千倉港
(ガッシュ)

水丸さんの生涯の時系列からすると逆になるけれど、
二日目は足を伸ばして房総の南端、千倉へ向かった。
昔、肺に疾患のあった子供が多くそうしたように、
気候の温暖な海辺の土地へと療養疎開し、水丸さんは3歳から母と二人でここで過ごした。
自伝的な小説、漫画、エッセイが多い水丸作品の中でも、
千倉で過ごした頃を題材にした話は繰り返し出てくる。
何度出てきてもおもしろいし、どこまで事実なのかわかもらない。
水丸さんの生前、すでに大きく変わってしまったこの地を、
再度訪れることは怖くてできなかったとも書いている。
私がここを訪ねることに何ほどの意味があるのかとも思うけれど、
ファンの心理というものはそういうもので、その地を歩くことが楽しい。

千葉は東京の隣とはいえ、かなり遠かった。
高速を使わずに車を走らせると、4時間ほどもかかって千倉駅に到着した。
ほとんど人通りのない駅前に近代的なコンクリート打ちっ放しの駅舎が唐突に現れる。
やはりという感じだけれど、ちょっと歩くとあちこちに
水丸さんの少年期から建っていたとおぼしき古い家や店舗がポツリポツリ。
時刻は既に午後の二時、駅前の食堂でかき揚げ丼を食べて港へ向かう。
船着き場を境に右が漁港、左が砂浜の海水浴場になっていて、
昨日の湘南とよく似た、大勢のサーファーが散り浮かぶ風景が広がっている。
水ははるかにこちらがきれいで、昨日ビーチを描いたので今日は漁港を描くことにした。
水底に沈んで真っ白に見えるのはすべてサザエで、
水丸さんが子供の頃から好きだったサザエのカレーというのを思い出した。

千倉-1

少年期をモチーフにした小説に出てきた荒くれ友人「八丈のタツ」が放校になり、
東京湾を挟んで伊豆へ船で出て行ったのはこの港からだろうか。
悪友というのは人の生涯に強く切ない印象を残す。
流れ者で片腕の「テンバの六造」が遭難者を救うため、
嵐の海で死んだのはどのあたりだろう。
この海に多く従事した海女さんが天草を採っていたのもやはり西の方の岩浜だろうか。
事実とも架空の話ともつかないシーンを、いろいろ思い浮かべていた。

左の堤防越しに打ち付ける太平洋の荒波の音がどーん、どーんと聞こえる。
そこから見える水平線は岸の見えない、広い太平洋の一本線。
この一本の水平線は水丸さんの絵に、生涯寄り添っていたように思う。

千倉-2
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