画家のノート

以前からこの本が欲しかったのだけれど、
長く絶版になっていて、一昨年あたりにようやく、しかしひっそりと再版された。
(現在ふたたび絶版)
定価が元々が5000円、復刊も6500円近い。
古書価格も同じくらいする、かなり高価な本だ。
活字が小さい上に400ページもある大著で、
はたしてこれを今読み切れるかと腰が引けてもいた。
たまたまネットに1500円で出ていたので、少し迷って購入した。
なかなか買えない本が安く出ていると、「読めるかな」と思っていてもやはり買ってしまう。
初版1978年当時の5000円はかなり高い。
矢内原伊作著「ジャコメッティとともに」はいまだ再版されない稀覯本だけれど
これは似た内容の「ジャコメッティ」(みすず書房)が出ていてすでに読んでいた。
にもかかわらずこれも以前、1500円でネットに出ていたのを見つけて買った。
初版時は1300円。1969年であればこれもまたかなり高いはず。
40年、50年後の6000円や4000円はむしろ安くなっているのだろう。
安西水丸著「青の時代」も新装版ながら3000円で買った。
割安で買ったことを自慢しているのはどうもみっともない。
しかし買った身にはやはりうれしいもので、
届いた封筒を開くときの気分といったらない。

「画家のノート」、ちょっと拾い読みしてみたけれど、
こういう美術書というのは作家ではなくて研究者が書いたり訳したりする。
そういう文章はとても読みにくいことが多い。
もちろん読解力の問題もあるが、それはたとえば学校で英語の授業の時に読み上げた、
いわゆる直訳のような硬直した言い回しに近いように思える。
「翻訳された文章を読んでそれがよくわからなかったり意味が通りにくかったりしたら
それはほとんどの場合、翻訳がおかしいのだ」と、
キャパの自伝を苦労して翻訳した沢木耕太郎さんが書いていた。
私はこちらの説を採る。

「画家のノート」冒頭は聞き書きしている執筆者(名前は書いていない)
の独白にはじまっていて、ここはとても読みにくそうだ。
しかし文章がマティスの言葉にうつると
「絵は1日の仕事で疲れ切った現代人の頭脳にとっての鎮静剤であらねばならない」
とじつに明快だ。
描く画家は明快な画を描いているつもりだったけれど、
ルノワールにマティスの絵は、よくわからなかったようである。
Blogを書き始めた頃にも書いたけれど、
そういうことを前提にルノワールはこうも言っている。
「私にはマティスの画はよくわからない。
 しかし、私に理解できないからと言って、
 それがマティスの作品の価値とは一切関係はない」
この言葉に以前、私はとても感動した。
さて、ようやく手に入れたこの本、おもしろければいいな。
読みかけの本があるので、順番はその後になる。
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「ピカソの陶器」

仕事場近くの老舗古書店店頭には、1冊100円の文庫とともに
美術展カタログが300円ほどで並んでいる。
若い世代は本を読まなくなったと言われているが、
ここでも古書を漁っているのはミドル以上の人ばかり。
店も最近は、高く売れそうな本はネット販売に出したがるので、
店自体の魅力も落ちている。
そんなある日、ピカソの函入りの豪華作品集、
「ピカソの陶器」がわずか300円で並んでいた。
先日TVで「私の履歴書」に出演していたニトリの社長が
自宅で話しているその肩越しに、ピカソの女性を形どった陶器が
棚の中で見え隠れしていた。
陳列の仕方はあまり趣味良くは見えなかったけれど、
意外な大きさと造形の面白さが印象に残って、「欲しいなぁ」と思ったりした。
本自体はずいぶん重いし場所もとるので、
高ければまず買わない本だけれど、安さに魅かれてこれを購入。
持ち帰って開いてみれば、これは素晴らしいピカソの陶芸作品の数々。
ピカソ晩年の7年余りを陶芸制作に没頭した頃の膨大な作品が収められている。
絵画はもちろん、彫刻にも革新的な作品を残したピカソは
陶芸でも素晴らしく自由な造形を試みている。

その頃、同じく晩年にあった日本の北大路魯山人が
欧州旅行の途次、ピカソを訪ねている。
パリでは、今でいう三ツ星クラスの家鴨料理で有名なレストランにて
看板料理を食したが、翁の口には合わなかったようである。
再度火の通し具合など細かく指示して出させ、
日本より持ち込んだ醤油と粉わさびでやっと満足した。
ピカソを訪ねたのも画家が最近陶芸を始めたと聞いたからで
そこでもやはり器は気にくわなかったようだ。
陶器にはピカソの原色の絵付けが施され、彫刻のような造形が試みらている。
作品としては度胆を抜く面白さがあるものの、
魯山人にはあのような「料理の造形」を殺す皿など
悪趣味以外の何物でもないと映ったのだろう。
著書に掲載されたピカソとの記念写真には、ピカソのいつもの笑顔とは対照的に
全くつまらなさそうな翁の苦々しい表情がおかしい。

