「今」に生きた、長谷川利行

 03, 2010 19:25
長谷川利行展

国立近代美術館へ行ってきた。
他の美術館もここくらい入館料が手頃だと(850円)ありがたいし、
図録も買いやすくなるのだけど。。
麻生三郎展は15年ぶりの大規模回顧展。
長きにわたる一生(2000年没ながら松本俊介、靉光らと同期!)のうちに、
画家は大きくスタイルを変えていった。
作品はとくに前半がよかった。
子供と裸婦の作品がすばらしい。
しかし今回の本命は、別フロアで特別展示されていた長谷川利行の特別展示だった。
私は利行を知ってからそれほど長くはないので大きな事は言えない。
見たくて仕方がなかったのにこれまで実物を見る機会がなく、
この一年間は画集や伝記などの資料にあたって満足していた。
・・・
長谷川利行(はせかわとしゆき、1891~1940年)は多く「リコウ」と呼ばれているが
誰がいつからそう呼んだのか、経緯はちょっとわからない。
濁点なしの「はせかわとしゆき」は結構読みにくい。
その利行は(私はもちろん)ファンには大変愛されている画家である。
昨年(2009年)なんでも鑑定団で発見された幻の傑作「カフェ・パウリスタ」
この件で話題になったが、利行にはもともと熱狂的なファンが多い。
その「カフェ・パウリスタ」を中心に、今回9点の作品が特別展示されていた。
(国立近代美術館による作品の調査報告がけっこう興味深い)
回顧展でもない限り、利行作品をまとめて見れる機会がないので
今回の展示は本当に楽しみにしていた。
国立近代美術館HPでも小さくしか扱われておらず、あやうく見逃すところだったのだ。

利行作品との初の対面に相当わくわくして行ったのだが、実物を見ての印象は、、、
いやー、よかった。
「カフェ・パウリスタ」は発見時の汚れて真っ黒な状態を写真で見たが、
その悲惨な状態からここまで修復できる修復師の技術にも感嘆した。
長谷川利行_カフェ・パウリスタ

先日NHKの「プロフェッショナル」でも絵画修復師を取りあげていたが
日本人は器用な上に作業が非常に丁寧かつ徹底的なので、
こういう作業にはすばらしい結果を出しているのだろう。
館内で見た、色彩が鮮やかによみがえった作品は想像していたより大きく、すばらしかった。
他に8点の作品が展示されていたが、タンク街道、頭蓋骨と静物、ノアノアの女、
岸田国士像、ポートレエ(前田夕暮像)など、利行の代表作が並んでいたのにも驚き、感激した。
これらは収蔵作品になったのだから、これからも常設展示されるとウレシイのだが。
 長谷川利行_タンク街道  長谷川利行_工場裏

実際に作品を見る前、利行作品は(生活がルンペン同然だったことからして)
もっと汚れていたり、痛んでいたり、くすんだ色を使っているのでは、と思っていた。
しかしそれは誤解で、とても鮮やかで美しい色遣いなのだった。
塗りなぐったような絵の具は今にもこぼれ落ちそうで
この勢いで描いていたら絵の具はいくらあっても足りなかったろう。
塗り残したキャンバスの地もきれいで、画家本人以上に作品は大事にされたのだろうか。


利行は49歳まで生きたにもかかわらず、どこか夭折、不遇の画家のイメージがある。
自分の絵をわずかばかりの酒代に代えて飲み歩いていた、
というようなエピソードがモディリアニを思わせるからだろうか。
しかしモディリアニと違って艶っぽい挿話とはほぼ無縁で
むしろ同性愛の気があったのではないか、と親友の矢野文夫は伝記に書いている。
はじめは京都から歌人としてスタートし、
その後東京へ出てきて亡くなるまで画家としては20年間絵を描いた。
他に類のない画風はやがて頭角を現し、二科展で樗牛賞を受けるほどの実力がありながら
日々はキャラメル箱などに絵を描いては、わずかな酒代に代えて彷徨した。
だからといって名声や金に無頓着だったかというと、かなり執着はあったと、
利行を終生評価した熊谷守一は語っている。
ちょっと知り合ったが最後、金の臭いをかぎつければ即押しかけて何度も絵を売りつけ、
金をせしめるまでは瞑目し玄関から一歩も動かなかった。
そのため、東郷青児ら二科展委員などからひどく嫌われたせいか、
会員にもなれず、よって(金は欲しかったのに)絵の値段はいつまでも上がらなかった。


