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柚木沙弥郎展

週末、柚木沙弥郎展に出かけた。
会場の日本民芸館に出かけたのも初めてだ。
こんなに近くにあったのなら、もっと早くに行けばよかった。
先週日曜美術館に紹介されたこともあってか、
それほど大きくもない会場は人が押し寄せて、さらに狭くなっていた。
午後遅めに出かけたので、第二会場の西館の観覧はそうそうに諦め、
本会場の本館をゆっくり見ることにした。
柚木作品は、生活のどこかに張り付いていそうな、
既視感のあるシンプルなフォルムと色使いが魅力だ。
会場の民芸館は、日本だけでなく海外の民芸品も陳列されている。
会場正面に天井近くから垂らされた大きな染色作品は、
先週の日曜美術館でも紹介されていたものだ。
宅急便送り状の裏(カーボン部分)など、ほかの誰が目を留めただろう。
こんなにモダンな作品に昇華されている。
会場二階に、アフリカのバウレ族の仮面と並んで、染色された一枚の布が下がっている。
ハービー・ハンコックのレコードジャケットで有名なマスクだ。
どちらも負けていない。
シンプルとシンプルとの対比で相性がいいということもあるけれど、
国も民族も超えて調和しているのには感動する。

その作品、造型が本物かどうか、
基準の一つとして、たとえばこんな土着美術と並べてみるといいかもしれない。
ピカソのキュビズム作品への啓示を与えたアフリカのマスク。
それと一緒に並べてみて一歩も引かない強い造型とは、
(相性というものもあるけれども)やはり強いに違いない。
またいつだったか、神田の額縁屋さんの主人に、こんな話を聞いた。
「仕上がったキャンバスを金の額縁に入れてみて
 それに負けない作品ができていれば完成だ」と。
立派な額縁に入れてそれに負けているようでは、作品としてはまだまだだよと
そういうことを言われたのだと思う。
どちらの話にも相通じるものがある。
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府中市美術館へ「長谷川利行展」を見に出かけた。
18年振りの回顧展なのに、今のところまだ空いていてゆっくり見られる。
思いうかぶ利行のいい作品はほとんど見ることができ、
近年発見されたものも公開されている。
日曜美術館でも1978年以来40年振りに取り上げられたのも昨年なので、
会期が短いせいもあって、大きな宣伝はなかったようだ。
ともあれ、これは長谷川利行の最高の展覧会だった。

長谷川利行展
(「ぶらり、いこう」ここの美術館の宣伝コピーは駄洒落が多い。
 ※写真右のような、無料でしゃれたお土産がある。)


2000年の展覧会を見ていないのでその間、
作品集や図録を見るだけだった。
目になじみのある作品の実物が目の前にズラリ並んだ様は壮観。
「大和家かほる」や「安来節の女」「Y子の像」の並ぶ壁の隣に、
「酒祭り・花島喜世子」と地味だけれど好きな「四人裸婦」がかかっていて、
長く待っていた身には目がくらむような展示だ。
「大和家かほる」と「安来節の女」は思っていたよりも大きく、
大作「赤い機関車庫」と「夏の遊園地」には圧倒された。
(「夏の遊園地」は40年振りの公開)

赤い機関車庫
(「機関車庫」1928年)

夏の遊園地
(「夏の遊園地」1928年)

どちらも利行にしては例外的に大きな作品ながら、
緩んだところが広い画面のどこにもない。
やっぱりすごい。
私が最も好きな利行作品、「少女」と「荒川風景」も出ている。
想像していた通りの大きさ、いい作品だった。
「少女」は収蔵先の群馬県立美術館のWebサイトにアップされている画像が
全体に青っぽかったのを、印刷時の色かぶりだとばかり思っていた。
今回実物を見て、本当に青っぽい作品だったのだとわかった。

晩年の白い風景画は、実はこれまでちょっと苦手で、
画集でもさっさとページをめくっていた。
今回作品の実物を見て、このはかなげな作品の美しさを見直した。
今回の図録を見ても写真ではやっぱりいまひとつで、
これら白い風景画は実物を見ないとその良さはわからなかった。
キャンバスの地色のままとも思える白地に少量の絵の具で描かれた
線画にも見える画は、毛筆に通じる線の画家、利行の世界がはじけている。

