Grange

初めて海外を旅した時に、旧ソ連ハバロフスクで買った腕時計。
竜頭を目一杯巻いても1日しか動かない。
1日に5分すすむ。
スマホを持つようになって時計は持ち歩かなくもなっていた。
それでも枕元の置き時計として愛用していた。
ある日、日課のゼンマイを巻いていたら、
「プツリ」と小さな音がしてそれっきり動かなくなった。
時計屋に持っていくと、見たことがない機械に門前払いだ。
枕元の時計はないと思いのほか不便で、新しい目覚ましを買うのもなんだかなぁ
そう思っていて、
フランス在住の画家ノマドさん経営するアンティークのネットショップ、
ベルエポック」さんのことを思い出した。
こちらは質の高い本格的なアンティークで、
私が探しているような時計などの比較的新しい雑貨類は、
サブサイトの「Grange」で扱っておられる。
商品の紹介は相変わらず懇切丁寧で、探し出した古物への愛着が溢れる。
写真も単なる説明の域を出て美しくすらある。
これは日本の室内では出ない雰囲気だなぁと思う。
本当にタイミングよく好みのデザインの時計がアップされたばかりで、即購入。
日本へは10日ほどで届いた。
遠くフランスからの空輸ということもあって、
丁寧かつ念入りな梱包に感心する。
日本ならこの梱包だけで別料金が課せられそうな手間のかかったものだ。
古物を扱うショップの場合、
古いものは磨いたりせずにそのまま送られてくることが多い。
なまじ磨いてアラが見えてくると商品価値が下がったりするからだ。
届いた時計は古いながらもピカピカに磨かれていて、こちらにも感激。

時計を置いて見た。
想像通りの質感と大きさとデザイン。
机の上に、半世紀前の異国の空気が漂う。
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多摩川のシルエット
(ペン、インク)

川のシルエット、というのもおかしな言い方だけれど、
ペンもインクも青一色で描くとそんな感じになる。
早くも今年最高気温となった週末、
なんども描いたこの橋の上からの風景をまた描きに出かけた。
そういえば、青のインクと一緒にセピアも買ったことを思い出した。
セピアだけを仕事場の棚に並べて置いたら、大きな地震が来た。
揺れて落ち、ビンが割れたのは6年前の東日本大震災のこと。

以下は5日のこどもの日に書こうと思っていたこと。
子どもの頃、収集癖があった私は大事なものが手に入ると
それを棚の上に飾ったりせずに、缶などに入れてどこかに埋めた。
まるで犬のような癖だけれど、一週間もすると掘り返して
今度は壊れるまで遊び倒すのだった。
大事にしているようで消費は早く、どれもきれいに残っているものは無い。
それでも当時から今も大事に残しているものはいくつかある。
あるとき、特に大事にしていたキャラメルのオマケのカードを
やはり薬の缶に入れて家の前に埋めた。
団地の周りは芝生が植えられていて、
さらにその周囲にはセメントの杭が突き出ていた。
缶はその杭の横に穴を掘って埋めたのだった。
「宝ものは何番目の杭に埋められている」と物々しく紙にメモしたが、これをなくした。
しかし、たった一つの数字くらい忘れるはずがないと高をくくった。
そのまま何週間か過ぎ、ある日ふたたび掘り出しにかかった。
見つからない。
兄弟総動員してそのあたりにある杭すべて掘り返したが、見つからなかった。
近所の悪ガキの顔を思い浮かべて「あいつが掘ったか」と疑ったりしたが、
やはりわからなかった。

