藤本義一さん逝く

 01, 2012 01:01
藤本義一さんが亡くなられた。
あちこちに追悼文がアップされると思うけれど、
私は他であまり書いていないことを書いておきたい。
若い日にその作品、ことばにずいぶん励まされた作家だった。

関西以外の人にとってはTVの11PMの司会者の印象のみが強いと思うけれど
直木賞作家であり、無数の映画やTVドラマ、コントなどのホンを書いた
脚本家であり、放送作家だった。

わりと晩年のことだけれど、11PMに出演していた広瀬隆が原発の危険性について触れた折、
番組スタッフからストップするよう遮られたのだが(11PMは生放送だった)、
「本当のことを言って何が悪い」と言ってそのまま広瀬さんに話を続けさせたことがあるそうだ。

タレント作家扱いされていたが、学生時代からラジオドラマなどの脚本の他、
川島雄三監督のもとでも脚本を書きまくり、
直木賞を取るまでにはすでに、
自分の背丈よりも高くまで積むほどの原稿を書いていたと話しておられた。
ラジオドラマの懸賞に応募して、東に一人強力なライバルがいたのが井上ひさしだった。
遅筆として有名だった井上ひさしも、若い時は一瀉千里に書きまくっていたのである。
藤子不二雄と石森章太郎の関係みたいなものだ。
テンポよく、軽妙で頭の回転がいかにも速そうな大阪弁、
しかも非常に上品、かつ色気があった。
とつとつとしゃべる私は、あんな話し方ができればと心から思ったものだった。
職人の祖父と生粋の船場商人の父を持った義一さんは他の土地にない、
独特の言葉、いや、高度な言葉の遊びを血肉としていた稀な作家だった。
自分では西鶴の流れをくんでいると自負していたように思う。
とにかく上方文化に底知れぬ造詣の深さを持っておられた。
・・・・


義一さんの祖父は表具師で、毎朝鏡の自分に向かって三度大声で
「おい!アクマ(悪魔)!」と叫んだ。
これは何も自分が悪魔に見えているわけではなく、
オ=怒るな
イ=いばるな
ア=焦るな
ク=くさるな
マ=負けるな
という、職人の親方としての戒めだったのである。

父親は船場商人、一世を風靡したTVドラマ「どてらいやつ」がイメージしやすい。
この父が義一少年に言ったことは
「サンズノカワヲワタルナ」
これもただの三途の川ではない。
やってはいけない三つの「ズ」
金貸さず
役就かず
判押さず
どんな親しい人にも金を貸してはいけない、貸した金が返ってこなくてその人を恨むより
貸さずに恨まれた方がいい。貸さなかった恨みはその時だけだから。
なにかの寄り合いの役に就けば自分の時間が無くなる。
保証人の判は押してはならない。

いかにも大阪の処世訓だが、このことを義一さんはくりかえしエッセイに書いていた。
言葉のおもしろさを職人と商人の肉親から受け継いだのだと、
書き残したかったのかもしれない。
エッセイのタイトルもひねりがきいていた。
「男の顔は領収書、女の顔は請求書」(「男の顔は領収書」は大宅壮一の言葉)
「今日は明日の昨日」

ラジオドラマを書いていた若い日のこと、
ラジオから流れてきた詩に衝撃を受け、その足でその作者の少女を訪ねて取材し
たった四行の詩を連続ドラマにしてしまった。
詩はたしかこんなのだった(やっとわかった)

停電の夜
あんな ところに
トタンのあな
星のようだ

今の豊かな生活しか知らない子供たちは、このトタン屋根の生活シーンを想像できるだろうか。


あるときは精神病院へ取材に行った。
まだ中学生くらいの少女は、心から好き合っていた男子生徒がいたが、
まだ早いと、両親によってそれこそ生皮を裂くように引き離されてしまった。
結果、少女は精神的に病むようになり、入院生活を送ることになってしまった。
起きている時は窓の外をぼんやり眺めてひと言も口をきかない。
食べて、眺めて、寝るだけの人になり、みるみる衰えていった。
両親は後悔して男子生徒に病室を尋ねてくれるよう頼んできた。
他のことには何の興味を示さない少女はゆっくりと体力を回復し、彼が来るとその顔を見る。
彼はある時、彼女の前にいながら他の女性のことをふと考えていた。
ひと言も話さなかった少女はその瞬間、「他の人のことを考えないで」と口を開いた。