ネット上には長谷川利行について、いろいろな記事が出ているけれど、
最も充実した内容をアップされているのが「今日も日暮里富士見坂」。
ここを読めば、利行に関してはまずなんでも記載されている感じだ。
これまでの伝として、利行は終焉の地である板橋の養育院で息を引き取った後、
最後まで持っていた作品を含むすべての持ち物を焼却処分されて、
一切が無に帰したと伝えられてきた。
ところが上記のサイトによると、その焼却されたと思われてきた作品が、
驚くことに実は現存することが、最近わかったとある。
スクラップ帳に貼り付けられたような作品らしいけれど、
今回の展覧会には出品されていなかった。
私はこの作品帖を、以前見ているかもしれない。
7年ほど前、東京駅地下街にある古書店を覗いたときのこと、
ガラスケースの中に恭しく展示された、
少し大きめの単語帳の束のようなのが陳列されていた。
開いた一番上の絵しか見えなかったけれど、
キャラメル箱くらいの大きさしかないそれらの画は少ない色数で描かれた、
西洋のイコンのような画だった。
「長谷川利行作」とあって、確か950万円の値がつけられていたと思う。
同時期にネットの「日本の古本屋」にもそれとおぼしきものが、
やはり同じ値段で出ていたから、記憶している人もいるかもしれない。
それがその作品だったかどうかはわからないけれど、そんなことがあった。
値段に腰が引けて見せてもらうことも、話を聞くこともしなかったのが
今となっては惜しいことをした。

本展覧会は利行が好きな人には必見なのはまちがいない。
難を言えば、一つは素描の展示作品が少ないこと。
もう一つは図録の色とレイアウト。
最近の傾向として本棚に収まりのいいB5サイズはやや小さめだ。
ハードカバーの造本は立派で、表紙デザインやしっとりした紙の質感もいい。
ところが、中の作品の写真の色が実物とかなり違っている。
全体にコントラストが強めで鮮やかすぎたり、
逆に赤が茶、ブルーがグレーになって、彩度がかなり落ちていたりする。
実物を見ている人が色のチェックをしていないように思う。
そして、作品の写真が小さいこと。
比率を厳密に合わせる必要はないと思うけれど、
利行最大の作品「機関車庫」がガラス絵の作品より小さかったりする。
印刷技術はずっと向上しているはずだけれど、
今一冊だけ持つならば2000年の図録のほうを選ぶかも。
ただ、ハードカバーながら値段が2300円と安いのでつい買ってしまった。

長谷川利行展図録

美術館まではちょっと遠いけれど、なんとかもう一度出かけたい。
長谷川利行展 Webサイト
会期
2018年5月19日(土曜日)から7月8日(日曜日)まで
前期と後期で作品の入れ替えがある。
月曜休館
観覧料 一般900円でこれも安い。
ルドン展と平岡瞳展

GW初日、中途半端な時間ができたので、
午後やや遅めから展覧会へ出かけた。
ルドンー秘密の花園ー展は思ったよりずっとよかった。
ルドンは風景画と色彩を得てからの後半生の作品が好きなのだけれど、
今回、その両方の良い作品が来ていた。
ルドンはリトグラフや木炭によるモノクロームの怪奇な世界を描いていた頃から、
油彩による風景画の小品を生涯にわたって描き続けた。
作品はまったくのプライベート作品で、画家の引き出しや棚の中にしまい込まれて
売られることなく手元に残された。
それについては以前ここに書いたことがある。
練習がわりに描かれたこれらの風景画は後半生のパステルによる花の連作につながる、
やはりルドン以外の何ものでもないタッチだ。
そして花器に生けられた不思議な花。
花を描いて一目でその名前が浮かぶ画家は、長い美術史上でも多くはいない。
ほかに私はファンタン・ラ・トゥールの、やはり花器に入れた花の画が好きだけれど
ルドンは花の画を描くにあたり、ラ・トゥールにアドバイスをもらったということだ。

