FC2ブログ
kimuraihei_01

どういうタイミングで企画されたか、
日本橋の三越で「木村伊兵衛写真展 パリ残像」が開かれている。
木村伊兵衛が残した「パリ」に関する写真を
現代にプリントし直しての展示だ。

写真集「パリ」については以前、ここで詳しく書いたので触れないとして、
初版刊行後44年を経てなお、
朝日新聞社から再編集されてリニューアル復刊、さらにポケット版と、
それらに掲載されなかった別カットで構成し直された「パリ残像」、
没後パリのみで合計4冊出版されているのは、この写真家のこのテーマが、
いかに人気があるかということの証だろう。
最後の「パリ残像」収録の写真を中心に、オリジナルの「パリ」のものと、
合わせて130展点展示されている。

kimuraihei_03

土曜日、写真家で木村伊兵衛の弟子にあたる
田沼武能さんが会場で講演をされるというのでこの日に出かけた。
田沼さんの写真は雑誌「東京人」などでもよく見ていて、
作品はよく拝見していたものの、ご本人を見るのは初めてだった。
木村伊兵衛の愛弟子さんだけあって、
撮影の裏話や、当時の生活をたいへん楽しく聞かせてくださった。
少し再録しておこうと思う。

まだ戦後間もない頃のこと、外国へ行くこと自体、たいへん難しかった。
働いても給料も出なかったのだから、外国へ行くなど夢の夢だったという。
田沼氏が給料が出なくて困っていることを木村に言うと
「ばかやろう」と怒られた。
「仕事をしながら写真の勉強をさせてもらっているのだから、
 金を払ってもいいくらいだ」
とのいい草だったが、その通りだったと田沼さんは当時を振り返る。
会社は何か事件が起こるとカメラは貸してくれる。
でもフイルムが入っていなかった、ともいう。
田沼さんは木村伊兵衛といた会社のほかに、もう一社在籍していた。
給料はそちらでもらい、こちらでは無給で働いていたという。
それを会社も「そうしたほうがいい」と勧めていたというからおかしい。

当時木村は、通信社に海外から送られてきた写真を見る機会を得た。
その中に、カルチェ・ブレッソンが撮影した、あのマチスの写真があった。
たいへんな衝撃を受けて、なんとかブレッソンに会いたいと思う様になったのが
海外へ行きたいと思うようになった端緒だという。
あるとき、マグナムのカメラマン、ウエルナー・ビショフ氏が来日することになり
日本での案内役を木村自身が買って出た。
英語が話せない木村は、
アメリカ人と結婚したあとに別れて出戻ってきていた娘さんを通訳に
東京の下町をはじめ、8ヶ月ものあいだ日本を丹念に案内するとともに、
自身の暗室をも提供した。
その実、海外の写真家の仕事ぶりを見ることができ、
後々、同じ写真家として得がたい経験になったという話はよくわかる。
ビショフ氏にはぜひ海外へ来て、ブレッソンにも会うように勧められ、
その世話を引き受けることを約束した。
ビショフ氏は同じマグナムのキャパにそのことを話し、
キャパも来日時、木村に訪仏を強く勧める。
ところが直後、キャパはインドシナで亡くなり、
ビショフ氏も取材先で交通事故に遭って亡くなる。
そのまましばらくその話は立ち消えになっていたが、
ふたたび渡欧の話が持ち上がると、友人たちからの募金をはじめ、
アサヒカメラの支援、
当時勤めていた会社以外の、たとえば日本光学(ニコン)に臨時の社員として
「視察」目的の出張扱いという異例の支援と、
まったく「日本らしくない」、社会の垣根を越えた支援を受けて渡欧するのである。

木村はパリで念願のブレッソンに会い、
パリの下町の案内人としてロベール・ドアノーを紹介された。
このドアノーの紹介が、撮影の成功を決定づけたと、田沼さんは力を込めて言う。
また、写真集「パリ」よりも先に出版された外遊写真集にも掲載されている、
女優やファッションモデルを撮った写真がある。
ファッション写真も撮ったドアノーの撮影に立ち会った折、
隣で撮影させてもらったのだそうで、彼らの懐の深さを感じざるを得ない。

写真集の後半で、パリ郊外を車で走って撮影した写真がある。
とてもいい風景なのだけれど、限られた撮影旅行でどうしてこんな所に行ったのか、
不思議だったのだけれど、これはブレッソンのブロアの別荘に招待された折、
通りかかった車の中から撮影した景色なのだそうだ。
(このあたりは写真集の撮影日記にも書いてある)

私は木村伊兵衛のパリの写真は、本国フランスの人にとってこそ、
より大きな驚きを感じるのではないだろうかと思っていた。
田沼さんによると、数年前にフランスから、
木村が撮ったパリを本国の写真展で紹介したいと、依頼がきたという。
やはりフランスでも、この時代のパリを撮った「カラー写真」は
いいものはほとんどないそうで、開催後は大きな話題になったそうだ。

kimuraihei_04kikuraihei_08



木村伊兵衛は女性を撮っても、街やそこに住む人を撮っても、
すべてその生活が感じられる一瞬を撮ったのだという。
さらに、どんなカットでも一つのシーンで
シャッターは3回、多くても5回ほどしか切らなかったという。
もちろん撮り直しなどは絶対にせず、その一瞬に勝負していた。
「本当に天才だった」と語る田沼さんの表情に、師に対する愛情の深さがにじむ。
面白いのは、あれほどカメラ機器、とくにライカを愛したのに、
雑誌で「ライカ使いの職人」と書かれると、すぐさまカメラ屋へ持っていって、
当時使っていたライカを売り飛ばしてしまったそうだ。
「写真はカメラのおかげ」ではないぞ、ということだろうか。
「あれ(売飛ばしたライカ)を買っときゃよかった」と、田沼さんは笑う。

講演後、会場を巡って写真を指しながら、いつまでも語り続ける田沼さん。
氏を囲む聴衆もまた、みんな本当に楽しそうで、とてもいい講演会だった。

kikuraihei_07
(個人的には、この競馬場で悔しさにじませる、ご婦人の写真が好きだ)

kikuraihei_06
(伊兵衛氏はこんな力関係がにじむ男女をよく撮っている)

展覧会は11月5日まで。
関連記事
スポンサーサイト

WHAT'S NEW?