月日は流れ、水道管の工事のため、
そのあたり一帯をパワーシャベルで掘り返す工事が始まった。
私はその場にいなかったのだけれど、
弟がその工事の様子ををじっと見つめていた。
シャベルが何度目かの土をすくい上げたとき、「あっ」と声を上げた。
すくい上げた土の中からぱらぱらと白いカードがこぼれ落ちたのだ。
それは私が以前そこに埋めて見つからなくなったあの宝物だった。
子供のこと、工事を止めてくれと頼むこともできず、
弟は掘り返した土の上に飛び降り、そこに落ちたカードだけすばやく拾った。
工事のおじさんは「こら、危ない!」と怒っただろう。
弟は一目散に家へ駆け戻ってきた。
その夜一部始終を聞いた私は「持つべきものは兄弟」と感動した。
さらに、自分がその場にいたら工事を止めてもすべて回収したのになぁ、
と残念にも思ったものだ。
そのカードは以後埋めたりせずに、今もしっかり持っている。
(コレ↓)
トコちゃんキャラメルおまけカード(森永トコちゃんキャラメル おまけカード)
日本の選手が活躍したリオ五輪も残すところあとわずか。
今まで比較的地味な競技と思っていた卓球とバトミントンが
見ていてこんなに面白いのかと、目を開かされた思いだった。
日本の選手が強くなったことがまず大きいのだろう。
卓球の福原愛選手は競技内容も素晴らしかったけれど、
コート上で見せる所作がとても美しいと思ってみていた。
その人があることに反応しての立ち居振る舞い、
つまり所作を見ればどこの国の人かがおおむねわかるという。
我々アジア人にはイギリス人、アメリカ人、フランス人の違いがよくわからない。
同じ白人同士が一見して米英独仏露の別がわかることがとても不思議だ。
(逆に欧米人には日中韓国人の違いがわからないらしい。)
中にはわかる人もいるけれども、
一般的には服のセンスや髪型、もっと簡単には言葉などを聞いての判断さえ結構危うい。
そういう外見に頼らずすぐにわかる人というのは
やはりその人物の所作を見ているのではないだろうか。
その人の母国を思い起こさせる、内側からにじみ出てくるものとは一体何だろうか。
先日師のU氏をたずねたおりにそういう話題に及んだとき、
アメリカ人の所作は「車からの乗り降り」につきるということだった。
自動車とともに発展してきた国民にとってクルマは靴のようなもので
映画などを見ても、もはや乗り降りの動きをまったく意識させない。
そこに米国人ならではの所作を見る。

話を戻して、競技の世界にいるときの福原愛選手には
日本女性特有の所作を見る思いがする。
それが美しく、なぜだかとてもなつかしいのである。
その点、男性はすでに無国籍化している。
ちなみに男女を問わず、メダルを噛むというギャグはたしか
日本人がはじめたんじゃなかったか。
かっこわるいからそろそろやめてほしいけど。。

リオ卓球

ところで今回の五輪の会場で、卓球会場のライティングと
コートである卓球台のデザインがとてもかっこよかった。
ホテルのロビーにでもありそうな、あんな大きな木製の脚のデザインは見たことがない。
値段もかなり高そうに見える。
そう思っていたら、じつは北海道の三英というメーカーが作った日本製なのだそうだ。
そう思って見ればこのデザインは、とても日本らしくも見える。
同社のサイトによれば、デザインはもとソニーの工業デザイナーで澄川伸一氏、
制作した関連会社の工場は北海道の三英TTFという従業員が15人の小さなメーカーで、
特に脚部は反りの少ない集成材を作るために、
柳宗理のバタフライチェアで有名な天童木工が担当したそうだ。
材質においても特徴的なそのX型の台脚は、東日本大震災被災地の木材を使っている。
日本の選手が男女とも活躍したことといい、なんだかいい話だと思う。
ちなみに私が自宅で使っている古いアームチェアも同社(天童木工)製で、
天童木工など知らない道具屋のおじさんから20年前に1500円で買ってきた。
やはりデザインがよかったので買ったものだ。

リオオリンピック卓球台
Freewheelin' Poster

友人の家に食事に招かれ、帰りにおみやげでボブ・ディランのポスターをもらった。
このポスターの写真は、ディラン2枚目の「The Freewheelin' Bob Dylan」
ジャケット写真を用いたものだ。
この写真に文字を小さく入れただけの何の変哲もないフリーホイーリンのジャケットは、
ジャズやロックなどの優れたアルバムジャケットデザインの中でも、私が最も好きなものだ。
それを知っていて、古い友人はプレゼントしてくれたのだと思う。
これはほんとうにうれしい。ありがとう!


ディランの名前を初めて聞いたのが小学5年の時、
仲のよかった同級生のお母さんが彼のファンだった。
その曲を初めて聴いたのが中学生の時。
私の高校までの洋楽遍歴を並べると、
「映画サントラ」→「エルビス」→「ビートルズ」→「ディラン」→「ディープパープル」
→「JAZZ」 それからはもっぱら邦楽へ、矢沢永吉などなんでも聴いて今に至る。
難しいものは聴いていない。
当時は曲を聴こうにもレンタル店などないから3000円近くもするレコードを買うか
持っている友人に借りるしかない。
聴く範囲は簡単には広がりようがないのである。
今40代以上の世代にとって、自分がこれまで聴いてきた音楽はすべて
iPodひとつの中にすべて納まってしまうというのが、一般的な音楽歴ではないだろうか。
映画だって、TVの吹き替えを見るか、劇場へ足を運ぶしかない。
レコードをバンバン買えるリッチな友人を持つか、映画館を親戚に持つ友人がいればラッキーだ。
私は後者の友人に恵まれた。
しかもこのポスターをもらったのは、その友人からであり、例のボリウッドマンである。
ちなみに彼はディランのかなりコアなファンだ。
86年の来日の時にはこれがなぜか最後になると思い、大阪と東京のすべての公演に彼は行った。
以後、予想は外れて数年に一度来日し、
94年には故郷奈良でも歌うというサービスぶりだ。

