今東光資料館_2016

ここに何度か書いている作家今東光が
流行作家になるきっかけとなった、いわゆる河内ものを書いたゆかりの地、
八尾に「今東光資料館」ができていることを、最近初めて知った。
同様に、藤本義一氏が住んでいた別荘を改築して記念館とした
藤本義一の書斎」が芦屋にできている。
そのお二人の記念館が共催での企画展が開催されている。
私もここで藤本義一さんご本人から直接の聞き書きを掲載していたけれど、
超個性的なふたりの作家のつきあいは長く、深い。
こういう企画展があってしかるべきなのに、初の企画だそうだ。
八尾というゆかりの地でさえ、今東光をとりあげた企画展は約30年ぶりになる。
その30年前(昭和62年)の企画展に私はたまたま出かけている。
奇縁というか、実はこのBlogがきっかけで今回のこの企画展にほんの少し、
私は協力させていただいている。
滅多にない機会なので、近隣にお住まいの方で興味のある方はぜひ足をお運びください。


今東光資料室

開館時間 午前10時から午後5時

休館日
・月曜日(ただし祝日にあたる場合は開館)
・年末年始(平成28年12月29日から平成29年1月4日)
・その他(展示物の入替等に伴い休館する場合あり)

所在地
・581-0003 八尾市本町二丁目2番8号(八尾図書館3階)

※会期が長いので、上位にアップし直しておきます。
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暑い暑い、でもまだ真夏日とは言えないらしい。
その暑いさなか、チャリで世田谷美術館へ向かう。
2月、葉山に見に行けなかった金山康喜展が、一回り巡回して東京にきた。
金山康喜は亡くなった私の祖母と同じ歳だが、高齢のイメージはない。
33歳で夭折した画家の生前の写真といえば、
若い日に野見山暁治さんがスペインで撮ったものばかりを見ているからだ。
会場で大判に伸ばされたその写真を前にしたとき、
「ほんとうに『若い』という季節が人生にあるものだと、この写真を見るたびに思う」
という、2000年の金山康喜の回顧展に寄せた、
野見山さんの一文が思い出された。
金山康喜のパリ

金山康喜は大阪で生まれ、両親の故郷である富山で育ったが、
パリで野見山暁治さんが出会ったときには大阪弁だったそうだから
大阪の風土に深く根付いていたのだろう。
東大経済学部の大学院に学んだ秀才で、
同じく東大で美術史を専攻していた田淵安一とともに
在学中に猪熊弦一郎の画塾に通い、画の世界に入って行った。
二人は戦後ともにパリへ渡り、金山がソルボンヌ大学へ留学したのは、
その頃、誰もがあこがれた巴里で画を描くためだったのだろう。
そういう一般の学生が画へ傾倒するエピソードを知るにつけ、
この時代の美術が、個人の人生や社会一般へ与えていた影響の大きさが想像される。

以後サロン・ドートンヌやアンデパンダン展で頭角を現したところで病に倒れ、
治癒後また描き、思い立って日本へ帰国した翌年に若くして亡くなっている。
残した画は油彩で50点ほど。
本来なら全く無名の画家だろうが、野見山暁治さんの随筆に繰り返し登場したせいか、
ファンは意外に多いようだ。
私もそのひとりで、野見山暁治さんのエッセイを読んで興味が膨らみ、
古本屋で購入した2000年の回顧展図録を見て、忘れられない画家になった。
コーヒーミルのある静物
(「コーヒーミルのある静物」1957年)


見れば見るほど、不思議な画だ。
ほとんどが静物画だけれども、少数ながら風景もある。
外の暑さが引いてゆくような、体温の低さが際立つ青い画面。
一見不透明水彩で描かれたようなフラットで鮮やかな色彩と、
緻密で温かみのある絵肌にベン・シャーンを思わせるものがある。
ただ、ベン・シャーンと違って金山康喜の世界には意図的なメッセージは一切ない。
その頃、フランスのどこの家にもあった(だろう)コーヒーポットや天秤(はかり)、
電球、イスなどが、吊されたぺらぺらの紙の書き割りのように、
これも量感のまったく感じられないぺらっとしたテーブルの上に乗せられ、
まるで安物の舞台の一幕のように並んでいる。
このとりつく島もないような作風は、猪熊弦一郎の画塾へ田淵安一とともに通った、
最初の頃から既に持っていたのには驚く。
画家に必要なのは卓越した描写力よりも詩心、ポエジィであると、
この画家の作品を見てつくづくそう思う。
60年以上の時を経てまったく古さを感じないのは、
天性の都会的な色彩が与するところが大きい。
会場後半に展示された同時期にパリで活躍した他の画家の
自信にあふれた筆の勢いとはおよそかけ離れた頼りなげな、
しかし愛さずにいられない線とフォルム。
それが画家の病弱な体質から生まれてくるのであれば、
健康に恵まれない画家の人生も、不幸とばかりは言えないようにも思われる。

