昭和の創業者、こぼれ話

 14, 2014 12:16
創業者の話をもう少し。
いい話でも何でもない余談だけれど、
これは私自身にもごく細い縁がある。

私の母方の祖母は実直で働き者だったのに対し、
祖父は飯よりも麻雀好きの遊び人だったため、祖母は保険の外交員として働き、
(いわゆる「ニッセイのおばちゃん」である)母ら5人の姉妹を育て上げた。
ある年の雪の日に出勤途中転倒し、骨折してからは足が不自由になって70歳で引退した。
それがなければ一生働いていたろう。
私はこの祖母にとてもかわいがられた。

遊び人の祖父であったが若い頃は鉛筆工場で働いていたので、
母らは戦時中も文房具にだけは困らなかったそうだ。
祖父には兄弟がいて、祖父と真逆の働き者が多かった。
一人は「ファイト!イッパーツ」で有名なドリンク剤を今も製造している
大手製薬会社の創業に加わった。
もう一人の大叔父は若い頃の話だけ伝え聞いている。
あくまで伝聞であり、祖母と母亡き今となっては詳しいことはもとより、
真偽のほども確認不能ということをあらかじめお断りしておくので、
眉唾物だとお読みいただきたい。

この大叔父は若い頃(おそらく戦前)友人と共に電機部品をつくる会社を始めた。
最初はリヤカーに商品を積んで売り歩いていたが、いっこうに売れなかった。
商品はよかったのだが大叔父はその商売に見切りを付け、陶磁器の仕事に鞍替えした。
その仕事はそれなりに成功し、大きな屋敷を持つまでになったが
繁栄は一代限りだったらしい。
一方の友人はその後、商品のソケットを改良して二又にすることを思いついた。
これは大ヒットして一気に会社を大きくした。
ここまで読めばおわかりかと思うけれど、
その友人とは後の松下電器の創業者、松下幸之助氏である。
私はといえば小学校の社会科見学で守口の松下の工場を見学し、
それから10年後にアルバイトで同じ工場に機械の整備に入ったことがある。
さらに20年を経て生まれた長男には偶然同じ名前を付けていた。
縁としてはそれだけであり、全くの他人である。
松下氏と大叔父の話を知ったのもずっと後のことだった。


ナショナル坊や
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COMMENT 1

Thu
2014.01.16
22:06

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