中学三年のとき、FMで2週間だったか毎週だったか、
ディランのすべての曲(当時は「欲望」まで)をオンエアするという企画があった。
夜中1時過ぎからの放送を高校受験の直前にもかかわらず、眠い目をこすりながら録音した。
これも今のようにタイム予約録音などできないし、
録音するカセットテープは放送途中に一度裏返さなくてはならない。
曲目もナレーションを聞きながら手書きでメモをとらねばならず、
放送が終わる3時近くまでずっと起きていなくてはならないのは、
その夜はもちろん、翌日の授業中に襲ってくる睡魔と戦う、苦行に近かった。
だからといってコアなファンかというと、
ディランに関する本は一冊も読んでいないので関連知識は無に等しく、
「欲望」以降はほとんど聴いていない。
フリーホイーリンのジャケットに関しても、詳しいことは何も知らなかったのだ。

Wikipediaによると、隣の女性はてっきりジョーン・バエズかと思っていたら、
1963年当時の恋人、スーズ・ロトロなのだそうだ。
あまりに簡単にわかったことに驚く。
これでは近いうちに紙の百科事典は無くなるだろう。
CBSの専属カメラマンのドン・ハンスタインは1963年、
ふたりが住む安アパート近くでこの写真を撮った。
ネットにはさまざまな別カットがアップされている。
はじめて気がついたのだけれど、地面には雪が残っている。
どうりで寒そうにしているはずだ。
コートをあえて着せなかったのは、前作のジャケット写真とダブるからだったのか。
(そのデビュー盤ジャケットに写っているディランは相当に田舎くさい。)

昔の恋人とともに仲良く写っている50年前の写真、
ディラン本人はこれを見て今、どう思うのだろうか。
スーズ・ロトロは17歳でディランと出会い、写真は20歳の時のものである。
晩年ブッシュと共和党を批判し、2011年に亡くなったそうだ。
Freewheelin' アルバムジャケット
セガレがまだ小さい頃だから、5〜6年前のことである。
二人を連れて、その日は東へ向かう地下鉄に乗っていた。
奥さんがいたら必ず車に乗って出かけるので、その日そこにはいなかったはずだ。
その時向かいには和服を着た年配の女性がひとり乗っていた。
セガレたちはふだんは乗らない電車に乗って、いつもよりおとなしくしていた。
着物の女性はセガレたちをじっと見つめていたが
やがて手提げの中に手を入れて、なにかを探っているようだった。
次に腰を浮かし、こちらのセガレたちに向かって
今手提げから出したその手を握ったまま、ぐっと差し出してきた。
「おあがりなさい」
セガレたちの手のひらに乗っていたのは氷砂糖だった。
私自身が氷砂糖を見たのも、それをおやつとしている人を見たのも
ずいぶん久しぶりのことだった。

そんなことを思い出すと、氷というよりあの粉を吹いたガラスのようなカケラを
口に入れたくなってお菓子屋へ向かった。
はたして梅酒用以外にお菓子として小袋で売っているんだろうか。
心配にはおよばず、コンビニにはなかったものの
意外にも大手スーパーのお菓子売り場にちゃんと並んでいた。
しかもただの砂糖のかたまりにすぎないこの飴が
いろんな風味のついた今ふうのシュガーレスキャンデーなんかより4割方高いのである。
自分が買いに来てなんだけれど、買う人の顔を一度見てみたい気がする。
子供の時と何ら変わっていないように見える氷砂糖もよく見ると変化がある。
昔は一つ一つ氷の形に成形されていたように思うが、今のは大きな固まりを砕いたように見える。
粒のサイズに小さくはないばらつきがあって、子供には食べにくい大きさもあるようだ。
製造過程の効率化がこんな氷砂糖にも及んでいる。
うちでは梅酒なんかも造らないのでもう二度と買わないかもしれないと思い、
長く使っていなかったオイルパステルを引っ張り出して、
比較的大きさが近い氷砂糖を三つ並べてそれを描いた。
オイルパステルはソフト〜と違い、フィキサティーフをかけても色が変わらず、
定着もしっかりできる。
こちらも意外に使い勝手が良いことを再確認。

氷砂糖
(F0、オイルパステル)

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