食前の祈り 1950年
(「食前の祈り」1950年)

野見山暁治さんのペンによって没後数十年たって浮かび上がった、
活字による金山康喜の輪郭は、時間の帳の向こうにくっきりと姿を見せて
永遠の若さを保ち続けている。
野見山暁治さんの筆力をうかがい知る一篇だ。
ちなみに野見山さんが日本で広く認められるきっかけとなった
若い日のブリヂストン美術館での個展は、
自らの死を一年後に控えた金山康喜が
なかば強引に取り決めて開催まで運んだイベントだった。

本展覧会の展示作品は2000年の時とほぼ同じだろう。
それとほぼ同数の、同時期パリで活躍していた日本人画家達の作品も展示されている。
分厚いハードカバーの図録は、金山康喜の作品が占める割合は半分ほどだ。
私見だけれど、2000年の図録の方が掲載作品の画像が大きく見やすいと思う。
金山作品のポスターが欲しいと思った。
しかしここ(世田谷美術館)はいつもポストカードと図録以外は作らない。
美術館を出てまだ陽があったので、砧公園の中で西日の当たった樹を描いて帰った。

Tag:Landscape Paysage 風景画

友人の写真展は盛況のうち、無事終了しました。
NHKや民放、新聞各紙でも取材を受け、思いのほか大勢の方に足を運んでいただけました。
ご覧いただけました方、友人に代わり心から御礼申し上げます。
戦争遺産図鑑DM

日本はいつのまにか「平和」の言葉も使いづらくなって、風通し悪く息苦しい。
戦争のカケラも視界に入らないこの日本でも、
目をこらせばその硝煙くすぶる残影が今も国内外いたるところに残っている。
カメラマンともども、戦争を過去のものではなく、
自分や家族にも起こりうるものなのだと感じてもらえれば幸いです。
12月はまだ書いていない、二つのいい展覧会に出かけてきた。
ブリヂストン美術館で開催中のカイユボット展
千葉市美術館大田区立郷土博物館で開催中の特別展「川瀬巴水―生誕130年記念―」
川瀬巴水の方は千葉には行かず、
自宅から歩いて8分ほどの近所でやっている大田区立郷土博物館の方に行ってきた。
同時に二カ所で同じ絵を見ることができる、版画ならではのことだ。
カイユボット展

さて、二つの展覧会を見て共通するものがあった。
どちらも水辺や雨(雨上がり)、雪の日の表現に秀でていること。
片や印象派、片や新版画という、それまでの伝統的な表現から抜け出していること。
そして、同じ印象派と新版画の中でも、ひときわリアルな表現になっていることなど。
とくに版画は描くだけでなく、詳細になったリアルな画を版木に掘り出さなくてはならない。
川瀬巴水に多い雪の表現は、いったいどうやって版画にできたのか、
そこの疑問点についてはNHKの日曜美術館で実際に現代の彫り師が再現に挑んでいて、
これが実にわかりやすかった。
今日22日夜の再放送があるので、ぜひご覧になることをおすすめする。
ただ、あの再現はまだ道半ばに見える。
どうももう一版加わっているような気がしてならない。

カイユボット展は東京は今月29日までなので、あと一週間しかない。
日曜美術館でも紹介されたので人出は多かった。
なかでも「ヨーロッパ橋」と、ブリヂストン美術館が今回購入した「ピアノを弾く若い男」
(カイユボットの弟マルシャル)が大きな見所。
ピアノに映り込んだ手と鍵盤の色調の正確さに注目したい。
ヨーロッパ橋

