「炎の絵」中込忠三と手塚一夫

 13, 2012 12:59
炎の絵

ここのところ帰りが遅く、筆が持てない日々が続いている。
そういう日も昼食後は近所にある3軒の古書店を回るのが日課になっていて、
先日、そのうちの一軒の古本屋店頭の100円の棚に
「これは珍しいな」と手に取った本がある。
私は既に読んでいるけれど、今も新刊で入手できるがけっこうマイナーな本だ。
書名は「炎の絵」、夭折の画家手塚一夫について書かれた本だ。
今もなおほぼ無名に近いが、長谷川利行の足跡を知る人ならご存じかも知れない。

著者である中込忠三氏は一介の小学校教師であり、
とうていパトロンになれる身分ではなかったが、作品を一目見るや心から感動し、
画家とはじめての面会後自分の元に呼び寄せ、以後画家の一切の面倒をみた。
画家は夭折し、没後戦火から守るために著者が苦労して作品を疎開させたことが
かえってあだとなり、以後まるで作品が炎を呼ぶように戦火をあび続け、
画家から預かった命より大切な絵は少しずつ失われていった。
それでも著者が戦火から守り抜いた画たちは戦後、
ただ一度の回顧展によって異色の天才画家と評価される。
しかしその後も炎は執拗に作品へと背後から忍び寄る。
ある日、著者旧知のある人物の不注意から火災に遭い、
運命のいたずらか、ほぼすべてが灰燼に帰した。
残された絵はあまりにも少ない・・・。

そういうことが実話として存在し、現在一冊の本として残っている。
「炎の絵」(中央大学出版部)は著者中込忠三氏がかつて出会い、共に生きた夭折の画家、
手塚一夫と過ごした追憶の日々と、残された絵が辿った運命とを描いた悔恨の記録である。
私は手塚一夫の名前を矢野文夫が書いた長谷川利行の伝記小説「野良犬」(芸術社/絶版)
同じ著者の「長谷川利行」(美術出版社)の中で知った。
また洲之内徹の「人魚を見た人 -気まぐれ美術館」(新潮社/絶版)のコラム、
「荒天出航」でも取り上げられている。

以下、再度詳しいあらすじ。
ネタバレにはなるけれども、序文にも同内容が書かれているので差し支えないかと思う。
・・・・
著者中込忠三(1910~2001)は東大まで出ていたが、
自らの進むべき道が見つからず、故郷の山梨に戻って煩悶の日々を過ごしていた。
そこでふらり入った展覧会で中込氏の運命は変わる。
戦前の昭和11年(1936年)甲府の商工会議所で行われていた美術展で
著者は隅に掲げられていた一枚の小さな絵に目を奪われた。
それが画家手塚一夫との出会いだった。

手塚一夫「ひまわり」

以後、中込忠三は手塚の生活一切の面倒を見、
東京の小学校の代用教員に就くため上京すると手塚を呼び寄せ、同居生活をはじめる。
下宿で出される一人分の食事を二人で分け、一枚の布団を二人で共用しながらの生活は
貧しくはあったが描くこととその絵を見ることで幸せに浸れた。
仕上がった絵のことを語り合うことを無上の喜びとして生きた。
おとぎ話のようではあるが、実話である。
驚く事にふたりは一時期、手塚が長谷川利行の個展で画を買ったことから
中込氏の家に3人で暮らした時期もあったという。
長谷川利行が新宿の木賃宿に住んでいた頃の部屋の中のようすが書かれているのも貴重だ。

序文にこうある。
「絵描きになるべく生まれついた一人の素朴な青年が、学校教育もろくに受けず、画道の教師にも就かず、ただ自分の天分をたよりに渾身の力を画の修行に傾注したらどういうものができるか、どんな絵描きが生まれるか、という実験が本書の主題である。しかしこの実験はゲーテの「ファウスト」のような文学作品ではなく、徹頭徹尾著者が身をもって体験した事実の記録であることを特記しておきたい。」

