東京湾をゆく船-45

東京湾をゆく船-44(オイルパステル)

今日も朝から暑い。夏だから。
朝は運動不足解消のため、
自宅から仕事場までおよそ3.5kmの道のりを歩いて通っている。
かれこれもう10年になる。
仕事場に着く頃には汗まみれになっているので、
服装は短パンにTシャツ。
機能性を優先してのスタイルだ。
しかし一日パソコンMacの前に座り、人に会うことの少ない仕事なので
その後もそのスタイルのまま過ごすことが多い。
一度、セガレの同級生のお母さんに朝見られて、
「失業者では」と疑われたことがある。
「毎日どこへ行ってらっしゃるんでしょう」
これで公園で座っていようものなら言い訳は言い訳にならない。
いい歳の男が平日の昼間にここのベンチに座っていたら、
まず見られるのは二通り。
カジュアルな格好なら失業者か不審者、
スーツを着ていた場合には「終わった人」と見られかねない。
男というのは本来くつろげる場所であるはずの公園で、
油断も休憩もできないのである。
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電柱(オイルパステル)

この暑さ、エアコン無しで過ごせるのだろうか。
今日、東京は34度まで気温は上がったけれど、
それでも猛暑日には届いていない。
昼前にはすでにこの気温になっていた。
部屋では横になっているだけで動くのが嫌になる。
外だったら、そこで肉体労働をしたらどんな気分なのだろう。
若い日に経験した記憶は言葉としてはすぐに出てくるけれど、
実感として思い出すのは真実なのか、こころもとない。

横になったまま時計は4時を過ぎた。
少し夢をみた気がしたけれど、記憶は暑さの中で蒸発した。
風が熱風からややおだやかに感じ始めたので起き上がり、窓の外を見る。
雲のない空にも色のニュアンスがあるのを見つけると、
今度はじっとしていられない。
パステルの入った缶を取り出し、手早くスケッチした。
新国立競技場
(オイルパステル)

私は今も2020東京五輪はやるべきじゃなかったと思っているし
今も止めるべきと思っている。
「五輪開催」を理由にいくつものひどい法案が通されたこと、
ここ新国立競技場建設予定地ではたった半月のお祭りのために
30年以上住み慣れた住民が問答無用で立ち退きさせられたことなど、
東京五輪がなければ起こらなかったことだ。

新競技場は驚くほど工事が進んでいた。
そこにあった駐車場で毎週のように開催されていたフリーマーケット、
思い出すことも多い。
その横にはオレンジ色の壁の古い団地があった。
どちらも今は無い。
たしか、新たな設計案は「木造」とはいわないまでも、
木の素材をふんだんに使って「和」のイメージをアピールする、
そういうことだったと記憶する。
工事用ネット越しに見える構造物は、コンクリートと鉄骨しか見えない。
出来上がったときには木造や屋上庭園に見えるほど木の部分が多くなるのだろうか。

3年前、最初の設計者ザハ・ハディド氏の提案や言動は
ことごとく否定的に扱われていた。
今一度ネットで建築家らの意見を読んでみると、
氏に対しての擁護論がすごく多い。
W杯で予想外の健闘をしたサッカー日本チームと解雇された監督の関係のようだ。
ザハ氏が急逝する直前、氏は新設計案に対して自分の設計案の盗用疑惑を訴えていた。
建築家の伊東豊雄さんなどは、
基本構造の6本の柱の位置や地下通路、トイレの数と位置まで
ほぼ一致しているのは通常まずあり得ないと指摘している。
問題になったコストを下げるには、すでに発注済みだった素材を
使わざるを得なかったのではないか、と推測している。
再度コンペを行って決まった建築家と組んだのは
ザハ事務所と組んでいたときと同じ施工会社だ。
しかし、基本構造に違いがなくとも、
外側の化粧板でまったく違うデザインになる建築物というのは
いったいなんなのだろう。
再度の建築コンペは、審査方法についてなんの検証もなかった。

国立競技場は新たに作らなくてもいいんじゃないのか
そういう声が上がったときにすでに旧競技場はなく、
コストダウンしながら競技場のデザインを詰めていくべきでは
と言い始めたときには建築家はすでにいない。
新競技場は着々と工事が進んでゆく。
京湾をゆく船-42

