筑紫哲也さん

筑紫さんの生前、NEWS23の多事争論を観ていて、いつも思ったものだ。
あれだけの内容を原稿なしで滞りなく、90秒で、しかも毎日、よく語れるものだと。
下って東日本大震災以後はもちろん、リーマンショック後の状況においても、
「筑紫さんが生きていたなら、どう伝え、語っただろうか」と、
これまでさまざまな局面でその都度何度も思った。

BSでは没後4年と3カ月ほどたった半端な時期に、こういう特番を組んだのはなぜだろうか。
かつての部下、後輩であり、後継者であらねばならなかった松原耕二が、
誰もその後を継げなかった悔恨の思いから、
筑紫哲也の足跡をあらためて取材する事によってかつての報道番組の姿を
今この現在に問い直したかったのではないだろうかと思ったりもした。

筑紫さんは番組内で何度もこう言う。
報道とは「弱いものの立場から見ること」
「権力的なものを(間違ったことをしていないか)ウォッチすること」
「(たとえ間違った意見でも)いろいろな立場の意見を広く聞くこと」だと。
「とかく1つの方向に流れやすいこの国の中で」少数派であることを恐れないこと、
自由の気風を大事にすること(これは広く意見を聞くこととも重なる)、
そんなことも語っていた。
今、報道の立場から見る人は、この言葉を聞いていったい、どう思うだろうか。
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