「プロレタリア」という言葉が浸透していた時代、
著者は精神的彷徨の時代を経て、正義感と慈愛をもって工場地帯の労働者街に移り住み、
そこの子供たちの教師として働く道を自ら選択したのだった。
貧しい街に生きる子供たちの臭いまでもいきいきと描き出した文章を読みながら私は
坂口安吾の「風と光と二十歳の私と」を思い出した。
今の学校環境と比較して、これが「本来の教師と生徒の姿」と思うより「時代だ」と思う。
教師と生徒とのこういう関係はこの時代でこそあり得た、
今の時代では教師や学校を取り巻く環境がそうはさせないのだという気がする。
そういう意味で手塚一夫もまた、
戦前の若き中込先生の愛する生徒のひとりだったのだとも言える。

手塚は持病の肺病が悪化して、これから、という時に28才で夭折する。
しかし手塚の残した絵はここから中込忠三を含めて劇的な運命をたどる。
本の題名である「炎の絵」には大きく二つの意味が含まれている。
手塚が描くフォーヴの燃えるような色彩とタッチ、
もう一つは手塚の死後、残った絵がくぐった戦火、火災の、文字通りの「炎」だ。
空襲の中を妻、子供、そして手塚の遺した絵と共に燃えさかる街を逃げる。
防空壕に入らなかった絵は燃え、疎開した絵もまた燃えた。
それでも幾たびかの炎をくぐり抜けて守り抜いた数枚の絵は上で書いたように
戦後ただ一度の回顧展で天才画家の評価を受けた後、
中込氏の知人の不注意による火災によって、自宅に飾っていた一枚を除き、
すべて失われてしまうところで終わっている。
命より大事にしていた絵がまさに灰燼に帰した後、
後年著者は「人間本来無一物」という心境に達する。

さて、この本の本筋には関係ないところで、私が忘れられないところが二つある。
ひとつは晩年、40年前の自分のことが新聞に出たことが懐旧の情を呼び起こし、
著者はかつて暮らした街、葛西の船堀へでかけていく。
そこは生前の手塚や長谷川利行らとも暮らしたことのある街だった。
夕暮れ、歩き疲れて偶然入った焼鳥屋で著者はそこの店の主人と
画家と生きた時代を語るうち言葉に詰まってしまう。
無念を悟った焼鳥屋の主人は奥から大事にしまってあった徳利と盃を出してきた。
対のひとつの盃は自分で使うと言い、
包んだ徳利と盃は「長いこと、一筋の道をごくろうさまです」
そういって中込氏に差し出すのだった。
家に帰った著者は妻に「勲章をもらった!」とそれをうれしそうに見せる。
「胸に下げるどんな勲章よりいいですね、と老妻は笑った」というくだりには
読んでいるこちらも清新な夫婦愛に心を打たれる。

もうひとつは空襲のなか、子供を連れて炎から逃げまどうところ。
空襲で焼かれ、死屍累々と転がる中、背後では発狂する女がいる
怖がる子供たちを抱き上げた妻が大声で叫ぶ。
「こわがらないでこの様子をよく見ておきなさい、一生忘れないように!」
「いまに世の中の役に立つ仕事ができる子だとお思いなら、きっと守ってくださる」
この時代の母親は英雄的だった・・。

偶然別々の所蔵主の手元にあった作品が戦火を逃れ、現在6点の手塚作品が残されているそうだ。
この本の収録図版は失われたものも含め16点(カラー2点)の図版を見ることができる。
実際の手塚一夫の絵が見られるところは
  「ガスタンク」・・・山梨県立美術館(山梨県甲府市貢川1-4-27)
  「村娘」・・・旧制高等学校記念館(長野県松本市県3丁目1番1号)
  「船(荒天出航)」・・・旧制高等学校記念館(   〃    )
少し古い資料なので今も収蔵しているかどうかはちょっとわからない。
なお、美術館の収蔵作家には手塚一夫の名前は出ていない。