ピカソは陶器に絵付けと彫刻的な造形の両方の面白さを発見したのだろう。
あまりの自由さに見ている方が笑顔さえ出てくる。
スタンダードなフォルムの壺をぐっとひねるとまさに「鳩」そのものになり、
水差しの絵付けには壺の絵を描いたりしている。
丼に茶碗の絵を描くようなものだ。
いくつもの幾何学的な器をくっつけてできた抽象彫刻のようなフォルムは
女性になったり動物になったりする。
絵付けされた皿と思いきや、皿に乗った目玉焼きやフォークや魚は
粘土で作られたものだったりする。
ピカソの造形の自由さを堪能できる楽しい一冊だけれど、
訳がひどいのか元の文章が悪いのか、テキストはひどくて読めたものではない。

ピカソの陶器
先週末突然1000近いアクセスが集中したのは
日曜美術館で長谷川利行が取り上げられたからだろう。
以前からGoogleで「長谷川利行」を検索すると、
私が5年前に書いた記事がトップに出てくるようになっていた。
よほど利行に関する記事が少ないのだろう。

番組で長谷川利行が取り上げられたのは1978年以来40年ぶりで
その時の放送を私は見ていない。
78年の放送時には、利行その人を隣で見ていた親友の矢野文夫がゲスト出演している。
私が見てみたかったのはその時の映像だった。
生前の利行については矢野文夫の本が質量とも第一だけれど、
一時共同生活もした手塚一夫と中込忠三氏との交流も興味深く、
以前私もここに紹介したことがある。
中込氏の著書から利行らとの共同生活について触れられたところを、再度紹介したい。
二人は矢野文夫が書いた利行の伝記小説にも登場する。

長谷川利行_東京放浪地図

それほど長くもなかった利行の生涯において晩年にあたる時期に多作を強い、
結果的に数々の傑作とともに利行の名を残す黒子になった画商、
天城俊彦の画廊が新宿にあったことはよく知られている。
画廊が新宿武蔵野館のあたりだとすると、利行がカンヅメにされたドヤ街は目と鼻の先、
今のタイムズスクエア(今聞いてもニセ物っぽい名前)あたりになる。
時代の先端を行くようなタイムズの前に、
つい最近までその名残をとどめる和風旅館があり、営業もしていた。
甲州街道をもう少し下ったところには今も古い旅館街がある。
伊丹十三監督の映画「マルサの女」には、
新宿南口に残っていたその闇市時代のような界隈がチラと出てくる。
坂の上にあった横町を下るU字型の奇妙な階段を、松本竣介が描いている。
私は歌舞伎町に映画を見に行くとき、そこのチケットフナキに寄るのが常だった。

利行がここのドヤ街に住んだのは最晩年にあたるわずか2年ほどのこと。
中込氏の著書によると、手塚一夫は女の横顔を描いた4号大の作品をとても大事にしていて
それは彼が上京した折に泊まった新宿の木賃宿で知り合った画家が描いた作品なのだという。
その放浪画家というのが長谷川利行である。
未払いになっていた絵の代金、残り半分を届けるため、
二人はポンポン蒸気に乗って新宿へ向かった。
残金を渡した後、中込氏と手塚は利行に
当時彼らが住んでいた船堀の家に一緒に住まないかと持ちかける。
その折に見た、木賃宿に置かれた利行所有の品々の描写が興味深い。

新宿南口界隈1992
('92年頃の新宿南口界隈)

「こういうところに住まないと絵が描けないからここに暮らしている。
 親切らしく呼びに来たって行かないぞ!」と一度は拒否したものの、
翌朝には絵箱を手に持って、「さあ行こう」と立ち上がるのだった。
暮れに出会って共同生活を始め、春に(利行が)出て行ったとあるので
共同生活は3ヶ月ほどか。
その間、利行の馴染みらしい年増の裸婦モデルを手塚と二人で描いたり、
川で洗濯したり、というような牧歌的な生活が続いたものの、
最後は利行の酒びたりの生活に嫌気がさした手塚が利行を閉め出したため、
三人の共同生活は終止符を打つ。
ふたりの画家に残された時間は余りに少なかったが、
中込氏はその時、そのことを知る由もない。
にもかかわらず、当時目にした二人の画家とその周辺の描写は驚くほど詳細だ。
登場する人物、あたりの空気感が生き生きとしている。

 「老画家はやがて市の養育院板橋本院で一人その生涯を閉じたと聞く。
 彼の短歌もまた美しい。

 汚れたる 枕の紗綾をとりかえつ
 夜床さびしくひとりねむれる

 死の枕辺にはニイチェの「夜の歌」が置いてあったということである。」
というところで、中込氏の著書「炎の絵」の利行に触れた章は終わっている。

貧しい農家の出だった手塚一夫が描いた一枚の絵を見たことをきっかけに、
彼が亡くなる28歳まで生活一切の面倒を見た中込氏は、
自身の晩年に至るまでそのことについてほとんど語らなかったそうだ。
氏の人となりをうかがえる挿話として、若い日の小学校教師時代のことがある。
成績優秀で人柄も良かったある生徒を級長に推薦したところ、
中国人だということで校長から拒否にあった。
怒った中込氏は、ついに教職を辞職し、以後小学校教諭に戻ることはなかった。
その後さまざまな職につき、のちに中央大学のドイツ語教授として定年まで勤めた。
この人の一生は二人の画家以上に波乱万丈だ。

