あるいはときどき見ているニュース番組の看板キャスター、コメンテーターが
この春に相次いで降板させされる。
NHKの国谷裕子さんなんて、IMFだったかFRBだったかの代表と番組中、
生でTVインタビューして英語で対等に渡り合うだけでなく、
鋭い突っ込みを入れていたのを覚えている。
あんなことができるキャスターは今、ほかにいないんじゃないだろうか。
皆、ストレートな物言いが共通しているけれど、
偶然というには皆キャリアが長く、人数も多い。
それも含めてのことだけれど、息苦しく、大に寛容、小に容赦ない今の社会は
いったいどこから来たんだろうか、と考える。
ネットの存在はもちろんだけれど、
どうも就職氷河期と格差社会の始まりがその端緒ではなかったのか、
そんな気がしていた。

先日、作家の中村文則さんが新聞に寄稿した文章
ネットに上がっていたのをたまたま読んだ。
こちらにも全文がアップされている。)
自身のリアルな体験と、
ごくふつうの想像力を巡らせて綴る文章のタッチはやさしいが、
彼らが置かれた当時の環境は痛ましく悲痛だ。
20世紀が終わろうとする頃、ブラック企業や格差社会、
レイシズムや右傾化の根っこがすでに芽を出していたことがよくわかる。
最近の新聞によれば、この世代は非正規、派遣労働のまま今に至っているという。

原発関連や、大きな政治関連ニュースが取り上げられるとき、
同じ新聞の一面と社会面に真逆の意見が掲載されていることが多い。
違和感のあるその紙面風景は、報道の中立性を示しているのだろうか。
中村文則さんはこの「メディアの両論併記」を、報道の役割の放棄だと指摘する。
批判と肯定を併記されることによって、怒りの濃度がうまく薄められてしまうのだ。
同時に「政府への批判は弱いが他国との対立だけは喜々としてあおる」メディアは
とても危険であると。
これは歴史の中でかつて見た姿でもある。

列車のレールはすでに昨年までに敷かれていて、
仮に首相が交代してさえも、その流れを変えるのはもう難しいだろう。
替わりの人間は亡霊のように繰り返し立ち現れてくるに違いない。
もし日本のどこかで他国と軍事衝突が起き、
直後に新しい形の警察国家的な枠組みが必要だと言われたとしたら、
多くの人はためらいつつも粛々と受け入れるんじゃないだろうか。
その時に自分も受け入れざるをえない哀れな姿を想像して、
おずおずとでも現在にダメ出しするしかない。

トイレのない家と揶揄される原発に相次いで火を入れ、
他人の貯金を勝手に引出して博打を打ち、
ブレーキのない特急列車の発車ベルを押している。
私もその列車に嫌々ながら乗せられ、降りることも止めることもできないでいる。
作家はその行く先を案じているが、
彼と同じ若い世代はその言葉をどう受け取るのだろう。
いろいろなことがあったが、きつかった一年がようやく終わる。
ぎりぎりのところで押し返すことのできたのは幸運だったとしか言いようがない。
そして良くも悪くも戦後70年ということが生活に食い入ってきた。
良いことというのは、70年前に日本も行った戦争を
自分のこととして想像し続けられたこと。
悪いことというのは言わずもがな。
人は昨日に対してだけ賢くなれるというが、はたしてそうなのだろうか、
そんなことを強く思った一年だった。

物事が複雑になりすぎて、世の中で起こるいろいろなことに対して
私などが解決策など思いもよらない。
答えなき時代だと言われているが、
識者と言われる人からも説得力のある言葉はなかなか聞けない。
ただ、今目の前で起こっていることや行われていることを見ていて、
そのことが将来どういう結果をもたらすのか、それだけはさまざまに想像できる。
どれもこれも「取り返しのつかない、バカなことをしている」と思うけれど、
そうやって悲劇や喜劇は連綿とつながってゆくのだろう。

年末、TVの報道番組にコメンテーターとして出ていた
生物学が専門の女性の言葉が印象に残っている。
わからないことが多い学問だけれども、
世界中すべての人間は、ただ一つの祖先から枝分かれしたことだけは確かなのだと。
だから分かり合えないはずはないのだと。

この退屈なBlogにお付き合いいただいた方々には、
来る年がきっと良き年となりますように。
やらねばならないことが増え、やりたいことがますますできなくなる年末、
帰省後にやっと少し画を描けるかなと思っています。

平城京夕景
神奈川県立近代美術館鎌倉館テラス

神奈川県立近代美術館の鎌倉館が来月で閉館になるのだそうだ。
入場者数の激減や経営的に行き詰まったわけでもない公立の美術館が
閉館になることがあるのか、と驚く。
しかもここは、世界で三番目にできた近代美術館であり、
もっと重要なのは、日本で最初にできた公立の美術館であるということだ。
理由は建物が建っている敷地は借り物で、隣接する神社が大家であり、
その借地権契約が満了するからだと広報に出ている。
その地にある文化的な意味や建築の重要性は、まず飽きるほど上がったにちがいない。
つまりそれを押し返すほどの理由があったというわけだけれども、
それを知れば、なんだかがっかりさせられるような気がする。

とは言いながら、都内からは少し遠いので足を運んだ数は少なく、
閉館を惜しむなど言えた義理ではない。
最後に出かけたのは2年前の「松田正平展」だった。
出かけた時にテラスで飲んだコーヒーの記憶が懐かしいが、味は覚えていない。
日曜美術館で紹介されていたが、あのカフェテリアのオレンジ色の壁画は、
そうか、田中岑の作品だったのか。
気まぐれ美術館で名前だけ知ってはいた。

松田正平さんの作品に触れたのはその時初めてだったが、
晩年になるほどマチエールが磨かれてゆくようだった。
周防の海を描いた作品が特に美しかった。

野見山暁治さんのエッセイに松田正平さんについて触れているところがある。
「芸術大賞のパーティーに出たら、受賞した松田(正平)さんが、
 候補に挙がっていたぼくの手を握って、
 年寄りだから勘弁してつかあさいと言った。」
どう感想のいいようもない短い話だけれど、
展覧会へ出かけたときの穏やかな晴れの日の思い出とともに、
この話がずっと印象に残っている。

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