奄美の杜

週末に田中一村を取り上げた番組を見た。
最初に見たのはもちろん日曜美術館で、
当時番組が発掘した無名の画家として大きな話題になった。
作品集はすぐに購入して食い入るように眺めた。
(30年前のNHK出版のこの本、今見ても印刷の色がすばらしい。)
その後、何度も田中一村の番組を見たはずなのに、
今なお見るたび胸につまる。
田中一村、私が高校生の頃はまだ私と同じ空気を吸い、
奄美大島に生きてあの作品を制作していたのだ。

どの分野であれ、新しい表現というのは常に追求される。
とりわけ日本画というのは難しい。
遠目には油彩画との区別が難しいものもあって、
画材による日本画、洋画の区別自体がナンセンスとも言われる。
一村の作品を前にすると、「新しさ」とか「リアリティ」とか「個性」とか、
そんな言葉がどうでもよくなってしまうような、画そのものの力がある。

略年譜
田中一村、明治41年7月22日栃木県都賀郡に彫刻家の長男として生まれる。
大正15年、東京美術学校に、東山魁夷や橋本明治らと同期で入学しながら、
結核を患って3か月で退学。
昭和22年、青龍展に出品した作品をめぐり、川端龍子と意見を異にし、
以後画壇との接触を断つ。
昭和33年12月、奄美へ
以後5年働き、3年絵の制作に没頭する生活をおくる。
昭和51年、軽い脳溢血で倒れ、画業はかどらず。
翌年、奄美での全作品を持って上京、友人に見せるもふたたび奄美へ持ち帰る。
この時、一村の作品に光が当たる唯一のチャンスだったことになる。
その4か月後の昭和52年9月11日 名瀬市有屋の自宅で
夕食の準備をしていたところ心不全で倒れ、69歳の生涯を閉じる。
(「田中一村作品集」NHK出版より抜粋)

奄美の杜2

一村は絵の制作について語ったことがある。

(日本画は)一気呵成に線を引かねばならないので、
極度の緊張と精神の集中を要します。

絵描きは血圧が上がらなければいい絵は描けません。
まず左目で三時間画布を見つめます。
そうしますと血圧が上がってまいりますので、一時間くらい氷で額を冷やします。
それから右目でまた三時間画布を見つめます。
やっと中心が決まりますので、点を打ちます。

(自分の絵を見るときの一村の様子)
正座したランニング姿は総身鳥肌立ち、血管は怒張し、
こめかみはピクピクと脈打っているのです。

一村の生活と制作の様子をゆかりの人たちがそう言い残している。
その画家はどうしてこのような最後を迎えなければならなかったのだろう。

「パンツ一枚で四.五畳の北西角に、西側に頭を向けてうつぶせに倒れ、
 顔をやや北側に向けて死亡していた。
 死者の近くには現金八万円、合計二百二十五万円の定期預金通帳」
近くには刻んだ野菜のはいったボールが転がっていた。
冷蔵庫の中には、牛乳一本と、煮た南瓜を練った手製の保存食があった。
一村が「極めて低い賃金でした」と語った当時の職工の日当で
昭和の40年代のお金で二百万円以上蓄えるために実行された
節制の厳しさを想像する。
そしてふたたび制作に取り掛かろうという時、一村は亡くなった。

その終の住処を1997年頃に私が訪れた時は、
どういうわけか、整備された公園に移築されていた。
芝生の脇に立ったヌケガラの小屋は
在りし日の画家の痕跡を留めているとはとても思えず、
そこまでやって来た自分は肩すかしを食ったような気分だった。
島内では当時、作品を展示している場所はなく
一村の実際の作品を初めて目の前にしたのはそれから10年後だった。

一村に実際に会った人は、一目見て皆襟を正すほどの目と佇まいだったという。
その作品群もまた同様だった。

1997_奄美
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会期の後半、作品の入れ替えがある長谷川利行展にふたたび出かけた。
水彩が少し増え、油彩は少し入れ替わっていた。
代表作は残っていて、良いものは何度見ても良いものだ。
「荒川風景」「少女」「大和屋かおる」「新宿風景」「ノアノアの少女」
どれもいいなぁ、とため息が出る。

帰宅したら郵便が届いていた。
このBlogをすべて読んでくださった方がいて、
お便りとともに一冊の写真の作品集を送ってくださった。
塩谷定好という、日本の写真黎明期に鳥取県で活躍した写真家のものだ。
とても素晴らしい作品だったので、ここにご紹介します。

塩谷定好-3

塩谷定好(しおたに ていこう)は1899年鳥取県に生まれ、
生涯そこを離れることなく山陰地方の自然を撮り続け、
1988年89歳で亡くなったとある。
そういう意味で植田正治と似ているけれど、
同じく鳥取から出ずに世界的な写真家になった植田は
同郷の先達である定好を、神さまのように尊敬していたということだ。
ベス単と呼ばれるコダック社製の小型のカメラで
身の回りにある風景、人、静物を、奇をてらうことなくありのままに撮り続けた。
その信念は
「自然を受け入れ、素直な表現を心がける」
「作品に詩情がなければ、対象物の複写に過ぎない」だったとある。

