薄雪の風景 2018
(水彩、パステル、木炭)

「薄雪」といってもこの後は大雪になり、
都心としては4年振りに20cmを超える積雪となった。
帰宅後、マンションの雪かき。
スコップに乗る雪は、そのふんわりとした白さとはうらはらに、ずっしりと重かった。
都会というのは雪の経験が生かされない場所だ。
雪に弱いとわかっているのにほとんど無力のまま、毎年やり過ごしている。
東京へ来た頃とほとんど変わらない。
しかし地方の雪国も、対策事情はそれほど変わらないように思える。
毎年屋根に積もった雪は手作業でかきおろし、毎年足を滑らせたお年寄りが亡くなっている。
2018年に至っても、この分野に革新が起きないのはどういうわけだろう。
ただ、変わらないだけに雪の日の風景はいつも、どこか懐かしい。
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日比谷公園
(ガッシュ)

大寒の日もそれほど気温は下がらなかったようだ。
雪がチラチラした一週間前のほうが冷えたように感じた。
先週、映画の帰りに日比谷公園へ立ち寄って公会堂を描いたものの
どうもうまくいかず、週末ふたたび出かけた。
LIVEレコードのクレジットでよく目にした日比谷公会堂は、
昭和育ちの人間にはあまりにも有名なホールだ。
私のような地方出身の人間から見れば華やかな印象がある一方で、
昭和35年に当時の社会党浅沼委員長が右翼の少年によって刺殺された暗い歴史もある。
現在の右傾化した政権がどんどん肥大化していく様を見るにつけ、
歴史とは一体なんなのだろうと思ってしまう。
政治家が変わったのはとりもなおさず、日本人そのものが変わったからなのだろう。
「米国の北朝鮮攻撃を支持」という言い方にせよ、
「戦争も辞さず」というような世論が国民の半数近くに登るなど、
以前なら考えられなかったことだ。
こういう声が近い将来、憲法と国の形を変えてゆくのかと思うと、途方に暮れる。

公会堂は正面の公園側から見るとそれほど大きくない印象を受けるけれど、
背後の時計台のある(以前描いた)市政会館とは一体で、
会館側から見ると、今なお偉容を感じる。
補強工事のために随分前から閉鎖されていて、
クラシックな建物の周囲を歩く人影は少ない。
スズカケノキやケヤキの立派な大樹に囲まれて、建物は枝の網目に隠れた印象だ。
振り返ると、公園の樹影に溶け込む日比谷のビル街の風景が
すでに絵として出来上がっている。
出来上がっているものを描くのは気が引けたけれど、夕暮れも近い。
階段のコンクリ柵に腰を下ろしてスケッチブックを開いた。
描いているうちにも公園の街灯にぽつぽつ灯が入った。
二日後、関東は冷え込み、大雪に見舞われた。
川沿いの遠景、近景
(ペン、色鉛筆)

阪神淡路大震災から23年、NHKスペシャルの「遺児たちはいま」
小さな子供が誰かを思いやり、彼らはすでに一人の人格を持って生きている。
ざらつく世のすみっこに、
消えそうで消えないロウソクの灯のような話がつづられていた。

時間が前後するけれど、奈良から東京へ帰ってきて最初に描いたのは
今年もやはり多摩川の河原。
近くで親子が凧揚げをしていた。
この日はあたたかかった。

奈良からは新幹線には乗らず、在来線で10時間以上かけて帰ってきた。
各駅停車か、せいぜい急行を乗り継ぐのんびりとした列車内で、
駅弁を食べながら車窓風景を描きながらの旅を楽しむつもりだった。
ところが名古屋を過ぎるあたりから混み始め、
静岡以東は満員でスケッチどころではなくなった。
そんな車内で駅弁を広げる乗客などいない。
ここは超伝導のリニア新幹線がやがて走る。
スケッチのペンが走るローカル風景が広がっていたのは、
近鉄線に乗って移動した、奈良から名古屋間までだった。
このあたりの冬枯れの景色はなかなかよかった。
この間は笠置から伊賀上野を抜けるJR線でも旅の風情がある。
独り者だったら三重に入る前に降りて、ここで宿を取ったかもしれない。
そんなことをぼんやり考えながら窓の外を眺めていた。
青山高原あたりでは雪も降り出した。
石神井公園(色鉛筆)

