「尊厳の芸術展」

 24, 2012 22:30
セガレの学校の美術のテストの課題、
「芸術とは何か、書きなさい」
これはまた、中学生には背伸びした大きい課題だ。
正解などあるのだろうか、また、教える側には回答を持っているのだろうか。
「芸術」ほど大上段に構えた言葉も他にちょっとない。
けっこう適当な答えで丸をもらっていたようだけれども、私だったらうまく書けただろうか。
主なテスト範囲はルネサンス期、試しに他の全部の問題を解いてみたら、85点だった・・・(!)

話を戻して、
芸術とは、何だろうか、などと、これも書くだけでも気恥ずかしくなる。
しかしそれを深く考えざるを得ない、考えるにふさわしく、すばらしい展覧会が開かれている。
上野の東京芸術大学美術館で開催中の「尊厳の芸術展

第二次大戦中、日米開戦に伴ってアメリカ国内に住んでいた日系アメリカ人は
主にアメリカ東部の砂漠地帯にある収容所に隔離収容された。
日系米国人収容所の背景は年末か年始に草薙剛主演でTVドラマにもなったから知っている人も多く
会場にはやはり年配者が中心だったが、かなり多くの入場者があった。
収容所での悲しい歴史の産物だから表に出にくく、現在まで残っているものも少ない。
会場にはその貴重な作品が展示されていた。
タイトル

着の身着のままで収容所まで連れてこられた彼らの最初の仕事は、自分たちの収容所の建設だった。
極端にもののない状況の中で、やがて彼らは身の回りの環境に彩りを添えることをはじめる。
彼らは名前で呼ばれることはなく、皆通し番号で呼ばれた。
人間としてこれほど屈辱的なことはない。
一人の日系人はまず漢字の表札を木っ端に彫り、バラックの入り口に掲げた。
それを皮切りに手提げ袋、もの入れのかご、小物家具、椅子、テーブル、金属の道具、
そして装身具から置物、食器に硯、やはり日系とはいえアメリカ人だ、
野球をするためのユニフォームから大会の優勝旗まで、
どの品を見ても日本人らしいまじめで勤勉、創意工夫にあふれ、
丁寧できれい好きな国民性が輝いていて感動する。
これらを見て思うのは、展覧会タイトルの「尊厳の芸術」は
誤解を承知で言えば「軽すぎる」気がする。
いかにも目と耳を引きそうなタイトルで、見て聞いて気恥ずかしい。
ここにある美術工芸品は芸術作品ではない。
それは誰よりも作った本人たちがそう思って作ってはいないはずだ。
むしろ「芸術作品」よりずっと重く、尊いものであるように思う。
これらの品々には、それこそタイトルにもある「尊厳」という言葉が最もふさわしい気がする。
人間、衣食住足りて次に求めるのは「美」あるいは「用の美」なのである。
とくに日本人はそういうことに対して緻密で最高度の才能を発揮する、
本当に誇らしいと思う。
かつて世界の工場であり、技術立国となったのは、偶然やどこかの国の庇護だけではないのだ。
収容所の暮らし生活の彩り


ここの作品はフラッシュやをたいたり、動画を除いては撮影も可能だ。
それと特筆すべきは、展覧会の入場料が無料のうえ、
12ページオールカラーの豪華パンフレットが、無料で配布されていることだ。
後援が国やNHKだとこんな事も出来てしまう。

これらの小物を入れるかごは、紙をよったひもを編んで作ったものだ。
私の小さい頃には母が似たものを作っていたが、
ここに展示されたものは外人が見たら驚嘆するような緻密な仕上がりだ。
尊厳_かご1かご-2

引き出しもデザインされ、とてもくずの廃材を足しつないで作ったものには見えない。
引き出し

壊れた機械の部品を使って作った機関車。
マッチ棒で五重塔を造る伝統がここにも見える。
機関車

規格品かと見間違えるほどの均一、丁寧な仕上げを施されたチェス駒。
チェス

モールで作ったように見える花はパイプ用ブラシ製でガラスはマヨネーズ瓶。
造花

女性の手による花や鳥をかたどった数々のブローチは、
かつて湖だった砂漠の地面を30cm以上掘ると出てくる貝を使っている。
ブローチ

はさみやナイフは、自転車のスポークなどの金属をボイラーの炎で溶かし、鍛えて作ったものだ。
刃物を持つことを許されていたことで、彼らの扱われようが伺われる。
はさみ