そういう二人を取材して、いつか小説に仕上げるつもりだとおっしゃっていたが
その後、達成できたのだろうか。


そんな話を私が義一さんから聞いたのは、私がまだ関西にいた頃、
月に一度大阪南の宗右衛門町にある寄席料理屋で開かれていた、
新野新はじめ在阪の、主に放送作家が集まって行うトークショーでだった。
あらかじめ入り口で募った御題を各作家で受け持ち、ひとり20〜30分ほどトークする、
といった企画だった。
各作家は忙しいのに手弁当でやってきて、無償で講演をやっていたわけである。
なぜそういうことをやっていたかというと、義一さんが若い頃、
黒澤明監督が脚本家志望の若者を集めて同じようなトーク会をしていたことがあり、
若い日の義一さんは感動に震えながら、それこそ全身を耳にして聞き入っていた経験から
大阪でもやってみようということで始められた草の根の会だった。
ただ、集まっていたのは藤本義一ファンのふつうのおじさん、おばちゃん、
ものずきな若者少々だったが、好奇心だけで行動していた私もよく出かけた。
あれから20年、今もやっていたのだろうか。

私の好きな義一さんの言葉にこんなのがある。
「男は振り向くな すべては今」
「貯めるのは金、使うのは銭」
「蟻一匹 炎天下」
蟻の字はつくりが「義」、となりの「一」とで義一だ。
こういう言葉の遊びにかけて、同郷の開高健と比肩する達人だったが
義一さんの言葉はいつもしゃれていて、関西人らしいユーモアがあった。
とくにこの「蟻一匹 炎天下」は、人が一人この世の中で生きていく姿そのもので忘れられない。
私はかつて日本を北海道から九周まで歩いて旅するのに際し、
出発前、担ぐザックにマジックでこの言葉を書き記して旅に出たことを思い出す。


「昭和一ケタ世代」
うちの父を含め、がんばるおじさんの代名詞も最近はほとんど聞かなくなった。
「昭和一ケタ世代はしぶとい、て言いますが、実は身体は丈夫やない。
 一番栄養が必要な子どもの時に、食うや食わずだった。
 だから長生きはできないと思います」
新聞では「肺炎」とあったが、すでに末期ガンだったということである。

全ての人にとって、「すべては今」なのである。
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COMMENT 2

Sun
2012.11.04
01:06

タブロウ #3h4yWL0g

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NoTitle

はじめまして、
しょうちゃんさん、とは言いづらいのでしょうちゃんでよろしいでしょうか。
心温まるコメントをありがとうございます。

私もしょうちゃんのBlogはよく拝見しています(ちょっと更新が少ないですね)。
のまどさんのティジー個展へのご参加も、楽しみにしていましたが
お怪我だったとか、とても残念でした。もう大丈夫ですか?

しょうちゃんの、短いけれども独特の味のあるのは文章だけでなく画もそうですね。
皆さんそうおっしゃっていますが、私もまったく同感です。
こう言っては何ですが、「ひょろひょろ」と描かれた画になんとも言えない味わいを感じることがあります。
私の方こそ、これからもいい画を見せてください。

義一さんのことは寂しいですが、濃い一生を全うされたとも思います。
こちら東京へ来てからほとんど声や言葉が聞こえてこなかったのが残念でした。
義一さんの言葉に反して、私は関西時代を振り返ることが多いです。

ここのところ、昼の仕事に追われて、帰宅後は布団に直行になってしまっています。
次の画に取りかかれるのはもう少し先になりそうですが。
これからよいおつきあいをお願いいたします。

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Sun
2012.11.04
00:37

しょうちゃん #bGf9qjkw

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はじめまして

はじめまして
しょうちゃんです いつも拝見させて頂いております 一度投稿させて頂こうとおもいつつ この様な悲しい記事で残念です 最近は渋い方が亡くなられてさびしいかぎりです それにしても なかなか藤本義一さんの言葉良い物が有りますね 語り口の柔らかさにかかわらず中央に対する反骨精神
11Pmのたしか火曜日と木曜日でしたか 最初のアシスタントに安藤孝子さんを入れられたのも東京にこんな良い女おれへんやろ そんな気概があったからと小生は思っています
また時々お邪魔します 油彩も楽しみですね基本のある方は一味違います 親の愛情あふれる坊ちゃんシリーズすごく良かったです

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