(4)「字」に残る高村光太郎

 10, 2013 01:34
山での厳しい環境にいた頃に書いた随筆集「山の四季」は、
山の清澄な空気と村人の素朴な親切がそのまま伝わってくるような温かな文章だ。
巻頭の「山の雪」という美しい随筆はありがたいことに、
いつでもこちらの「青空文庫」さんで読むことが出来る。
「山の四季」の見返しにあるいろりの火を見つめる光太郎さんの姿が印象深い。

山の四季
・・・・

あと、村人との温かな交流を書き記したものが、
「山居七年」(筑摩書房、絶版)という本に詳しい。
著者は、光太郎さんを花巻の宮沢家(賢治の実家)へ疎開を勧めた佐藤隆房氏による。
内容は、村人の小さな聞き書きも漏らさぬよう、拾い集めた労作で、
医師でもある著者の人柄と、村の人の光太郎さんへの尊敬と愛情があふれている。
光太郎さんの書を皆欲しがったり、倉から出てきた大黒様なんかの置物を持ち込んで、
なんでも鑑定団みたいなことを頼んだりしている姿もあって面白い。

光太郎さんは書もよくしたが、その中に「正直親切」というのがある。
移り住んだ小屋の近くにある小学校に揮毫したもので、その字同様、
光太郎さんが生んだものを目にすると、誠実で親切な心に触れる思いがする。
下の写真はその小学校でのもの。(「高村光太郎 美に生きる」二玄社刊より)
サンタクロースに扮した光太郎さんの姿にはひたすら、「幸福」というものを感じる。
190cmを越える長身の光太郎さんは、子どもたちには本物のサンタに見えたことだろう。

正直親切

ゆかりの地が多い東北では、光太郎さんは当時からとても尊敬された。
出身地である東京より、ずっと大切にされている。
女川には日本一大きな詩碑がほぼ私費で建立されたが、先の震災の津波で被災した。
現在それがどうなっているのかはわからない。

もうすぐ4月2日、光太郎さんの命日である。
光太郎さんが「乙女の像」制作のため、中西利夫のアトリエに仮寓していたとき、
咲いていたレンギョウの花の美しさにふれたこと、
亡くなったときにその花が一枝、棺の上に添えられていたことから、
この日を連翹忌といって、光太郎さんを偲ぶ日としている。
(ちなみに智恵子さんの命日は「レモン忌」)
光太郎さんはあんなにも厳しい冬を経験したにもかかわらず、雪がたいへん好きだった。
静かに世を去ったその日も、東京は季節外れの雪だったそうである。

前と記述が重なるけれど、今年は生誕130年の年で、
この夏6月29日から8月18日まで光太郎さんの彫刻作品を千葉市美術館で見ることができる。
ここまで思いに任せて4回に渡ってつづってきたが、これでおわり。
いつか、高村山荘を実際に訪れてみたい。

厠の透かし彫り
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COMMENT 2

Tue
2013.03.12
12:55

タブロウ #3h4yWL0g

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No title

しょうちゃん、こんにちは。

光太郎さんは書についても大変厳しい見方をされている文章が残っていますが
それでこのような字になっています。
一見力の抜けたやさしい字にも、誰も真似の出来ない構図と運筆があるのだと感じますね。

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Tue
2013.03.12
01:15

しょうちゃん #bGf9qjkw

URL

No title

タブロウさん こんばんわ 最近急いではいけない との戒めに字は崩さず楷書で書くようにしているのですが この高村光太郎の「正直 親切」の書 ふわっと温かいもの包まれまれますね

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