ピアノを弾く若い男

日本にこれほどの作品が入ってきたことがまず驚きだけれど、
20年ほど前までは画家としてはほとんど知られていなかったそうで、
オルセー美術館が印象派の最大のコレクションが持てたのは彼のおかげであるのに
カイユボットその人の作品は5点しかない。
そのうちの一点が(今回は来ていないけれど)私の一番好きなカイユボット作品で
オルセーの「屋根の眺め(雪の印象)」だ。
これはモネの日の出の印象に対する「雪の印象」というわけだろうか。
そんな、これまで知名度の低かったカイユボットにもかかわらず
専門サイトがこの日本にある。

カイユボットは裕福な家庭に生まれて弟も含め、芸術家一家だった。
上の画に描かれた弟のマルシャルは音楽家で、ドビュッシーとも交流があったそうだ。
モネらの印象派の画家たちを支え続け、彼らから購入した作品は遺言により国に寄贈された。
これがのちにオルセー美術館設立のきっかけとなる、最大のコレクションになった。
印象派の画家を支えるだけでなく、自分も第二回印象派展から七回まで出品し続けている。
最初の出品作が今回は展覧されていないが、最高傑作の一つ「床の鉋かけ」である。
カイユボットの作品はもちろんブルジョアの趣味の域をはるかに超えていて
モネやピサロはこんなすごい作品を描くパトロンに支援されてどういう気持ちがしただろう。
しかもカイユボットは、モネに自作(「パリの通り、雨」の習作)を進呈している(本展出品)。
「困ったときにはこれを売りなさい」という意味ではないと思うけれど、
この気持ちも凡庸な私には図りがたいものがある。
モチーフや色彩がモダンであっても、
印象派ど真ん中の画家に比べ、かなり写実的であった彼の作品は
当時印象派とそれ以外のどちらの世界からもスルーされていたのかもしれない。



さて、川瀬巴水である。
私が観に行ってきた大田区立郷土博物館は、
川瀬がかつて(私も住んでいる)地元の馬込に住んでいたこともあって
かなり力こぶが入っていて、展示総数は千葉市美術館の倍以上となる500点だ。
博物館はこれまでも何度か回顧展を開いている。
図録だけ持っているが、2006年展覧会時のものには、
この展覧会のために新たに彫った「馬込の月」の版画が付録として付いている。
ただし、オリジナルよりサイズが小さい。
このため、古書価格は高い。
この作品のモチーフになった二本松町近くにかかっていた橋が、現在架け替え工事をしている。
その橋のたもとには、この作品のレリーフがはめ込まれていた。
しかし今となってはこの版画を思わせる風景はどこにもない。
川瀬巴水

大田区立郷土博物館では会期を3つに分け、現在中期に入っている。
最高傑作で最も売れた版画「雪の増上寺」(写真上左)は前期ですでに展示済みだ。
しかし少し地味目の場所を描いている今回の方が私には好みのものが多い。
名所風景を絵柄にして(版画という形で)印刷し、たくさん売るのが目的なわけだから、
絵柄が観光絵はがきのようなのは当然だ。
しかしときおり構図をとる、なんでもない街角や田舎の風景の美に
見る側の私たちはあらためて目を開かれる思いがする。
モチーフは水辺が多く、雪、夕暮れがまた多い。
私も大好きな風景である。
それがまたひいき目に見る理由であるかもしれない。

同時代の同じ新版画の巨匠であった吉田博は感覚がもっと西洋人に近く、
強固な骨格を持っていたと感じるけれど、
川瀬巴水はそれに対し、あくまで日本的ではかなげな風景をそのままとらえた。
下の「森ヶ﨑の月」はよく見ると、水面の千々に寄ったさざ波のほかに
もっと大きなうねりのような水面の揺らぎを描写している。
この観察がひと味違うリアルさを画面に与えている。
森ヶ﨑の月

今回の展覧会ではその版画の元になったスケッチや
下絵となる水彩画も展示されているのが貴重だ。
下の写真の左がスケッチ(はがき大)、右とその下が版画になったものだ。
川瀬巴水 画帖
塩原

