日本人のノーベル賞

 10, 2012 02:46
京都大学の山中伸弥教授がノーベル賞を受賞したことが日本の世相を明るくしている。
人の命に関わる医療技術に直接関わる貢献だけに、本当に世界に誇れる業績だと思う。
しかも受賞の対象となった研究の論文発表からわずか6年後に受賞というのはかなり異例なのだそうだ。
今、日経新聞では以前ノーベル賞を受賞した化学者根岸栄一さんの「私の履歴書」が連載されている。
そちらと山中教授の記事、そして過去の理科系のノーベル賞受賞者のことも読んで思うのは、
日本人の優秀さよりもむしろアメリカという国の懐の深さだ。

政治経済の世界の米国は大嫌いだが、
文化国家としてのアメリカは日本はまだ及びもつかない先進国だと認めざるを得ない。
日本人ノーベル賞受賞が決まるたびに、受賞者が日本におらず、
アメリカの大学や研究機関からコメントを出すことが多いのにいつも歯がゆい思いがしていた。
山中教授も今でこそ日本にいるが、若い時にはアメリカに招かれて、
彼の地で最高の教育を受け、最高の研究環境を与えられて日本では不可能だった研究者としての大きな成長と
自らの研究の大きな進歩を可能にしたにもかかわらず、
受賞の折には「日本人、ノーベル賞受賞」とだけ報道される。
アメリカはそれに対して惜しみない拍手をしてくれるのだから頭が上がらない。
今回の山中教授受賞のコメントでは、
「受賞できたのは、日本という国に支えられたから。
 まさにこれは日本という国が受賞した賞だと感じている。」
とおっしゃっているけれど、アメリカから帰国したときに入った大学での環境の貧弱さ、
研究費の少なさや周囲の無理解に鬱状態になったという。
ここ数年、ノーベル賞に最も近い日本人の一人、などといわれるようになってやっと国から補助が出始めた。
それでも足りなくて、体力自慢の教授は自らマラソンに出場して完走する事を条件に
一般市民から研究費の寄付を募っただのだそうだ。
アメリカでは同様の研究に対してすぐに理解を示して支援することを決めたのは、
あのあまり聡明だとは言えないジョージ・ブッシュ大統領である。

以前もここで書いたのだけれども、
仏ルーブル美術館に収蔵されている作品の90%は凡作なのだそうだ。
美術館が購入した当時はその画家にも世間の追い風が吹いていたのだろう。
しかし今となっては「何でこんな画を・・・?」としか思えないような平凡な作品が
倉庫に何十万点もあるという事だ。
逆に言えば、1枚の傑作を残すには、9枚の駄作に投資する覚悟が必要だということだ。
ルーブルでさえそうなのである。
画の評価というのは難しいかもしれないが、研究目標と成果というのはそれに比べればもっと明らかだ。
いつまでもアメリカに育ててもらって成果だけを日本人として騒ぐというのは、
育ての親に義を欠いたセガレといわれても仕方ない。
いいかげん海外に金をばらまくだけのODAは考え直して、
アメリカに替わって今度は日本がアジアの国から研究者を招き育てて、
ゆくゆくは日本以外のアジアの国からノーベル賞受賞者を出すくらいの事をすべきだろう。
そこで初めて、アジアでえらそうな顔が出来るのではないか(別にしなくてもいいけれども・・)。
文化貢献とはこのように時間とお金もかかることなのである。
日本も長い時間をかけて途上国に貢献してきた歴史がある。
しかし持ってさえいれば誰でもできる安易な資金援助は我々が収めた税金から差し出されている。
ほかにお金を出す国が出てきたら乗り換えられ、忘れ去られてしまうようでは何とも無念だ。
さらに国として、お金を持っているから(今やそうでもないか)威張っているのでは
今もめている隣国と文化的に大した違いはない。

ところで今初めて知ったのだけれども、山中教授は私が育った奈良市の学園前で
同じ時代に同じ町内で青少年期を過ごしていたということだ。
年齢も一つしか違わず、隣の小学校だったので学校は違っているけれども
ひょっとしたらどこかで何度もすれ違っていたかもしれない。
いつか山中教授が日経の「私の履歴書」を書くことがあったら(きっとあるだろう)
少年時代の話はさぞ懐かしさを覚えるに違いない。
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