日曜美術館「石田徹也」を見て

 30, 2013 02:16
飛べなくなった人

NHKの日曜美術館で思いがけず石田徹也を取りあげていた。
私自身は現代日本を代表する画家だと思っているのだけれど、
残念なことに若くして8年前に事故によってなくなっている。

石田の作品は自宅に飾って鑑賞したり、家族で楽しむ種類の作品ではないかもしれない。
以前にもここで書いたように、どの作品も泣いているように見える。
しかし他の誰よりも現代人、とくに日本の若者が受けている傷を正確に表現し得た画家だ。
鑑賞者が受ける印象の多様さは作品の抽象性の高さを示している。
なにも丸や三角だけが抽象ではなく、
表現しようとするテーマを「生」でない別の形に置き換えること、
その作業が抽象化なのだと思う。
そういう意味で石田作品は、優れた抽象絵画と言えるのだはないだろうか。
・・・・



番組にコメントを寄せていた何人かのうち、二人がミュージシャンだった。
女性はメジャーな人だったが男性は私が知らないだけかもしれないが、
おそらくマイナーな人だったように思う(狭い自宅でインタビューを受けていたので)。
しかしその男性ミュージシャンの石田作品に寄せる思いには
大きな共感を覚えて思わず胸が熱くなった。
私も男だからだろうか。
対して女性ミュージシャンは石田が自分の身近な素材をモチーフにしていることに対して、
作品造りのコツを見習おうと思った、みたいなコメントにはどうも違和感が残った。

展覧会場でノートに書かれた鑑賞者の声の中にあった、
「俺が絵になっていた」
「観て見ぬふりをしていた自分と 直面した気分になった」という生の声は
想像以上に多くの人の声を代弁しているのではないだろうか。
そして、
「ああ嫌だ 思い出したくない」という声が象徴していると思うのだけれど
目をそらしたくなるほどのありのままの自分がそこにあり、
そのことが石田作品を見つめると心に苦痛を感じさせるのもまた事実ではないのだろうか。
私も以前から石田徹也作品にどうしようもなく惹かれていながら
画集を手元に置くことをためらってきた理由がそこにあって、
この平和な日本に生きながら、
自分が二度と経験したくない日々を石田作品の中にありありと見てしまう。
感想ノートに書かれていたような派遣労働は経験はしなかったけれど、
それでも共感できる部分はたいへん大きい。
番組内で男性ミュージシャンが言っていたように
そういう多くの人が共感できることを、誰も表現しえなかった姿で描かれている、
晩年に近づくにつれて画家の腕は飛躍的に上がり、表現は難解になってゆくが
ただわからないのではなくてその分、解釈の方向が広がっていったとも言える。
特別な人間だけに見える世界ではなくて
多くの人がどこか共有できるような風景を彼は描いている。
作品は見る人それぞれが経てきた経験によって、
理解や共感の深度は作品ごとに異なるに違いない。
しかしながらこういう世界に縁のない人にほど、石田作品を見て欲しいとも思うのだ。
現代の若者は、20年前からこのような傷を負って生きているのだと。

番組で紹介された作品で、コメンテーターと私との感想が大きく違っていた
二点についてだけここに感想を書いておこうと思う。
まず「触手」という下の作品。
触手

私はクラゲの中の男は、現代の社会では大人になれない、なろうとも思わない男性の
ある種の幼児性や閉鎖性を象徴しているように感じた。
そういう男と連れ添う運命になった女性はこの画のように
ふたりの人生の道行きの中でひどく傷つくだろう。
ふたりの暮らしは深海の中のように孤独で閉鎖的なもののように見える。
またこれを(他作品「コンビニエンスストアの母子像」と同じく)母子像、
一種のピエタ像と取ることも出来るかもしれない。
ミケランジェロのピエタ像はキリストと聖母マリア像は年齢が同じように造られていた。
大人になってなお子供を守りながらもその心のナイーブさ故に
逆に傷つけられてしまう現代の母親像に見えてもしまう。

彼方
「彼方」という作品。
体が廃車になって倒れている老人はすべての男性の臨終の姿に思える。
かつて彼の人生は誰か、たとえば家族を乗せて走り続ける事だったが、
ここに来てもう誰も乗せることはできない、やっと走ることから解放されたとも言える。
後ろに見えるのは長年連れ添ってきた妻の姿だろうか。
彼はここまで彼女を乗せて運んできたのだ。
手前の老人の廃車には誰も乗せていない。
助手席のドアを蹴破って出ていった誰かがいたのだろうか。
あるいは連れ合いが先に旅立ったのか、
現代の若者から見れば生涯独身だった、という方が現実的に思えるかもしれない。
川の向こうには神々しくはあるが凍てついた大地が見えるのは救いとは言えない気もする。

私の解釈もあくまで私見であり、
人それぞれ、解釈はいろんな方向へ広がるのは優れた作品の証しだと思う。
作品と長く対話できるのはそれだけで素晴らしいことだ。

今後も不幸にして若者を取り巻く厳しい環境が長く続くなら、
石田作品はそれに共感を寄せる人から長く支持を受け続けるだろう。
今現代アートは各地の町おこしの一環として大きな花火を上げているけれど
祭が終わって半世紀の後も作品として生きて残っているのは、
祭りの賑わいから遠く離れて光彩を放つこの石田徹也作品だけかもしれない。
そしてそういう社会は幸福ではないように思える。
ほんとうは、石田作品が何を描いているのかわからない、
という世界の方こそ幸福な世界なのである。