日本チームのサッカーロシアW杯最後の試合は予想をふたたび裏切り、
過去最高の素晴らしい試合になった。
岡崎が、長谷部が、そしてたぶん香川や長友がいた日本チームを
W杯で見ることができるのもこれが最後だろう。
思えばスポーツ選手、とくにサッカーの選手寿命というのは短い。
鮮烈な代表初ゴールをした時の香川選手のデビュー風景がつい昨年のようだ。

20年ほど前まで日本は、W杯に出場すること自体が悲願だったのだから
それを思えば優勝候補のベルギーとの試合は隔世の感がある。
そのあと行われた他の国のチームの試合が下手に見えるほどで
この日本チームをそのまま冷凍保存できないものかと思ったりする。
世界の人たち、ポーランド戦のことはこれで忘れてもらえないだろうか。。
東京湾をゆく船-39(オイルパステル)

最近はめっきり少なくなった電話ボックス。
ついこないだまで、渋谷はハチ公前の広場の端に10個ものボックスが並び、
さらにその前を電話待ちの人の列が長く続いていたことが夢のようだ。
今もNTTは少なくなったとはいえ電話ボックスの維持と管理を義務づけられている。
使っている人など最近見たことがない。
月に一度くらい、10円玉を回収に行って、いくら入っているのだろう。
回収の人の手間賃はおそらくまる赤字だ。

赤瀬川原平さんが、
生まれて初めて電話ボックスに入ったときのことを書いている。
初めて電話ボックスに入ったとき、
ドアを閉めると密室となって、外の音がびしっと遮断されてかなり緊張を強いられた、
とあるのはなんだかよくわかる。
そのとき、終戦直後に飛行場の隅っこに放置してあった
戦闘機のコックピットに入ったときのことを思いだしたそうだ。
そのくだりを読んだとき、乗ったこともない「戦闘機のコックピット」の
中の臭いまでがまざまざと思い浮かんできた。
機械といっても目の前には電話が一台あるだけだけれど、
それは国の管轄する鉄の塊の機械である。
ちょっとやそっとでは壊れそうにない、タフな構造に見える。
しかも大人の臭いがする。
それはつまりたばこの煙の臭いだったのだろう。
目の前にあるその機械と一人で対峙すると、子どもにはどきどきものだ。
その上には警察へ直結する赤い小さな電話機が乗っている。
こちらのメカはさらにどきどきさせる。
この箱についた小さなダイヤルのメタリック感は、
警官の持っている手錠や銃を思い起こさせたものだ。

ところで逆に電話ボックスを思い浮かべると、私は中古車の室内を思い出す。
中古車といっても売りに出ているようなきれいな車ではない。
小学校の頃、町内の行き止まりになっている道路の奥には、
よく動かなくなった廃車が放置してあった。
なぜか、豆自動車と呼んでいたマツダのR360クーペや
三菱のミニカのバンなんかが多かった。
余談だけれど、米屋のオヤジさんって、このミニカみたいな顔をしていた。
三菱ミニカトラック

今見てもハンドルを握る人の顔がそのまま車になったようなフロントグリルだ。
長く放置してあると、子どもたちがいろいろいじった末に窓とドアをこじ開け
ハンドルを握って遊び倒す。
こうなるとそのうち、タイヤがなくなる。
古い車の中は、たばこ臭さと内装のビニールの香りの混じった独特の臭いがある。
今もあるプラスチック張りの電話ボックスではなくベージュに赤の帽子をかぶり、
手をかける穴のあいた古いタイプのは、それと同じ臭いがした。

赤瀨川さんはさらに電話ボックスの密室性に対し
その後増えたむき出しの公衆電話を、飲み屋のカウンターのようだという。
ちょっと一杯引っかけていく感じで、コインを入れてひと言二言。
酒と電話は似ているという。
するとケータイは酒瓶をポケットに入れて持ち歩いているようなもので、
これではアル中になってしまう。
ケータイ依存症だ。
うまいこと言っている。

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