東京の選択

 04, 2014 02:12
今週末には都知事選挙がある。
そのうちきっと「反原発」はひとつになると思っていたら、
そうはならずにとうとう一週間を切ってしまった。
脱原発ならぬ脱力、
いったいどうしてこんなことになっているのだろう。
今の東京での選挙は「反原発」以上に、抱えている意味はもっとずっと深い。
東京の選択は東北と(先日選挙のあった)沖縄を含め、日本全体の意志を示すことにつながり、
時間的にも2020年よりずっと先の、日本の進む方向を選ぶことにもつながっている。
ひとつになることは候補者個人の見識を示すにとどまらない、
多くの支持者の切実な希望である。
作家の澤地久枝さんが思いあまって深夜一人で、
雪道を押して候補者の一人を説得に出かけたとおっしゃっている。
それは(高齢もあって)必死の思いだったに違いない。
在任中、現在の格差社会を生む大きなきっかけとなった政策を作った小泉氏を、
多くの人も私も、本当は認めたくはないのだ。
しかし今は少し前を見て、彼と細川氏が立った意味というものを
少し考えたほうがいいように思う。

必死の説得を断られ、それでもなお希望を託そうという澤地さんの言葉、
「この国は、権力というものが、いつだって絶対だったじゃないですか」
だから今の日本が向かおうとしている政治の方向にNoと言おう、という呼びかけに
私は胸が打たれる。
高齢者ばかりが候補に立ち、応援に立つ選挙になったことを揶揄されているが
彼らが立つ理由の一つに、この人たちは「戦時」を経験している、
「日本が戦争へ向かっていった時代」を、身近な時代として知っている、
そのことがありはしないかと私は思う。
スポンサーサイト

COMMENT 0

WHAT'S NEW?