感想ノート-1
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COMMENT 4

Mon
2013.09.30
23:42

タブロウ #3h4yWL0g

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No title

画を見るにあたってはその人の経験、ノスタルジーから感動を呼んだり、
さまざまな解釈をして対話したり、
あるいは純粋に色や形に感動を覚えたりするんでしょうね。
感動を起こす視点はさまざまです。
私の感じ方はいつも同じではありませんが
マルケを見ても利行を見ても、いい画に対話の空間はいつも感じています。
今回、文学的に鑑賞して陶酔していると見えたらお恥ずかしいです。
たまたま石田作品には感じ入る部分が深く、確かにいろんなストーリーを思いました。
それを含めて、画を見るというのは楽しいですね。
番組の背景のことは知りませんでした。
それを聞いてもなお、彼の作品はいいと思うんですよ。
今の時代の「生きにくい」という意味はどういうことなのか、
それをこのように鮮明に描ける画家を他に知りません。
私は画を見てそう思いました。(上の画だけではわからないと思いますが)

Edit | Reply | 
Mon
2013.09.30
23:06

越智 #-

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No title

タブロウさん、こんにちは。

仕事の少し時間が空いた時に書いたので随分と失礼な書き方でした。
すいません、決してタブロウさんの感じ方を否定した訳ではありません。

と言うのも、実はこの話題には自分の中で伏線があり、その時の事が一気に蘇りました。
以前ノルマンディーの家に、某放送局元チーフプロデューサーの方が泊りに来られました。
夜中の一時半まで色んな事を話しをし、その時に石田さんの絵の話題にもなり、その方が日曜美術館に取り上げる様に後輩の番組担当の方に薦めたそうです。

その方も絵と対面しながら作者が込めた目に見えない想いなどを読み解く見方をするそうです。
しかし私は絵画の前に立った時の一瞬の感覚でしか見ません。
その時に絵画の見方と言うのも、人それぞれなんだなアと教えられました。
私にとって良い絵画とは世相を表す物でもなく、文学的な事でもないです。
ただただ絵画として美しい、そして他の全てモノから独立した存在であって欲しい、そんな風に考えています。

Edit | Reply | 
Mon
2013.09.30
21:10

タブロウ #3h4yWL0g

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No title

こんばんは。
ストレートなコメントをありがとうございます。

救いも美への昇華もない画というのは、はたして社会での存在理由はあるのか。
私は石田徹也が描く世界には
見る側と作品との静かな対話が可能な空間がそこにあると思っています。
「対話などできない」と言われればそれまでですが、
ここにはがんじがらめの学校社会や、
モノも人も消費する社会への痛烈で正当な批判があり、
そこをどう受け取るかで対話のドアが開くかどうか決まるのだと思います。
少なくとも見る側の私にとってこれは作品の大切な存在理由の一つです。
ブリューゲルの絵のようにキッチンに飾ることはとうてい無理でしょうが
グロではあるものの暴力的な世界ではなく、
傷ついてはいるものの傷つけることはないでしょう。
ただどんな作品も人それぞれなのであり、
たくさんの人に見て欲しいと言っても拒否反応を持つ方も確かにいる、
そういうことは心に留め置きたいと思います。

彼の父親は息子が亡くなったとき、自宅に残された膨大な作品を前にして
それこそ「病的」だと感じてすべて焼き捨てようと考えたそうです。
番組では紹介されなかったこんなエピソードがあります。
カップ麺だけの食事で残りのお金は全て絵の具代にしていた彼が事故でなくなった時
彼の財布に残されていたのは一枚の100ドル紙幣のみだったそうです。
こういう画を描きながらも、
いつか海外で認められることを夢見ていたのではなかいということでした。
もちろん、貧しかったことや作品が高額で売れたことと作品の価値とは
無関係であると承知の上で書きますが、
没後に彼の一枚の作品がクリスティーズで
想像もつかなかった高額で落札されたのは悲運の画家にありがちとはいえ
あまりに皮肉な話です。

石田徹也の展覧会が関東に巡回してくるのは来春になりますが
以前と同じく、石田作品を前にして私はきっと途方に暮れて立ちすくむと思います。

Edit | Reply | 
Mon
2013.09.30
17:38

越智 #-

URL

No title

タブロウさん、こんにちは。

私はこれまで沢山の作家の絵に接してきましたが、石田氏とイブタンギーの絵だけは受け入れられません。

私にとって絵を視る時に大事な視点が有ります。
それは絵画として成立しているか?
そしてそれは美に昇華しているか?

例えば目を背けたくなる様なモチーフとして、ブリューゲルを先ず想い浮かべますが、彼の絵はそんなモチーフの悲惨さ超えて美しい抽象の域に達しています。
それは画面の張だったり、色彩の透明感、描写の冴えだったり、それが混じり合って神々しいと言うレベルまで達しています。

残念ながら石田氏の作品には現代人の鬱積した精神構造を代弁しているだけでそれらの要素は全く感じ取れません、彼のとって表現の手段が偶然それが絵だったのではないでしょうか。。

そういう意味では決して幸福とは言えなかったであろう、長谷川利行の描いた世界に強く共感します。

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