六本木交差点
(ガッシュ)

再開発で街が上に伸びはしたけれど、
新宿や銀座に比べると六本木はやはりそれほど大きくはない。
ここは今もバブルの頃と変わらず、遊びに来る外国人が多い。
それも米軍の兵士だろうか、屈強な黒人が多い。
東京に来た当初、先輩のカメラマンに連れられたり、
あるいは仕事で印刷の校正に飯倉あたりへ出向いたりした。
初めての海外への旅、ビザをもらいに当時のソ連大使館へ行ったりもした。
いろいろ高く付いたこの街の思い出は、数が少ないだけに鮮明だ。
最もよく出かけた行き先は、今はなきCDショップ「WAVE」だった。
今はあたり前になっている、店員による手書きのお勧めコメントがまず画期的だった。
そしてその何割かは試聴もできた(これも今はあたりまえ)。
限られた財布資金で中身もわからず購入し、
自宅で初めて失敗だったか判明するのはあまりにリスクが高かった。
郊外からはるばる六本木へCDを買いに来る理由があったのである。

1992年ごろのこと、シベリア鉄道で同乗したオーストリア人のK君の家、
というより邸を帰国後友人と訪ねたことがある。
この六本木交差点の裏にあって、明らかに日本とは設計が違うその住まいは
彼の父上であるエリート商社マンの暮らしを垣間見れた。
同行した和菓子職人の友人は、最初オンボロのファミリアで迎えに来たK君を
「親父さんのランボルギーニはこれか?」とからかっていたが
ドアをくぐった途端笑顔は消えて「Kさん」と呼び、今度は笑われる側になった。
ただ、我々5人の日本人を迎えてリビングに用意されていたウエルカムフードは
意外にも卵とハムのサンドイッチだった。
同い年くらいの友人(K君は当時18歳くらい)が来ると思われたのかもしれない。

この日は前々から楽しみにしていたジャコメッティを国立新美術館へ見に行った。
金曜と土曜は20時まで開館しているのがありがたい。
針金のように細いシルエットの独特の彫刻。
中には彫刻家が指示するタイミングごとに石膏の型を取って、
その制作プロセスを立体で追える展示作品群も貴重だ。
しかしどれもよく似ていて、どれが先に作ったものか区別がつかない。

近代彫刻はジャコメッティ以前と以後で分けられる。
ここをどう理解するかであらゆる彫刻の受け取り方が違ってくるように思える。
日本人哲学者で長きにわたりモデルにもなった矢内原伊作が記録した
鬼気迫る制作風景が文章として残っている。
かつての彫刻家のアトリエでの息吹を想像しながら、
写真でしか見ていなかった作品の実物との対面は楽しかった。
実物に迫るあまり、常に数センチにまで小さくなってしまったという彫像群がある。
ひねくれ者の見方をすれば、あれは元の粘土の中身の芯はどうしたのだろうと思う。
フォルムからしても必ず入っているはずの針金の芯、
それはペンチで切り取らない限り元の大きさのままであるはずだけれど、
完成作品は限りなく小さくなっていったという。
以前からそのことが気にかかっていたが、今回もそれはわからなかった。

海外の美術館ではカメラのフラッシュを焚かない限り、
写真撮影は自由なところが多い。
日本ではその点の不自由さを問題点として指摘する声が多い。
今回珍しいことに、展示されていたジャコメッティ作品のうち、
「歩く男」含むとても重要な3点が撮影自由となっていた。
私もジャコメッティの手の痕跡がうかがえるテクスチャーが見えるところを
数カットスマホで撮影した。
ところが撮影してもよいとなると中には何枚撮っても満足せず、
いつまでもシャッターを切り続ける観客が何人もいた。
これは海外ではあまり見ない風景だろうと思う。

ジャコメッティ展
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