嵐の夜にふたたび思い出す話

 07, 2013 01:20
雨粒

今日は夜半から強い雨が降っている。
いつだったか、嵐の夜には山小屋を思い出す、と書いたことがある。
思い返して何とキザなと恥ずかしいが、本当だから仕方が無い。
ところで、出産後の女性の仕事事情について、子どもを預ける保育所がまったく足りなくて
共働きや母子家庭の支援がなっていないと問題になって久しい。
家庭の財政事情がネックになっての保育所問題は深刻だけれど、
出産後も働きたい女性が、子どもを預けないと働けないという問題もあり事情は様々だ。

お父さんだけでなくお母さんも働きに出る家庭の子どもは昔、「鍵っ子」と言われていた。
保育園は小さい子どもが行くところで、小学校になると半ばボランティア的な活動で
小学校付随の教室があてがわれて「学童保育」という形で預かってもらえたりする。
我々の学校ではそこを「バンビホーム」と言っていた。
母と子、雷雨が激しい夜には、昔読んだ藤本義一さんの随筆で忘れられない話がある。

話の主人公の女性は看護婦で夫婦共働き、幼い子どもが二人いた。
我々のところのような「バンビホーム」などない町では、
あるいは預けるための月謝を払えぬ家庭の子どもは家の鍵を持たされ、
どこも子どもだけで留守番をしていたのが普通だった。
女性の子どもは二人ともしっかりしていて、明るく仲のいい兄弟だった。
その日の夜は雨が強く降り、やがて雷雨になった。
そういう日に限って仕事は長引き、子どもたちに帰りが遅くなると家に電話をかけたが
「大丈夫だよ。二人でちゃんと留守番しているよ」というのを聞いて母親は安心した。
やっと仕事を終えると、やはり子どもたちが心配になって帰り道を急いだ。
玄関を開けると子どもたちが「お帰りなさい」といつも通りニコニコと迎えてくれた。
ちゃんと留守番していたことにほっとした。
二人を寝かせたあと、母親は洋服ダンスの戸が少し開いているのに気がついた。
中を開けて見ると、タンスの背面の板に何か文字が書いてある。
明かりをつけて見ると、それは子どもが書いた字だった。
「お母ちゃん、こわいよ」
子どもたちは雷雨の間、二人でここへ逃げ込み、震えながら書き付けていたのだった。

母親は仕事を辞め、その後子どもたちが手離れするまで働きには出なかったそうだ。

私が子どもの頃、物価を考慮しても会社員の給料は今よりずっと少なかったはずだが
共働き家庭はかなり少なかったのは「時代」のせいだけだろうか。
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