これは16歳の子供が作ったそろばん。
そろばん
大人たちは収容中に子どもの学習が遅れないよう、所内に学校を作り、
大人にはカルチャースクールを作った。
学校をさぼったり選挙に行かなかったりすること、これらはなくなって初めてわかる、
実は「権利」であることを、若い世代に伝えたい。
震災で避難所にいた子どもたちは、最初に「学校へ行きたい」と言っていたことも思い出す。

水彩画にも、長くアメリカにあっても心の奥深く生きている「日本」がはっきりと見える。
水彩

アメリカ人義勇兵として出兵した息子を待つ母親の像(ヘンリー・スギモト、油彩画)。
視線の鋭さにたじろぐほどのリアリティを持っている。
このような意志の強さを感じさせるまなざしを持った女性を、ついぞ見なくなって久しい。
ヘンリー・スギモト

陶器を焼く窯などない。
これは石を穿ち、磨いて作られた茶碗、急須、花器、そして(写真にはないが)硯だ。
いったいどれくらいの時間と手間がかかったのだろうか。
茶碗急須

寄せ書きの一つ一つは刺繍である。
よせがき

朝晩手を合わせた廃材の仏壇。観音扉は仏壇らしく、さらに二つに折れるようになっている。
奥のは木をくりぬいて作られている。
仏壇

収容所にいた日系人の肖像。
どの顔も笑顔があふれている。
撮影したのが監視のアメリカ人なら、演出だろうか。
しかしゆえなき逆境にあっても勤勉、清潔で創意工夫にあふれる人柄を彷彿とさせる。
かつて豊かになるために働きまくった日本企業にも、こういう笑顔は見られた。
ポートレート版画を彫る人(版画を彫る人)

これらの切実な生活から生み出された品々を、収容所を出たあとも作者は大切に持ち続けた。
しかし誰にも、子どもたちにさえ決して見せようとはせず、収容所の事も悲しい話としては語らなかった。
そのことで、今いるアメリカという国、そして国民に恨みを持ってみて欲しくなかったからだという。
罪を憎んで人を憎まず。
これほどの「尊厳」を人知れず守り通した先達を、心から誇りに思う。

芸術とは何か、
ここにあるすばらしい仕上がりの品々は工芸品であるけれども
それらを生み出した気持ちの向き方、高まり、
いわゆるリビドーというのは、芸術を生む精神と同じかそれ以上だ。
会場のポスターに書かれていたNHKアナの国谷さんの言葉、
すべては、「私はここにいます」に尽きるような気がした。
芸術とは、「自分がいまここにいることの証」と言えはしないだろうか。
スポンサーサイト

COMMENT 2

Mon
2012.11.26
23:43

タブロウ #3h4yWL0g

URL

しょうちゃん、こんばんは。
「収容所の風景」は入り口にあった画です。
写真で見るとここの収容所には実際に山がありましたが、
なるほど、そういえば富士山にも見えますね。
なにもかもはぎ取られた時に最後に残ったのは内なる「日本」、
彼らの最もつらかったのはどこの国民としても扱ってもらえなかったことでしょう。
センスはアメリカ、ルーツは日本であることはここではこらえきれない切なさであり、
下った世代の私なんかから作品を通して見ると、それは尊さとなって迫ってきます。

芸術とはなんぞ?
あらたまって口に出して言うにはちょっと気恥ずかしくもある問いですが、
作品は、創る人にとっても見る人にとってもある種、救いになるものではないでしょうか。
答えは一つではなく、私はこれからもずっと考え続けるでしょうね。

Edit | Reply | 
Mon
2012.11.26
20:22

しょうちゃん #bGf9qjkw

URL

タブロウさんこんばんは

今日は良い物を見せて頂きました 今エミールハリスの「テネシーワルツ」を聞きながら書いています

主催のHPの最初の絵「収容所の風景」にドキンと来ました ストライブで窮屈な収容所を表し その奥に木調風の山ヒダで平坦でない祖国への道を表し そのうえになんと富士山がおおい被され そして手前にアメリカ風の道標で又現実に引き戻される なんとsuggestionの多い絵ですね  ただ作家のセンスは完全にAmericanでルーツだけでなんてこったいとボヤキが聞こえてきそうで有ります


「芸術とは何ぞや」と問われば「探求反射である」とパブロフ風に答えるのも似やわないので小生には「それはいちばん遠きに有るもの」
ですかね

Edit | Reply | 

WHAT'S NEW?