東京湾をゆく船-8(ガッシュ)


海外でテロの報道があったときにいつも「無名」ということを思ってしまう。
犠牲になった人の顔や名前や、つまり「人」として報道されるのは
世界の大国と言われるなかでも米、英、仏、あと独くらいまでだろうか。
スペインあたりではもう名無しで数だけが伝えられる。
大国でもロシアになると数字になる。
それを見て聞いている日本人も仮に犠牲者が出たならば、
海外ではおそらく数字になるだろう。
これはどこから生まれた基準なのだろうか。
(犠牲者の)数が多かったから省略、というだけではないだろう。
別の感情が働いているとしか思えない。
シリアやスーダンやイスラエル(ガザ地区)でも子供は大勢犠牲になっている。
私たちは恐ろしく非情で非人間的な線引きを、
無意識のうちに行なっているのかもしれない。
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東京湾をゆく船-16(ガッシュ)
東京湾をゆく船-17(ガッシュ)

海岸は冷えたが、絵の具が凍りはしなかった。
いつになくいろいろな色の船が通過した。
風があって小さなスケッチブックも押さえるのに苦労する。
東京湾の出船
(ガッシュ)
空には雲なければつまらないものだ。
船にはやはり煙突から煙がでていないとどこか物足りない。
街には電信柱が立ってないとやはり物足りなかったりする。
なにより、これが立っていると日本らしい。
海辺にやってくると私はやはり煙をあげて進む船を描きたいが、
燃費や環境だとかが強くいわれるようになったせいか、どうも数が少ない。
最近の船は煙もはかずにするすると進んでゆく。

ここから見える船の後ろ姿は思ったより小さく、少々ガッッカリした。
薄くのぼる煙がなかったら、描きはしなかっただろう。
大潮なのか水位が高く、少し大きめの貨物船が沖を通過すると
波というより海水が岸壁を乗り越え、釣り人は足をすくわれていた。
津波がもしきたら、この公園そのものが飲み込まれてしまうだろう。
東京湾をゆく船-13(ガッシュ)

そろそろ三寒四温の季節に入ったか、
また、そうすると空気の火薬、花粉が飛び始めて
人混みの中でくしゃみの声のような音のような破裂音が聞こえはじめる。
花粉は人ごとではないので、春は私にとって憂鬱な季節になる。
画は実は先週末に、また船を描きに出かけた時のもの。
この日は風が強く、波の上でびょうびょうと笛を吹いた。
土曜は沖を通過する船が多く、小さな船は御用聞きのように走り回っている。
東京湾をゆく船-11(ガッシュ)

池袋モンパルナスについて語る寺田農さんのインタビュー記事の挿話で、
指揮者の朝比奈隆さんとの交友を語っている(少し古い記事だ)。
私は20代の頃に同じ指揮者である小澤征爾さんの「ボクの音楽武者修行」を読んだ。
そのタフで明るく、恐れを知らない人生は、
私がこれまで読んだ青春記の中でも三本の指に入る面白さだったけれど、
朝比奈隆さんはそれ以上に波瀾万丈な生涯を送った人だったようだ。
私自身はクラシックを聴かないけれど、それでもこういう人の人生を知るのは楽しい。
2001年に93歳で亡くなった朝比奈隆さんは、
第一次、第二次大戦二つの大戦下を生きただけでなく、
関東大震災と阪神淡路大震災、ふたつの大震災を経験している。
これだけでも並みの人生ではなかったことが想像される。

ところで、寺田さんは1989年ベルリンの壁の崩壊の後、
阪神淡路大震災の時に仕事で欧州を訪れていた。
ベルリンにも寄って、有名なベルリンフィル近くの食堂に入ったところ、
そこの女将が熱烈な朝比奈さんのファンであった。
店の壁には朝比奈さんの写真が一杯に貼られている。
どこで手に入れたか、当時受賞したばかりだった文化勲章受章時の写真も
そこに貼られているほどの入れ込みようだ。
もちろん朝比奈さんもよく知っている名物女将だった。
寺田さんはそのうちの一枚の写真に目をとめる。
崩壊するベルリンの壁によじ登ろうとしているコート姿の人物は、
当時80歳を超えていた朝比奈さんで、
下からお尻を押し上げているのがなんと小澤征爾さんである。
音楽の街ベルリンに偶然居合わせた日本人指揮者が
東西ドイツを分断していた壁の崩壊をかの国の国民とともに喜び、
壁をよじ登った一枚の写真。
「この写真はいい写真だった」ということだったが、ありありと想像がつく。
(ネットでいろいろ検索してみたが、残念ながらその写真は見つけられなかった。)
私がベルリンを訪れたのは寺田さんが訪れた少し前で、旅の途中ソ連も崩壊した。
その壁のかけらが、押し入れのどこかに転がっているはずだ。

壊す壁があれば作る壁がある。
政治家はクルクルと入れ替わり、そのたびに勝手なことをいう。
100文字ほどのつぶやきで、
国はおろか世界中を右往左往させられることのばからしさ。。
戦争になったりもするので、言わせておけばいいとも思わないけれど、
せめて国民同士のレベルでは、どの国とも仲良く、
手と手を握り合って笑顔でつきあいたいものだし、きっとそうできるはずだ。
こちらが警戒している相手が、意外にこちらを敬愛してくれていたりするもので
そう思えることが、若い頃に海外を旅したかけがえのない収穫だった。
相手の悲しみはこちらも悲しい。
そして喜びは一緒に壁をよじ登るように共有したいと、
食堂に貼られた写真を想像しつつ、そう思う。

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