抽象音痴が見たジャクソン・ポロック展

 20, 2012 02:05
Pollock(インディアンレッドの地の壁画)

仕事の合間を塗って、日本初の大規模回顧展、
ジャクソン・ポロック展を見に行ってきた。
抽象が苦手な私が何ほどのことも言えないけれども、
ポロックの作品を見ながら私は、日本の「書」を思っていた。


筆の文化を持つアジアの人なら、ポロックの絵の具を垂らして塗り込めた作品群を見ると
私に限らず、まずは誰もが「書」を連想するのではないだろうか。
黒が多くの代表作でキーカラーになっていることもあるけれど、
実際、会場には東洋的な書を思わせる作品が展示してあった。
スミ一色で描かれたその作品には研ぎ澄まされた美しさがあり、
鴨居の上や床の間にかかっていても何の違和感もないと思われる。
漢字は象形文字であってつまり具象画だけれど、
墨跡での表現である「書」は抽象画とも言える。
加えてポロックがポロックとなった最盛期の作品群は
抽象画には珍しく色彩がとても美しい。
これらの抽象作品は思考やイメージの表現というより、
私には色彩の実験、色彩構成を試みていたように見える。
作品に精神性を見たりするのはできあがったあとのことではないか。
これら墨跡(?)と色彩の美しさにより、ポロック作品には気品が備わっているように思える。
画面の密度が作品の大きさを想像させることができるのも、作品の強さに繋がっているように思う。
絵の具の無数のほとばしりは一見激しい制作風景を想像させるが、
私が実物の画面を見て最も感じたのは東洋的な美と静寂だ。

しかしポロックはピークだった1950年を境に突然それまでのスタイルを変えてしまう。
彼はこのスタイルで今後も描き続けることに我慢がならなくなったようだ。
ポロックを巨匠にしたこのスタイルは、同時に彼を行き詰まらせた。
色彩の実験はそのとき、終わってしまったのだろうか。
自分の見つけたスタイルの可能性を探り、数年間その追求を続けた結果、
画家はそのスタイルにおいて、全てやり尽くしたと感じたのかもしれない。
ここまで変わり続けたアーティストが一年後、十年後もそのスタイルを続ける自己模倣に
我慢がならなかったのだろうか。
画面にほとばしる絵の具のしずくが全面に均一に施されたスタイルは、
その均一性から「オールオーバー」とも言われている。
画面の均一が作家としてもオールオーバーになってしまうことに、あるとき気づいたのかもしれない。
その後、人びとから退行と評された、具象形が現れる作品には、
ドローイングへの渇望が見えるように思う。

しかし、私はここで勝手に思うのだけれど、
彼がもし東洋、それも日本の「書」を経験していたならば、
ポーリングという技法を極めることはまだまだ可能であったのではないか。
たとえばスタイルは、もっとシンプルな方向へと向かったかもしれない。
あえてドローイングを取り戻す必要を感じなかったかもしれないのではないだろうか。
制作に悩んで酒にもおぼれることもなく、自動車事故で命を落とすこともなかったかもしれない。
同時代以降のアーティストは彼の作品、スタイル(技法)から多大なものを学び、
多くの亜流や新しいスタイルを生んだけれど、
彼自身にとってはひとつのスタイル以上のものを生まなかったのかもしれない。


ポロックがもしも「書」と出会っていたならばと、そこから想像をふくらませてみた。
以上は何の予備知識も抽象画への造詣もない私が、作品を見て想像した勝手なポロック像だ。
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COMMENT 2

Sat
2012.04.21
22:25

タブロウ #3h4yWL0g

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Re: 抽象音痴が見たジャクソン・ポロック展

のまどさん、こんばんは。

おっしゃるように日本文化は抽象にかなり近い位置を歩んできたと思います。
私は自分のことを「抽象音痴」と言っていますが、
日本人は、いろいろ難しく考えなければ、
ある程度のものは心に入って来やすいはずだと思います。
私の場合は「なぜ自分はこの作品がいいと思えるのか」が自分自身でわからないと、
理解できていない、と思ってしまうんです。

「細い綱渡りをする様な困難な芸術活動」とは言い得てますね。

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Sat
2012.04.21
18:44

のまど #-

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Re: 抽象音痴が見たジャクソン・ポロック展

ジャクソン・ポロック展をご覧になられたのですね。

ポロックは学生の頃より好きな作家です。

滅茶苦茶描いてる何て酷評する人も居られますが、とんでもないですね。
感覚として細い綱渡りをする様な困難な芸術活動だと思います。
その精神はカタローニヤの画家アントニオ・タピエスにも受け継がれてると思います。

ところでタブロウさんも取り上げられてますが、本来日本人は抽象的構成に長じてると思います。
書もそうですが屏風絵なども様式化してもはや抽象に至る作品が見受けられます。

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