旅と自由について

 02, 2014 01:39
自宅のMacが故障し、とうとう買い換えとなってしまった。
痛い出費は言うまでもないが、データ移動やメールなどの設定に時間が割かれるのも痛い。
故障していなければMacの場合はケーブルでつなげば半自動的に
すべてのデータと設定を新しいマシンに移行ができるが、そうでなければやはり手作業だ。
しかしハードディスクが壊れていなかったことを幸いといった方がいいのだろう。
今日は写真画像のデータを整理するのに半日かかってしまった。
昔の一人旅や家族旅行の写真を見ていると、「懐かしいなあ」
当時を思い出してついつい立ち止まってしまう。

場所はいつも旅先だった

旅をするなら「自由な旅を」とはいつも思うことながら
本当に自由を味わう旅というのは、家族を持ってみるとなかなか難しい。
町には鉄路や道路、山には山道があり、海にも航路があって、空には空路がある。
冒険家や道に迷った遭難者でない限り、人はその上をなぞって移動している。
しかし心が自由になれる旅というのは、実はちょっとしたアイデアで可能だ。
テントと寝袋を持って行き先を決めずにまず出発する、というのもそのひとつだろう。

20代の頃、バイト先の人から聞いた「俺らの旅のやり方」というのがおもしろかった。
大学が夏休みになると、まず友達三人と連れだって、どこか遠くの町へ向かう。
たとえば青森まで行ったとすると、
そこから三人別れて別々のコースを、ひとりは太平洋側、もうひとりは内陸を
残りの三人目は日本海側を大阪まで下ってくる。
何日かけても構わない。
三人とも帰ってきたら再度集まり、自分たちのこれまでの旅の話を持ち寄るわけである。
場合によっては途中の土産物屋でしばらくバイトをして、
最初に持っていたお金を一円も使わずに帰ってくるやつもいた。
一見平凡に見えた製薬会社のおじさんが学生時代に、
そんな自由で愉快な旅をやっていたと聞いてちょっと見直したのだった。
・・・・
松浦弥太郎さんのエッセイは透明感があって、自由で、読後感がすごくいい。
今では雑誌「暮らしの手帖」編集長やエッセイストとして有名だけれど、
かつて高校をドロップアウトしてアメリカに渡り、雑貨輸入商から洋古書屋を経て
日本でトラックに積んだ移動式古書店を開業したあたりから注目を浴びるようになった。
若い頃の旅についてのエッセイは何冊かあって、どれもちょっとキザですっごく面白い。
それに優等生的な風貌からはちょっと想像しにくい、精神的にタフな人でもある。
最近は「こうすればうまくいく」といったような、
人生やビジネスの指南書みたいなものを多く書いているけれど、
いいエッセイを書くのになぜあんなつまらない本を出すのだろうと常々思っている。
それでもたまに小さなコラムをどこかの雑誌で見つけたら、
読んでまずハズレはない。


『場所はいつも旅先だった』というエッセイには、
アメリカに渡ってから帰国する頃までの若い日のことを
まるでロードムービーを見るような語りで淡々と綴っている。
その中に、「こんな自由があるのかぁ」と思った話がある。

「アメリカに渡ってから」と書いたが、イギリスでの話である。
著者はあるとき、ロンドンから少し離れた町で開催されていた
野外の大きなアンティークマーケットへ出かける。
探しているのは60年ほど前に作られたあるメーカーの陶器類だ。
ちなみに日本では北欧の食器が人気だけれど、
イギリスにも素晴らしいデザインの魅力的なテーブルウエアがたくさんある。
しかも現代のインテリアに合わせて少しも違和感がない。
英国の魯山人、テレンス・コンラン卿も最初はMidwinterの食器デザインをしていた。
現在日本の素描に近いアート系イラストレーションの多くは、
この頃のテーブルウエアの絵付けに非常に似ている。
私はこの点について、ここに影響の源があるだろうとひそかに推測している。

ハイウエイを二時間ほど走って着いた広大な広場には、何百という業者が車でやって来る。
どれも個性的で気ままな商売をやっている店は、見ているだけでおもしろそうだ。
そんな会場で著者の目をひいた店、というか、ひとりの女性に目をとめる。
彼女の商品は芝生の上にたった一つの花器だけ。
それは著者が探していたメーカーのものでもあり、しかもとても珍しいものだと彼女はいう。
でもなぜ商品がたったひとつなのか。
彼女はどこかの町でこういうものを掘り出してきては市でそれを売り、
それを資金にしてまた旅を続けるのだという。
彼女はそれを繰り返して、すでに二年も旅をしているのである。

骨董にせよ古書にせよ、売る側は一人前の目を持つまでに
無数の古物の海を泳がないとならないが、それを求める客は欲しいものだけを探求する。
モノに出会う機会は店主のほうが多いが、知識は多くの場合コレクターの方が深い。
だから掘り出し物も見つけられる。
美術品ではなく、しかもそれほど古いものでなくとも、けっこう値の張る稀少なものはある。
そういうマニアックな稀少品の知識を得ることはそれほど難しいことでなく、
見極めもTVに出てくる鑑定士のような目利きの技量もいらない。
こういうジャンルには偽物があまり存在しないからである。
それらは骨董とまではいわず、日本では「ジャンクもの」「マニアもの」と言っていたが、
イギリスではBric-a-brac(ブリックアブラック)と言うそうだ。
ただし、日本のジャンクものとイギリスのそれとは若干意味のギャップがあるかもしれない。

その女性が自分で掘り出した花器を、旅のつなぎにできるような自由さがうらやましい。
そういう文化はとてもいいなぁと思った。
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