私はその名前を、いただいたこの作品集ではじめて知ったのだけれど
表紙の海辺に張り付くような民家の屋根の風景写真と
少々いかつい感じの写真家のセルフポートレートに見覚えがある。
日曜美術館のアートシーンか、数年前行った植田正治展で見たのだろうか。
一目見て忘れられない強い印象を持った。
絵も写真もそうだと思うけれど、
どこにでもある風景を撮影し(描い)て、
なお魅力あるものにするのはとても難しい。
塩谷定好の写真を見ていると、そのありきたりの風景がたまらなく愛おしく感じる。
後進に対して語った
「何気ない日常生活の中に美を見出すことが大切で、
 何も遠くに行って写すことはない。題材は身近にある。
 その中に美を見つけ出す感性を磨くことが重要である」という言葉が印象に残る。

ところで最近出た故安西水丸さんの新刊「鳥取が好きだ。(河出書房新社刊)」は、
氏が若い時から生涯にわたって敬愛し続けた鳥取県の民芸について綴られている。
民芸とは「用の美」に尽き、「不易流行」の原点であるという。
だから器を選ぶ基準は
「この器でカレーを食べたい」「このぐい呑みで、あの酒を飲もう」なのである。
話はちょっとずれたけれども、民芸運動の祖、柳宗悦が
天下の名品と言われる井戸茶碗を初めて見たときに
「なんと平凡な」と思わず口にしたという。
この「なんと平凡な」というため息にも似た言葉が鳥取の民芸に向けられたとき
塩谷定好の写真にも当てはまるような気がしてならない。
定好の写真は鳥取美術館博物館のサイトなどに出ているからそちらを見ていただくとして
一点、いや二点だけ、私がとても好きになった写真をアップしておきたい。
この風景、なんと平凡なのだろうか。
塩谷定好-1
塩谷定好-2

末尾にて、K様、ありがとうございました。
柚木沙弥郎展

週末、柚木沙弥郎展に出かけた。
会場の日本民芸館に出かけたのも初めてだ。
こんなに近くにあったのなら、もっと早くに行けばよかった。
先週日曜美術館に紹介されたこともあってか、
それほど大きくもない会場は人が押し寄せて、さらに狭くなっていた。
午後遅めに出かけたので、第二会場の西館の観覧はそうそうに諦め、
本会場の本館をゆっくり見ることにした。
柚木作品は、生活のどこかに張り付いていそうな、
既視感のあるシンプルなフォルムと色使いが魅力だ。
会場の民芸館は、日本だけでなく海外の民芸品も陳列されている。
会場正面に天井近くから垂らされた大きな染色作品は、
先週の日曜美術館でも紹介されていたものだ。
宅急便送り状の裏(カーボン部分)など、ほかの誰が目を留めただろう。
こんなにモダンな作品に昇華されている。
会場二階に、アフリカのバウレ族の仮面と並んで、染色された一枚の布が下がっている。
ハービー・ハンコックのレコードジャケットで有名なマスクだ。
どちらも負けていない。
シンプルとシンプルとの対比で相性がいいということもあるけれど、
国も民族も超えて調和しているのには感動する。

その作品、造型が本物かどうか、
基準の一つとして、たとえばこんな土着美術と並べてみるといいかもしれない。
ピカソのキュビズム作品への啓示を与えたアフリカのマスク。
それと一緒に並べてみて一歩も引かない強い造型とは、
(相性というものもあるけれども)やはり強いに違いない。
またいつだったか、神田の額縁屋さんの主人に、こんな話を聞いた。
「仕上がったキャンバスを金の額縁に入れてみて
 それに負けない作品ができていれば完成だ」と。
立派な額縁に入れてそれに負けているようでは、作品としてはまだまだだよと
そういうことを言われたのだと思う。
どちらの話にも相通じるものがある。

府中市美術館へ「長谷川利行展」を見に出かけた。
18年振りの回顧展なのに、今のところまだ空いていてゆっくり見られる。
思いうかぶ利行のいい作品はほとんど見ることができ、
近年発見されたものも公開されている。
日曜美術館でも1978年以来40年振りに取り上げられたのも昨年なので、
会期が短いせいもあって、大きな宣伝はなかったようだ。
ともあれ、これは長谷川利行の最高の展覧会だった。

長谷川利行展
(「ぶらり、いこう」ここの美術館の宣伝コピーは駄洒落が多い。
 ※写真右のような、無料でしゃれたお土産がある。)


2000年の展覧会を見ていないのでその間、
作品集や図録を見るだけだった。
目になじみのある作品の実物が目の前にズラリ並んだ様は壮観。
「大和家かほる」や「安来節の女」「Y子の像」の並ぶ壁の隣に、
「酒祭り・花島喜世子」と地味だけれど好きな「四人裸婦」がかかっていて、
長く待っていた身には目がくらむような展示だ。
「大和家かほる」と「安来節の女」は思っていたよりも大きく、
大作「赤い機関車庫」と「夏の遊園地」には圧倒された。
(「夏の遊園地」は40年振りの公開)