ところでルドンの展覧会を企画すると、ここ三菱一号館美術館は館所蔵の花の絵、
「グランブーケ」をいつも別格扱いで展示する。
「花の絵の名手、ルドンが描いた花の画で最大の作品を買った」というから
わからないでもないけれど(高かったのだろうと思う)
私にはサイズが大きいというだけでどうにも大味に見えて仕方がない。
ずっと小さい作品でももっと良い作品があるのにと思う。
会場出口付近にお土産ショップがあって、
ここに売られていた花の絵のポスターもグランブーケのみ、
というからチカラコブが入っている。

そこには図録を含む本なんかもあったけれど、ある文庫本の表紙絵に目がとまった。
装画が地味ながらすごくよかったので奥付を見たら、
これは昨年個展にも行った、平岡瞳さんという作家の絵だった。
「いい仕事してるなぁ」
そう思いながら会場を後にしてコーヒーを飲みに行き、
時間つぶしにさきほどの平岡瞳さんを検索したら、今個展を開いているとのこと。
それも会場がすぐ近くなのは何という偶然だろう。
カフェを出て、さっそく個展会場の銀座伊東屋へ向かった。

「平岡瞳版画展ー旅のメモ」というタイトルの小さな版画作品が数十点、展示されていた。
余談で、リニューアルされた伊東屋へはじめては入ったのだけれど、
ずいぶんイメージが変わった。
洗練されたスペースデザインが都会的なモダンさと機能を併せ持っている。
以前は最上階にあった喫茶室も、一階にスタンドカフェとしてオープン。
一階の企画スペースでは、今年発売60周年を迎えた
マルマンのスケッチブックフェアをやっていた。
ここのスケッチブック、私にはちょっと紙が薄くて使っていないけれど
ロングセラー商品というのは大事にしたいものだ。

そこから裏へ回って、
別館地下一階で開催されていた平岡瞳さんの個展、すごくよかった。
版画といっても作品のスタイルにはいくつかあって、
カラーの作品も素晴らしいが、万年筆のブルーブラックのインクを思わせる
青のシリーズが私は好きだ。
一見青の単色刷に見える作品は、
ほんの少し色味や明るさを変えて刷られた多色刷りだ(3〜4色ほどかと思われるが)。
それによって表現された深い青がとても魅力だ。
墨の単色風景木版画にもいいのがあって、実際欲しくてたまらなかった。

ルドンは今月20日まで、平岡瞳版画展は19日まで。
どちらもおすすめ(会場も近いし)。
今東光資料館_2016

ここに何度か書いている作家今東光が
流行作家になるきっかけとなった、いわゆる河内ものを書いたゆかりの地、
八尾に「今東光資料館」ができていることを、最近初めて知った。
同様に、藤本義一氏が住んでいた別荘を改築して記念館とした
藤本義一の書斎」が芦屋にできている。
そのお二人の記念館が共催での企画展が開催されている。
私もここで藤本義一さんご本人から直接の聞き書きを掲載していたけれど、
超個性的なふたりの作家のつきあいは長く、深い。
こういう企画展があってしかるべきなのに、初の企画だそうだ。
八尾というゆかりの地でさえ、今東光をとりあげた企画展は約30年ぶりになる。
その30年前(昭和62年)の企画展に私はたまたま出かけている。
奇縁というか、実はこのBlogがきっかけで今回のこの企画展にほんの少し、
私は協力させていただいている。
滅多にない機会なので、近隣にお住まいの方で興味のある方はぜひ足をお運びください。


今東光資料室

開館時間 午前10時から午後5時

休館日
・月曜日(ただし祝日にあたる場合は開館)
・年末年始(平成28年12月29日から平成29年1月4日)
・その他(展示物の入替等に伴い休館する場合あり)

所在地
・581-0003 八尾市本町二丁目2番8号(八尾図書館3階)

※会期が長いので、上位にアップし直しておきます。
暑い暑い、でもまだ真夏日とは言えないらしい。
その暑いさなか、チャリで世田谷美術館へ向かう。
2月、葉山に見に行けなかった金山康喜展が、一回り巡回して東京にきた。
金山康喜は亡くなった私の祖母と同じ歳だが、高齢のイメージはない。
33歳で夭折した画家の生前の写真といえば、
若い日に野見山暁治さんがスペインで撮ったものばかりを見ているからだ。
会場で大判に伸ばされたその写真を前にしたとき、
「ほんとうに『若い』という季節が人生にあるものだと、この写真を見るたびに思う」
という、2000年の金山康喜の回顧展に寄せた、
野見山さんの一文が思い出された。
金山康喜のパリ