生前、著者友人の作家阿部知二の作品「幸福」に、二人がモデルになった人物が登場する。
人物のその後を描いた「野の人」という作品に登場する部分を抜粋したところを
ありがたいことにこちらのサイトで読める。
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COMMENT 7

Sun
2014.06.29
17:41

タブロウ #3h4yWL0g

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はじめまして。
思いもかけず、中込さんのご子息から直に言葉をいただいて、感激しています。
戦火の中、お母様の腕に抱かれていたその方だと思うと、感激もまたひとしおです。
中込さんは平成の13年までご存命だったのですか。
時はずいぶん移ってしまいましたが、ご冥福をお祈りいたします。

「炎の絵」は、私が読んできた美術関係の本の中でも、最も感銘を受けたうちの一冊でした。
日本人とはこんなに優しく、立派だったのだと、
できればもっと大きな版元から出していただいて、
末永く多くの方に知っていただけることを願ってやみません。
手塚氏の作品も、少なくとも二点は今も残っていることを知って、安心しました。
ほんとうにありがとうございました。

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Sun
2014.06.29
11:01

中込振一 #-

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旧制高等学校記念館以降ノ“炎の絵”

中込忠三の長男です。平成13年年父が他界した年に二点の絵を返還してもらい、父の生家に預けていたのですが、、この度自宅を新築する運びになり先週甲府から藤沢の自宅に連れて参りました。
昭和15年に銀座資生堂で開催された遺作展の目録等の資料も生家に保管されておりました。
数奇な運命を経て父の位牌の元に戻りました。
インターネットで貴殿のホームページを知り感激いたしました。   
   

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Thu
2013.10.03
11:24

タブロウ #3h4yWL0g

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No title

拍手コメント欄にいただいたのですね。
ありがとうございます。
拙い文章、内容ですが、何かお役に立てたならばよかったです。

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Fri
2013.04.12
02:24

タブロウ #3h4yWL0g

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No title

縷衣香さん、はじめまして。
「炎の絵」を読まれたのですね。
内容は、兄弟のように暮らした友人(画家)を失い、
残され、預かった大切な絵をすべて失うという失意の話であるはずなのですが、
読後感は温かく、どちらかといえば「幸福」を感じます。
本来は歴史に埋もれる小さな逸話ですが、いい本ですね。

絵を描かれているとのこと、
ぜひいつまでも描き続けてください。

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Fri
2013.04.12
01:50

縷衣香 #fLcE.x3k

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今日、「炎の絵」を読みました。

 私は今、長野で絵を描いているものです。
 画家の幸福は少しでもいい絵を描くことであり、よき理解者にあえることでしょう。
 
 青春の日々を価値ある人助けをしながら、そこから生まれる絵を見る喜びは至福であったと思います。

 絵が残らなくても確実に喜びのなかに生きていた美神が降りていた時が至上の幸福だと思いました。

 不純のものが入る予知がないほど精進できたのは二人の幸せですね。

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Fri
2012.12.14
01:47

タブロウ #3h4yWL0g

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しょうちゃん、こんばんは。

私はこの本を読んで、手塚一夫の画よりも著者中込忠三さんのほうの生き方に
より強く打たれました。
このような生涯は本来、歴史にも残らず消えてゆくものでしょうが
たまたま中込さんの恩師という人が書いて残すべきだと忠告したおかげで
幸運にも今の私が知ることが出来たわけです。

「よく生きる」こと、
人生は「無」であるけれども、生き方によっては同時に「無限」にもなりうること、
そんなことを考えました。

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Thu
2012.12.13
23:03

しょうちゃん #-

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こんなお話を聞いて 世の中を見るとなにかきらめいて様に感じます

絵は虚 通り一遍ではその奥の深い空間はわかりませんね

人間本来無一物  これまた然り 早く「虚」とか「無」を理解できるようになりたいですね 何か色の間から滲み出てくるような

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