赤い機関車庫
(「機関車庫」1928年)

夏の遊園地
(「夏の遊園地」1928年)

どちらも利行にしては例外的に大きな作品ながら、
緩んだところが広い画面のどこにもない。
やっぱりすごい。
私が最も好きな利行作品、「少女」と「荒川風景」も出ている。
想像していた通りの大きさ、いい作品だった。
「少女」は収蔵先の群馬県立美術館のWebサイトにアップされている画像が
全体に青っぽかったのを、印刷時の色かぶりだとばかり思っていた。
今回実物を見て、本当に青っぽい作品だったのだとわかった。

晩年の白い風景画は、実はこれまでちょっと苦手で、
画集でもさっさとページをめくっていた。
今回作品の実物を見て、このはかなげな作品の美しさを見直した。
今回の図録を見ても写真ではやっぱりいまひとつで、
これら白い風景画は実物を見ないとその良さはわからなかった。
キャンバスの地色のままとも思える白地に少量の絵の具で描かれた
線画にも見える画は、毛筆に通じる線の画家、利行の世界がはじけている。

ネット上には長谷川利行について、いろいろな記事が出ているけれど、
最も充実した内容をアップされているのが「今日も日暮里富士見坂」。
ここを読めば、利行に関してはまずなんでも記載されている感じだ。
これまでの伝として、利行は終焉の地である板橋の養育院で息を引き取った後、
最後まで持っていた作品を含むすべての持ち物を焼却処分されて、
一切が無に帰したと伝えられてきた。
ところが上記のサイトによると、その焼却されたと思われてきた作品が、
驚くことに実は現存することが、最近わかったとある。
スクラップ帳に貼り付けられたような作品らしいけれど、
今回の展覧会には出品されていなかった。
私はこの作品帖を、以前見ているかもしれない。
7年ほど前、東京駅地下街にある古書店を覗いたときのこと、
ガラスケースの中に恭しく展示された、
少し大きめの単語帳の束のようなのが陳列されていた。
開いた一番上の絵しか見えなかったけれど、
キャラメル箱くらいの大きさしかないそれらの画は少ない色数で描かれた、
西洋のイコンのような画だった。
「長谷川利行作」とあって、確か950万円の値がつけられていたと思う。
同時期にネットの「日本の古本屋」にもそれとおぼしきものが、
やはり同じ値段で出ていたから、記憶している人もいるかもしれない。
それがその作品だったかどうかはわからないけれど、そんなことがあった。
値段に腰が引けて見せてもらうことも、話を聞くこともしなかったのが
今となっては惜しいことをした。

本展覧会は利行が好きな人には必見なのはまちがいない。
難を言えば、一つは素描の展示作品が少ないこと。
もう一つは図録の色とレイアウト。
最近の傾向として本棚に収まりのいいB5サイズはやや小さめだ。
ハードカバーの造本は立派で、表紙デザインやしっとりした紙の質感もいい。
ところが、中の作品の写真の色が実物とかなり違っている。
全体にコントラストが強めで鮮やかすぎたり、
逆に赤が茶、ブルーがグレーになって、彩度がかなり落ちていたりする。
実物を見ている人が色のチェックをしていないように思う。
そして、作品の写真が小さいこと。
比率を厳密に合わせる必要はないと思うけれど、
利行最大の作品「機関車庫」がガラス絵の作品より小さかったりする。
印刷技術はずっと向上しているはずだけれど、
今一冊だけ持つならば2000年の図録のほうを選ぶかも。
ただ、ハードカバーながら値段が2300円と安いのでつい買ってしまった。

長谷川利行展図録

美術館まではちょっと遠いけれど、なんとかもう一度出かけたい。
長谷川利行展 Webサイト
会期
2018年5月19日(土曜日)から7月8日(日曜日)まで
前期と後期で作品の入れ替えがある。
月曜休館
観覧料 一般900円でこれも安い。
東京湾夕景-02(オイルパステル)

在りし日の石牟礼道子さんがTVのインタビューでこんな話をしていた。
行政へ(チッソの会社だったかもしれない)の抗議の座り込みをしていた、
ある冬の夜明けのこと、
ふと目をあけると目の前で子猫がフンをしていた。
子猫はそれに砂をかけようと、アスファルトの地面を懸命にツメでかいている。
議事堂にもほど近い都会の道路には砂などないわけだから、
フンはいつまでもそこにあるのだった。
石牟礼さんと目が合ったのはその時で、フンが晒されたままになっているのを、
子猫はさもみっともないかのように恥じた表情をしたという。
こんな小さな生き物が、自分の排泄物を人目にさらすことを恥じている、
そのことが今も忘れられないのです、と言っていた。

次から次へ、優秀な頭脳も単なるオヤジみたいなのも、
自分がヒリ落としたものを見せて恥じるところがない点で「類」であり、「友」である。
どうやら彼ら自身は、ほんとうは何も悪いことをしていない、
そう思っているじゃないだろうか。
でないと、2年前から現在にいたる面々の、
繰り返されるあの態度と言葉の説明がつかない。

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