終生家もなければ家族もなく、一銭の蓄えも家財さえなかった。
浴衣にちびた下駄を引っかけ、野良犬のようにさまよいながら
珠玉の作品を我々に残してくれたのである、と
後に作品を多数収集した上野の羽黒堂、木村東介氏は図録に書いている。
住まいは木賃宿を転々とした後、市の養育院で無縁仏として葬られ、
あとに残った自分が最も大事にしていた絵やスケッチブック、絵の道具等とともに、
規則に従い、一切合切を焼却処分されて完全に無に帰した最期は、
話としてはそれだけで充分ロマンティックな一生である。
しかしそれは実際に長谷川利行という画家が辿った生涯なのである。
彼が描いたその作品はほとんどデッサンの跡を残していない、
ジャパニーズ・フォーヴの色彩の早描きだった。
30号くらいの作品でも1時間半で描き上げたものもあり(前田夕暮像)、
 岸田国士像が4日かかったというのは例外的なのだそうだ。
 長谷川利行_岸田国士  長谷川利行_新宿風景
武家の血筋をその風貌にも感じさせる利行は対象の本質を一刀両断につかみ取り、
短時間で画面に定着させることが出来た、世界でも類のない画家だった。
一見子供が描いたように見えて、しかし決して誰にも描けないオンリー・ワンのスタイルだった。
その魅力を書き切った見事な文章を洲之内徹の「気まぐれ美術館」に読むことが出来る。
そこだけを抜粋しよう。利行はすぐれた歌人でもあった。
・・・・・
人知れず くちも果つべき身一つの 今がいとほし 涙拭わず  (利行の短歌)

・・・風景だけではない。女でも花でも、利行は何を描いても「今がいとほし」なのである。
だからみんな利行に惹かれる。
言葉にならない、言葉にしようのない自分の感情を利行の絵の中に見る。
そして「今がいとほし」のこの「今」は何十年経っても現在の「今」で、
時代と共に古くなるということがない。(「セザンヌの塗り残し」より)

まだ生活も苦しかった若き日の東山魁夷が、はじめて自分で買った絵が利行の裸婦だったという。
利行が没してからも絵の値段はなかなか上がらなかったから貧乏画家にもその絵が買えた。
自転車操業の弱小画廊を営んでいた頃の洲之内徹も一時、30点近く利行の作品を所有していた。
洲之内は同時期、中村彝の自画像も自宅の木造アパートの自室に山積みにしていたそうで、
今は昔、これもまた夢のようにロマンチックな話である。

参考までに、今まで読んだ資料(ごく一部だけれど)では
伝記では「長谷川利行」(矢野文夫著、1974年、美術出版社)が詳しい。
長く利行と行動を共にした矢野文夫の著作は、彼自身が作家であると同時に絵描きでもあったので
どれもよく人と作品なりを伝えて、利行のとなりで目撃した実体験としてのリアリティがある。
長生きした麻生三郎は利行とも交流があったので、その著作に記述があるかもしれない。
画集は図書館で何冊か借りてみたが、収録点数、カラー画像ともに少な目なのが多く
マニアでもなければ高価な代金を支払ってまで・・と思うし、
それより手頃で比較的入手しやすい展覧会図録がいいと思う。
図録では1976年(約1/3がモノクロ画像、1,500円ほどで入手可能)と
2000年版(古本価格やや高め、4,000~5,000円程度)がおすすめ。
とくに2000年版は点数も多く印刷もいい。
76年版は過去の作品集に収録されていた友人、知人らの寄稿の再録も多く興味深い。
2000年版と合わせて持てば充分満足できると思う。

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Tag:長谷川利行 矢野文夫 洲之内徹 気まぐれ美術館

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