中込氏の残した文章を多く読むことができたのは、
実は私がここで書いた氏の著書「炎の絵」についてのBlog記事を読まれたご子息が
文献と手塚一夫関連書籍一式を、以前送ってくださったからである。
ここで再度感謝を申し上げます。
東京湾をゆく船-6(ガッシュ)


ここで何度か書いている宮本常一著「忘れられた日本人」は冒頭隠岐を訪ね、
村に伝わる古文書の存在をたずねるところから始まっている。
今とは違い、取材で訪れた村で出会った重要な古文書はすべて手で書き写した。

その時、限られた時間内で書き写すことが難しいと判断した宮本常一は
村の区長にすこしの間その文書を貸してもらえないかと頼む。
すると、「自分の一存で決められぬ」と区長は古文書を持って、
村人の意見を聞きに出かけていった。
その後、区長が帰ってこないのをじりじりして待っていた宮本常一は
とうとう話し合いの場へと自ら出かけてゆく。
するとそこでは村人らの話し合いが皆の納得のゆくまで、
いつ終わるともしれず延々と続けられていた。
そこでの話し合いは理詰めで相手を納得させるのではなく、
ひとりひとりがそれに関係のある、
自分の知っている限りの体験や事例を挙げてゆくのである。
話すことがなくなったら帰ってもいいし、眠くなったら寝てもいい。
気の長い話で、これでは時間がかかっても無理はないと宮本は思う。

このような寄り合いによる決め方はここだけでなく、
旅の次の村でもそうだった。
次の村ではさらに遠方へ船を出し、村の総代が紋付き袴でその船に乗ってやってくる。
同じように集まった全員が納得のゆくまで何日でも話し合いは続けられた。
話に出たあることがきっかけで話題は別の方向へ飛んでゆくことがあるが、
そういうことも話し合いでは重要なことなのだと宮本常一は思う。
いっぽう、自分のひと言が村の人にたいへんな迷惑をかけていることがわかってくる。

今日の論議のように理詰めでは、話し合いはやがて収拾のつかないことになってしまう。
自分の知っていること、体験によるたとえ話をすればわかりやすい。
反対意見が出ればしばらくそのままにしておき、
賛成の意見が出ればまたそのままにして冷却期間をおき、みんなで考え合う。
最後にみんなの長に決をとらせるが、それで気まずい思いをするものは誰もいないという。
宮本常一が「忘れられた日本人」の最初に書いたのは、この寄り合いの情景だった。
それは宮本の目の底に染み入ったという。

今の社会は意思決定のスピードが大事だと、ことあるたびに言われる。
上の「寄り合い」による話し合いは
主に京都、大阪以西の西日本で古くから行われていた。
一見おそろしく気の長い「寄り合いの決め方」だけれど、
どんなに長くとも3日あれば決まり、話を尽くしただけに決定は何より大事で皆が従う。
そして大事なことは、全員が納得して誰も気まずい思いをしないことのように思われる。
本書の出版は1960年、取材は1940〜50年代のことで、今から70〜80年前のことだ。
この話し合いをそのまま今の社会には当てはめられないかもしれないけれど、
現代はこれより優れた方法で物事を決められているだろうか。

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今東光資料館_2016

ここに何度か書いている作家今東光が
流行作家になるきっかけとなった、いわゆる河内ものを書いたゆかりの地、
八尾に「今東光資料館」ができていることを、最近初めて知った。
同様に、藤本義一氏が住んでいた別荘を改築して記念館とした
藤本義一の書斎」が芦屋にできている。
そのお二人の記念館が共催での企画展が開催されている。
私もここで藤本義一さんご本人から直接の聞き書きを掲載していたけれど、
超個性的なふたりの作家のつきあいは長く、深い。
こういう企画展があってしかるべきなのに、初の企画だそうだ。
八尾というゆかりの地でさえ、今東光をとりあげた企画展は約30年ぶりになる。
その30年前(昭和62年)の企画展に私はたまたま出かけている。
奇縁というか、実はこのBlogがきっかけで今回のこの企画展にほんの少し、
私は協力させていただいている。
滅多にない機会なので、近隣にお住まいの方で興味のある方はぜひ足をお運びください。


今東光資料室

開館時間 午前10時から午後5時

休館日
・月曜日(ただし祝日にあたる場合は開館)
・年末年始(平成28年12月29日から平成29年1月4日)
・その他(展示物の入替等に伴い休館する場合あり)

所在地
・581-0003 八尾市本町二丁目2番8号(八尾図書館3階)

※会期が長いので、上位にアップし直しておきます。

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