作家の足あと(作家 今東光) その1

 05, 2013 00:31
今東光の本

古い日記が出てきてある日の文章に目がとまった。
その内容は今ではかなり忘れていた作家今東光に関することで、
自分にとってちょっとした再発見だった。

20代、私は作家の今東光に熱中していた。
当時既に亡くなっていたのだけれど読むほどに寂しくなり、
大阪や河内にその足跡を追ったことがあった。
今東光と言っても当時でさえ流行作家で通用したのは
私より10歳は上の世代だったと思う。
今、その名前を聞いてわかる人は50歳以下でどれくらいいるのだろうか。
映画「悪名」の原作者と言えば思いあたる人は増えるかもしれない。
そういうとエンタテイメントの軽めの小説家に聞こえるが、
博識は古今東西に渡り、とくに司馬遼太郎をしのぐほど歴史への造詣は深かった。
また仏教系新聞社を任されていた時、
まだ文化欄の記者だった司馬遼太郎の才能を見いだして
最初に小説を書かせたのもこの人である。
瀬戸内晴美が出家するときには師僧を勤め、
「寂聴」は今東光の法名、春聴から一字採ったものだ。

その頃は小説より随筆をよく読んだものだったが、
今東光は超タカ派で、あれから30年を経て私は超ハト派である。
政治も時代とともにあり、世相が一方向に流れるのに抗するように
へそ曲がりが多かった昔の文士、文化人はペンを持って大きな声を上げた。
今だったら弟子の瀬戸内寂聴さんと共に別の声を上げたかもしれない。

今東光は20歳の頃、若き関根正二や東郷青児、川端康成らとともに
絵描きと文学との両輪修行をしていて、その頃の貴重な体験を文章に残している。
しかし美術系のやや堅めの関根正二に関する本に今東光の文章がほとんど収録されず
引用も少ないのは、関根の遺稿に今の名前が全く出てこないのがどうもその理由らしい。
勝手なことを書いているんじゃないのか、ということなのだろう。
しかしわずか20歳で夭折した画家の当時の姿を活写している文章は極めて少なく、
関根の幼なじみの伊東深水のそれとともに、貴重なことはまちがいない。
今東光が日曜美術館で当時の関根を振り返って語る
「一つはっきりしているのは、私が消えても関根は残るということ」
日曜美術館過去1600本のなかで最も印象に残る回だという人も多い。
私は残念ながらこれを見ていない。
ブリヂストン美術館には関根の「子供」がある、本当にほんとうにいい画だ。
私は東京に来て真っ先にこの画を見に行った。

画では師にはつかなかったが、文学上の師は谷崎潤一郎になる。
絶筆の「十二階崩壊」はその谷崎の若き日を描いたもの。
私が20歳頃、その今東光の足跡を折に触れ、たどった。
ついこの間と思っていたら、30年経っているのだった。
河内時代に住職として住んでいた天台院のことはファンならば知らぬ人はいない。
(そのファンが今や稀少になってしまったけれど)
その最寄り駅である近鉄大阪線山本駅付近にあった古本屋に東光の命日に立ち寄り、
今東光にうり二つの店の主人に生前の今東光の話を何度か聞いたことがある。
それを帰ってから書き留めたのが日記に詳細に残っていた。
参考書はまったく覚えられなかったのに、その時の私は素晴らしい記憶力を発揮している。
作家今東光のエピソードなど、東京ではもう話す相手もいないので、
ここに残して誰かファンの目にとまれば、
(私の画よりは)いくらか面白がってもらえるかもしれない。

長くなったので以下続く
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