昨年末に野見山暁治さんの講演会に申し込んだら、思いもよらず抽選に当たった。
私にとってうれしいお年玉で、週末石神井公園内にある文化園分館に出かけた。
着いたのは5分前だったけれど、並んでいたのは6人ほど。
運良く最前列に座れた。
これまで回顧展を見て、どの著書も愛読していたけれど、
ご本人の声を直接聞く機会を得たのは初めてだっただけにとてもうれしかった。
講演のお題は「12年間のパリ暮らしとコミちゃんの思い出」
同じ館内で開催されている「作家の手紙展」に、
若き日の野見山さんが留学先のパリから日本の妹夫婦、
とくに妹さんの亭主である義弟の故田中小実昌に宛てた手紙の展示にちなんだものと
新刊の「アトリエ日記」のPRを兼ねての企画である。
お話しはほとんどが「コミちゃんの思い出」についてだった。
公演後、本の販売とサイン会が催された。
すると、立ち上がって「本は買わなくて良いんですよ」と
声を上げておられた野見山さんの表情は、真剣だった。

初めて見る野見山さんは想像通りの小柄なおじいさんで、
ちょっとした所作の品の良さは、若い日のパリ暮らしで身につけられたものだろうか。
年齢に比してしわの少ない、細い指を持った小さな手をしておられた。
野見山さんは数年前の日曜美術館のときに比べると、少し脚が弱くなられたようだ。
それにしてももう97歳である。
杖も車いすも使わず登壇されるのは驚くばかりで、
そしてもうひとつ驚いたことに、私と同じMERRELの靴を履いておられた。
実はその靴は、辺見庸さんも同じのを履いている。
どうでもいいことだけれど、本当に履きやすくデザインも良い靴である。

田中小実昌と言えば私にとっては今東光らとの野良犬会の面々としてはじめて知った。
今から35年前になる。
野良犬会の屏風の寄せ書きに、田中小実昌さんは「わん!」と書いていた。
野見山さんの著書ではやはりその通りの奇人として描かれていたけれど、
一番印象に残っているのは戦時中のエピソードだ。
中国の内陸に一兵卒として駐屯していたとき、
近隣の農家からおそらくスパイ容疑なんかで引っ張ってこられたのだろう。
ある家族が廊の中に入れられて、小実昌さんは夜の見張りをさせられていた。
ところが小実昌さんが見張りの時には、いつも夜中に居眠りしてしまい、
捕虜はその間に全員逃げてしまうのだった。
皆、翌朝には死を逃れられない農民たちだった。
「帝大の学徒動員だった彼がついに終戦まで二等兵だったのにはまず考えられないことで
その理由はこのあたり、じっくり考えてみる必要がある」と、野見山さんは書いていた。
小実昌さんは「眠っちゃうんだよね」くらいしか語らなかったそうで、
ご本人の戦争体験を書いた作品をいくらか読んでみたけれど、
そのことは書いておらず、今回もその話は出なかった。

テーマは「12年間のパリ暮らしとコミちゃんの思い出」だったけれど、
お話しのほとんどは「コミちゃんの思い出」だった。
あらためて、本当に変わった人だったようで、
なおかつ多くの人から愛されたこともよくわかる、いいお話しだった。
野見山さんは話の途中、何度も「こんな話、面白いですか」と言っておられたけれど、
退屈した人は一人もいなかったように思う。
会場には野見山さんと仲の良い入江観さんも来ておられた。

帰宅後、記憶を元に今日聞いた話を再現、記録してみた。
最近記憶力にはほとほと自信がなくなってきて、
おそらく1割も思い出せないだろうと思って書き始めた。
すると予想に反して、話の順番や細かいところはともかく、
20代の頃のように、大事なところはほぼ再現できた。
講演中、撮影も録音も禁じられていたので、
藤本義一さんのトークショーの時のように、いつか記録としてアップできたらと思う。
帰ってから財団のお知らせを見たら今日の講演のことが出ていて、
スナップ写真の端っこに、私の頭が少しのぞいていた。

20180113-2.jpg
私も買いました。
雪雲
(ガッシュ)

その後は外に出ず父と過ごし、ベランダから春日山方向を描いて終わりにした。
その下の町に雪を降らせているらしい雲が、東の空に浮いている。
ここから見ていると雲、陽の光、
奈良盆地のゆっくりとした自然の時間の流れを目で追える。
空が広い。
一週間はあっという間に過ぎて明日は東京へ向かう。

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