11日未明、台東区の古い建物が密集する住宅地で火災があり
周囲の建物8棟、465平方メートルを焼いた。
うち、延焼で焼けた一軒の古道具屋は私の親しい友人の店だった。
早朝で店は無人だったため友人らは無事だったが、店は全焼した。

私に子供ができてからはやや疎遠になっていたものの
30代半ばから40代はじめにかけて、多いときは毎週のように店に顔を出していた。
最初は早朝の骨董市で毎週末顔を合わせていたことから、いつしか声をかけるようになった。
オーナーは私と同い年ということもあり、時代の興味の対象を共有できたことも大きい。
知り合った頃は彼が大手おもちゃメーカーを辞め、
一風変わったアンティークショップを谷中に開店してまだ間もない頃だから
かれこれ20年近いつきあいになる。
当時まだ誰も目をつけていなかったおみやげのこけし人形の
造形のおもしろさに熱中していたことも、お互いを引きつけたのだと思う。
ここのBlogでは「手のひら彫刻」と言っているが、
こういう愚にもつかないものに勝手な解釈をつけて、
他人から見れば単なるがらくたを手に、もったいぶった持論を展開していたのは
当時30代とはいえ、まだまだ若くてアホ丸出しの楽しい時代だった。

オーナーは店からほど近い芸大出身のアーティスト肌ではあるが、
惜しいことに制作活動はしていない。
いつかここに書いたガチャポンの石膏像をプロデュースしたのは彼である。
しかし不思議にも当時も今も、お互いアートのことを話題にしたことはなく、
私がふたたび画を描き始めてからもそういうことはなかったし、これからもないように思う。
ついでに言えば、彼の奥さんは日本を代表する現代アーティストである。

彼の店は当時ブームになっていたマニア系レトロものも扱ってはいたけれど
彼とその相棒(彼もかなりの芸術家肌)の眼を通して集められた古いものが
倉庫のような店内にうずたかく積み上げられ、ほかのどこにもない独特の雰囲気を発していた。
2010年の震災時には、棚から落ちた残骸の山が、床から1m積み上がったという。
そこから復活しての今回の被災だった。
下の写真はかつて雑誌に掲載された、店内の棚のごく一部である。
おどろおどろしい品々の棚は、また別の棚だが、今手元にはその写真がない。
EXPO_03

我々が見れば宝の山も、子供には妖怪が出てきそうなちょっと怖い雰囲気もあり、
小さい時にこわごわ覗いていた子供がいまや24歳になっているそうだ。
そのかつての子供が罹災の日、一切が灰になって真っ黒な口を開けている店頭に一人立ち、
ぽろぽろと涙を流していたという。

ヤフオクの出現と入れ替わりにレトロブームが去り、
都内や近辺のあちこちにあったショップは次々に閉店に追い込まれたが
彼の店だけは今に至るまで長く生き残ってきた。
彼とその店には〈引き〉というものがあった。
店独特のオーラが「なんでこんなものが?!」という珍品はもちろん、
珍客、変人奇人を吸引していた。
この世知辛い世の中のどこに彼ら(奇人変人)の存在を受け入れる社会があったのか、
今もって不思議だ。
誤解を招かぬよう書いておくけれど、奇人が集まっては来たが、
オーナーの彼と店員のみんなは変人でも奇人でもない。
ただ、彼ら奇人らの話にじっとつきあっていられる人たちであった。
彼らはあるときは不思議な買い物をし、あるときは売りにやってきた。
彼らはここに、自分たちの「寄る辺」を見つけていたのではなかったか。
ここでとつとつと語ったエピソードを綴れば、かなり興味深い一冊になるだろう。
それらはおかしくも奇妙な生の数珠つなぎであった。
店のスタッフとここにやってくる変わり者ら全員にとって「夢の砦」だったとも言えそうな、
ここはそういう店だった。


今日の夕方、被災跡の前に立って、在りし日の店と友人らの姿を思い浮かべた。
記憶に浮かぶその日は、
いつもと変わらず店内からぼんやりとした明かりとラジオの音楽が漏れ出ていて、
それはこれからもずっと変わらないと思っていたのだけれど、
終わりは前触れもなく、突然やってきたのだった。

EXPO_02
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