宮本常一と上原隆が聞き書きする片隅の生

 26, 2013 13:31
20131127-2

ここのところ、主に出久根達郎さんと上原隆さんの本を交互に読んでいる。
年末は、できればやさしい話をたくさん読みたいと思う。
二人の作品は心温まるものが多い。
年末、ひときわ世の厳しさを感じたり、
無事年の瀬を迎えることが出来たことにほっとしている人は多いはずだ。
そういうときに心に寄り添ってくれるような本だと思う。

『自尊心が粉々になりそうなとき、人はどのようにして自分を支えるのだろうか』
上原隆さんはそのことをテーマに15年前、今のスタイルでコラムを書き始めたそうだ。
かといって著書は、問題の対処法などの指南書的なものではまったくない。
そしてテーマの性格上、話の内容は重く、読後感が陰々滅々といったものも多い。
そうかと思えば、あるきっかけで人生とは、こんなにも簡単に暗から明へと転じるのかと
読みながらこちらの心がふわっと軽くなるものもある。

世の中にチリほどの影響も与えなかった無名の生に光を当てることは、
いったいどういう意味があるのだろうか。
岩波文庫で今なお最も売れている一冊、「忘れられた日本人」(宮本常一著)は、
離島の老人や僻村の橋の下にすむ乞食にまで取材して書かれた、
まさに忘れられるはずだった無名の人生を聞き書きしたものである。
はじめて読んだとき、決して小さくはなかった彼らの人生に深く感動した。
それら知られるはずのなかった物語の存在は、
同時に世に光の当たらなかった無数の物語の存在を意味する。
それはきっと、今隣にいる他人の生の重さにもつながるはずだ。

脳と脊椎に重い障害のある子を育てるハードボイルド作家、
倒産した地方新聞社の元社員たちがなお愛する新聞という仕事と困難な再就職、
定年退職の日を迎えた中卒のサラリーマン、
ネット喫茶でたったひとり新年を迎える男たち。
今の世の中で「生きづらさ」を感じて生きているのは、
上原さんの本に書かれた主人公ばかりではないだろう。
人生のギアを少し掛け違えただけで誰にも起こりうる思いもよらぬ行く末。
一見ふつうの人が落ちてしまって動けない場所からの声なき「悲鳴」を
著者はここでひとつひとつすくい上げている。
宮本常一の著作が民俗学的な意味を持っているのに対して、
上原作品のそれには時として「無意味」とも思われる生がある。
一瞬で吹き去る風のようなそれらの人生がなぜか深く胸をつく。
そこには、以前書いた石田徹也の画を活字にしたような世界感があったりする。
(長くなったので次回へ)

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