山へ

 05, 2012 16:22
連日のロンドンオリンピック中継、どんな競技を見ても面白い。
世界中の真に優れた選手たちが、あらゆるジャンルの競技に集まって真剣勝負をする。
負ければ涙、勝っても涙。
建前や出来レースばかりの世の中に、TVを通して見る必死の天才たちの姿。
やり直しの一切きかない、一生に一度の競技にかける姿はそれだけで十分に感動的だ。


先日、新田次郎の自伝を文庫で読んだ。
新田次郎はあれだけ面白い山を舞台にした小説を多く書いているのに
自身は「山岳作家」といわれていたことに、かなり抵抗があったそうだ。
しかし自ら山に登り、気象庁の優秀な職員でもあった作家の手による山岳小説は
経験に科学的裏付けがあって他の追随を許さない。
木訥であって正直、義の人である作家の人となりを体現したような文体はやはり山岳小説にふさわしい。
没後かなり時間が流れているにもかかわらず、ファンがいまだに多いのも納得できる。
「国家の品格」などの著作で有名な藤原正彦氏は、新田次郎の次男である。
父親からさらにとんがった主張があって好き嫌いは別れるけれども、
数学者でありながら文才もあるのは父譲りで、才能と正義感は遺伝するのかと思わせられる。
自伝の文庫本の帯には「昼働き、夜書く」とある。
気象庁職員と作家の二足のわらじを20年間履き続けた作家の姿をひと言で表した言葉だ。
そういう人の生き方には勇気づけられる。
比べるべくもないが、私の場合はさしづめ「昼働き、夜描く」となる。


私も30代はじめ頃、未経験ながら少し山を登っていた時代があった。
結婚前には奥さんや、結婚後は山好きの友人と何度か山行を共にしたが
あとはほとんど単独行の小屋泊まりだ。
仕事の夏期休暇を利用して毎年、一週間以上を山の稜線上で過ごした。
15年ほど前、私に限らず山に来る若者はほとんどが男であり、たいがいは一人で来ていた。
山小屋の客はひとりストーブに向かって静かに炎を見ていたり
部屋の隅でじっと空(くう)を見つめて座っていたりして、
なにやら難しい考えに没頭しているようにも見える。
なるほど山は人を哲学的にする場所だったか、と思ってしまう。
しかしホントのところは皆、昼間の行動の疲れに頭のてっぺんまでどっぷり浸かって、
実は何一つ考えられない。
頭の中はカラッポ状態、または夕食に出た冷凍ハンバーグへの尽きぬ不満、など、
極端に単純で無意味な思考が頭を支配していたりする。
酒を飲んで笑っているグループもあるが高所で酒類は貴重であってそう気軽に振る舞われはしない。
山のスケールとは裏腹に笑顔の裏にはしみったれた飲み助の姿が見え隠れする。
ブームに乗った山好きの中高年であふれかえる日本の山小屋とは概してそういうものだった。
そこへ近年は若い女性が好きこのんで押しかけているらしい。
人里と隔絶された山頂に一夜、
見知らぬ中年男十数人のいびきと放屁の響きが充満する狭い合部屋に男女問わず寝かせられ、
繁忙期には同じ布団に見知らぬ異性とひとつ布団を共にすることすらある。
それでもここを目指す女性は増える一方というのはにわかに信じがたい珍現象だ。

以下続く・・
スポンサーサイト

COMMENT 0

WHAT'S NEW?