川瀬巴水の作品総数は600点といわれているが、今回500点を三期に分けて展示する。
川瀬作品の8割を今回の展覧会で見ることができるわけだ。
毎回総入れ替えなので全作品を見るには最低3回足を運ばねばならないが
入場は無料(!)である。
図録も(今回は版画の付録はないけれど)オールカラーの304ページで2300円は安い。
2回も通えば図録は無料で配布されたと思えばいいだろう。
千葉市美術館の方も近ければ足を運びたいところだけれどちょっと遠い。
しかしうれしいことに、来年から再来年にかけて横浜と東京の日本橋を巡回する。
その時に出かけることにしよう。
ちなみにそちらは、270〜280点ほどが展示されるが、前期と後期の入れ替えは10点ほどである。
(こちらも図録は2000円と手頃だ)
念のため。。

※文章量が多くなりましたが、会期末が迫っているので一度にまとめてアップしました。
高村光太郎展

午前中選挙へ投票に行き、午後から千葉市美術館で開催されている
高村光太郎展へ出かけてきた。
東京へ来て26年経つというのに千葉市美術館へも千葉駅へ降りたのも初めてで、
美術館は思いがけず区役所ビルの上層階にあった。
高村光太郎については以前ここで何回にも分けて書いたので
作品についてそちらを参照いただくとして今回は概略と印象を。

彫刻家、とくに木彫家としての光太郎に光を当てる展覧会、ということだったが
木彫の展示作品はそれほど多くない。
それもそのはずで光太郎の木彫作品は期間にして8年ほど、
数にしていくつだったか正確な数を忘れてしまったが
全部で20個を切っていたと会場の説明にあったと思う。
その貴重な木彫作品のうち会場には(少年時代を除き)蝉が3つ、
桃とザクロと鯰(なまず)が一つずつ、
そして白文鳥が展示されていたのはうれしかったが、栄螺(さざえ)とウソ鳥は見たかった。。

ちょっと意外だったのが、光太郎のデスマスクならぬデスハンドがあったが
手や足が大きいのが有名だったにもかかわらず、
光太郎さんの手は思ったほど大きくもごつくもなかった。
有名な塑像の「手」や「腕」のような強靱なフォルムを想像していたが
あれほどの作品を作り出す手らしく、繊細さを感じさせる手だった。
大きさも私より少し大きい程度だったろうか。


ともあれ、光太郎の作品のすばらしさは言わずもがな、
光太郎作品以外で同時代の作家、大原美術館から参考出品されていた碌山、
荻原守衛の「坑夫」という塑像作品が印象に残った。
この坑夫像には写実的でありながら左目があるのに右目がない。
そこの省略には画に通じる、何かはっとするものがあった。
その「はっとする感じ」は実物を見ないとわからないだろう。
ちなみに同時代といえばフジタは光太郎と美術学校の同期だそうだ。

智恵子夫人の切り絵も多く展示されていた。
蟹や魚類の繊細かつ緻密な作品、それとグラフィカルな色(紙)の組み合わせと
背景の紙の配置処理がすばらしく、精神的に病んでいたひとの作業だとは信じられない。
油絵の具が使いこなせず画家としての道を断念したという智恵子が
精神を病む前にはさみと色紙を手にしていたらどんな作家になっただろう。
病むこともなく、ひょっとしら光太郎以上に時代を先取りしたような
それこそ最初に「アーティスト」と呼ばれる作家になっていたかもしれない。
また、これをマティスが見たら何と思うだろうか、と考えてみたりもした。

区役所内の美術館だからだろうか、厚く立派な図録が1800円と安くお買い得だ。
私はすでに何冊も過去の図録と画集を持っているのでそれを買わなかったが
かわりに上の展覧会告知用ポスターを買って帰った。
これも大中小、それぞれ500、300、200円と安い。
また、前売りを持っていない人は、モノレールの3階駅窓口で通常千円のところを
800円で購入できるので、ここで買って行けば安くで見られる。


初めておりた千葉駅だったので駅前をぶらぶらしていたら、夕方になってしまった。
帰り、いい夕景が見られるかもしれないと、さらに上野の不忍池に寄った。
ここへ来ると気持ちが落ち着く。
夕陽の見られる時間には間に合わなかったが、ここのところ涼しい日が続いていたので
池畔をひとめぐりするにはいい日だった。
夕方ここへ来ると長谷川利行のことに思いをめぐらさずにいられない。
今の時期、池はこんな様子で蓮の葉が水面を埋め尽くしている。
20130722-不忍池

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