思い出になる「団地風景」

 17, 2014 16:52
団地風景
油彩、P8)

仕事、イベントのてんこ盛りだった3月のトリは、
父の傘寿のお祝いに兄弟が奈良に集まったことだった。
男兄弟というものは何かにつけて気が回らず、父の70歳、喜寿も忘れて過ごし、
あやうく80もスルーするところだった。

この季節に奈良を訪れるというのは東京に来て以来なかったことで
とすると、春の奈良は25年ぶりということになるのか。
その間、兄弟にもそれぞれ家族ができて、
狭い団地の実家に全員が泊まることはもはや無理になり、近くに宿をとった。
古都奈良とはいえここは観光地から離れており、
ようやく父が探してきてくれたのは旅館とは名ばかりの民宿のようなところだった。
隣接する神社の関連施設らしいが、花見の季節にこの日の客は我々だけ。
よけいなお世話だけれど、これでやっていけるのだろうかと心配してしまう。
私が小学生の頃にできた隣の神社は、長い間見ぬうちにずいぶん立派になっていた。
着いて早々に境内を歩いたとき、隣にいた弟がさい銭箱に一万円札を投げ入れた。
驚いてわけを聞くと、小さい頃にここのさい銭を盗んでそのお金でプラモデルを買ったのだそうだ。
信心もお金もない弟だったが、父の傘寿を機会にこんなところで罪滅ぼしをしていた。
その弟が夜、酒を飲みながら『自分史を書いてみたいんや』という。
ところが問題がひとつあり、昔のことをほとんど覚えていないのだというのだった。


団地というのは日本中どこも似ていて、高台にあって色もだいたいがクリーム色である。
狭い間取りのこの部屋が、昭和30年代サラリーマンのあこがれだったというのは信じがたい。
でも本当のことであるらしい。
そういえば住んだ最初の頃、上の階には白い外車を運転するモデルさんが住んでいた。
私は小さいときの記憶が鮮明で、越して来たのが3歳前後、
それより以前に父と大阪から下見に訪れた日のことも覚えている。
父はこの団地に住めるのがうれしかったのだろう。
手を引かれて駅から歩いたバス通りはまだ舗装されておらず、地面の真っ白な砂がまぶしかった。
引っ越してきた当初には町を走るバスはたった3台、うち一台はボンネットバスだった。
車自体がまだ少なく、団地竣工の頃はとても静かな印象がある。
あれからもうすぐ50年、高度経済成長期全国にあれほど作られた団地は今や取り壊しの時代である。
父も将来、まさか取り壊すまで住むことになろうとは思わなかったに違いない。
証券マンだったのに、周囲の土地の先は読めなかったようだ。
古びてゆく団地とは対照的に、周囲の宅地は関西有数の高級住宅地になった。
私の育ったこの団地も、この秋には取り壊されることが決まっている。
鉄筋コンクリートなんて言っても、建物の寿命は木造よりはるかに短く50年ほどなのだ。
大宇陀の友人の家は20年ほど前に建て替えてしまったが築200年、
その近所には(文化財に指定されてしまっているが)築500年の家が今もある。
話を戻して、私の住んでいた団地はもうすでに半分以上が取り壊されているが、
敷地内の樹木は一切が伐られ、道は引き直され、
あとにできた町はかつての記憶の一切が消し去られている。
故郷がダムの底に沈む村と少しも変わらないのだと思った。


画は、団地と真ん中の木は今の姿だけれど、
枝越しに見える別の団地の給水塔は何年か前に取り壊されて、今はない。
左のバス通りには橋が架かっているが、今はその上と左右を大きな歩道橋が交差している。
橋の下はかつて田んぼであり、今の季節にはレンゲ畑となって
秋篠川沿いに押熊から秋篠寺のほうまでずっと続いていた。
川はくだって佐保川に合流する。
盆地に流れる川は、最後にはどこに溜まるのだろう。
今その橋の下には場違いの温泉が湧きだしてスーパー銭湯が出現している。
それを見下ろす団地横の藤棚に最後の花が咲き下がるのはもうひと月先である。
取り壊しを前に住人が少なくなった団地は、ふたたび竣工時の静けさを取り戻している。
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Tag:油彩 Landscape Paysage 風景画

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