金山康喜は大阪で生まれ、両親の故郷である富山で育ったが、
パリで野見山暁治さんが出会ったときには大阪弁だったそうだから
大阪の風土に深く根付いていたのだろう。
東大経済学部の大学院に学んだ秀才で、
同じく東大で美術史を専攻していた田淵安一とともに
在学中に猪熊弦一郎の画塾に通い、画の世界に入って行った。
二人は戦後ともにパリへ渡り、金山がソルボンヌ大学へ留学したのは、
その頃、誰もがあこがれた巴里で画を描くためだったのだろう。
そういう一般の学生が画へ傾倒するエピソードを知るにつけ、
この時代の美術が、個人の人生や社会一般へ与えていた影響の大きさが想像される。

以後サロン・ドートンヌやアンデパンダン展で頭角を現したところで病に倒れ、
治癒後また描き、思い立って日本へ帰国した翌年に若くして亡くなっている。
残した画は油彩で50点ほど。
本来なら全く無名の画家だろうが、野見山暁治さんの随筆に繰り返し登場したせいか、
ファンは意外に多いようだ。
私もそのひとりで、野見山暁治さんのエッセイを読んで興味が膨らみ、
古本屋で購入した2000年の回顧展図録を見て、忘れられない画家になった。
コーヒーミルのある静物
(「コーヒーミルのある静物」1957年)


見れば見るほど、不思議な画だ。
ほとんどが静物画だけれども、少数ながら風景もある。
外の暑さが引いてゆくような、体温の低さが際立つ青い画面。
一見不透明水彩で描かれたようなフラットで鮮やかな色彩と、
緻密で温かみのある絵肌にベン・シャーンを思わせるものがある。
ただ、ベン・シャーンと違って金山康喜の世界には意図的なメッセージは一切ない。
その頃、フランスのどこの家にもあった(だろう)コーヒーポットや天秤(はかり)、
電球、イスなどが、吊されたぺらぺらの紙の書き割りのように、
これも量感のまったく感じられないぺらっとしたテーブルの上に乗せられ、
まるで安物の舞台の一幕のように並んでいる。
このとりつく島もないような作風は、猪熊弦一郎の画塾へ田淵安一とともに通った、
最初の頃から既に持っていたのには驚く。
画家に必要なのは卓越した描写力よりも詩心、ポエジィであると、
この画家の作品を見てつくづくそう思う。
60年以上の時を経てまったく古さを感じないのは、
天性の都会的な色彩が与するところが大きい。
会場後半に展示された同時期にパリで活躍した他の画家の
自信にあふれた筆の勢いとはおよそかけ離れた頼りなげな、
しかし愛さずにいられない線とフォルム。
それが画家の病弱な体質から生まれてくるのであれば、
健康に恵まれない画家の人生も、不幸とばかりは言えないようにも思われる。

食前の祈り 1950年
(「食前の祈り」1950年)

野見山暁治さんのペンによって没後数十年たって浮かび上がった、
活字による金山康喜の輪郭は、時間の帳の向こうにくっきりと姿を見せて
永遠の若さを保ち続けている。
野見山暁治さんの筆力をうかがい知る一篇だ。
ちなみに野見山さんが日本で広く認められるきっかけとなった
若い日のブリヂストン美術館での個展は、
自らの死を一年後に控えた金山康喜が
なかば強引に取り決めて開催まで運んだイベントだった。

本展覧会の展示作品は2000年の時とほぼ同じだろう。
それとほぼ同数の、同時期パリで活躍していた日本人画家達の作品も展示されている。
分厚いハードカバーの図録は、金山康喜の作品が占める割合は半分ほどだ。
私見だけれど、2000年の図録の方が掲載作品の画像が大きく見やすいと思う。
金山作品のポスターが欲しいと思った。
しかしここ(世田谷美術館)はいつもポストカードと図録以外は作らない。
美術館を出てまだ陽があったので、砧公園の中で西日の当たった樹を描いて帰った。

Tag:Landscape Paysage 風景画

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