「調理場(1980)」

 28, 2014 00:49
調理場油彩、F6)

週末、帰宅したらめずらしくお中元が届いていた。
驚いたことに荷送主は高校時代のバイト先のおじさんからだった。
「おじさん」というより「おっちゃん」がしっくりくる中華料理屋。
店は奈良から大阪へ抜ける生駒市北田原町の国道沿いにあり、
近所は茶せんの産地で有名だったものの周囲は(当時)田んぼだらけ、
店の子供たちが狐にだまされたこともあるというほどの田舎である。
ここで高校時代は季節の休み全部と週末フルで働き、
卒業後も不定期ながらも時々、上京するまでの足かけ10年近く手伝ったことになる。
「ひと夏のつきあいが一生のつき合いになってしもうたなぁ」とよく言われたものだった。
自宅からも遠いこの店で働くことになった経緯は、いろんな偶然が重なった結果である。
最初は自転車で、免許を取ってからはバイクで通った。
味がよく店主夫婦の人柄もあって、店はへんぴな場所にありながらも繁盛していた。
バイトは常時必要としていて、私の弟も渡米前の一時働いていたこともある。
しかし場所が辺鄙なせいか、後に続く新しいバイトの顔は一度も見ることがなかった。
最後に厨房に立った手伝いの顔は、後を継ぐつもりだったおっちゃんの次男坊であった。

その後私は上京し、帰省時も滅多に顔を出すことはなくなり、
年賀状のやりとりだけがお互い生きている知らせだった。
そのおっちゃんからのお中元、何かあったのかと思わずにいられない。
すぐに電話をしてみたが「現在使われていない」という。ますますおかしい。
試しにネットで検索してみたら「食べログ」にそれらしき店の情報が出ていた。
「味がいい」「安い」とあるものの星三つのそれほど高くはない評価は
どうも店の古さによるもののようだった。
レトロなんて書き込みを読むと、びっくりしてしまった。
店はあの頃、新規開店したばかりの店だったのだ。
30年以上の歳月が流れたことを思い知る。
さらに衝撃だったのは「今年二月、諸処の事情により閉店しました」との
長男による書き込みだった。
店を継ぐ修行中だった次男坊はどうしたのか。

お中元の三輪そうめん包装紙の店に電話をかけてやっと連絡先がわかった。
慌てたのか、引っ越し先を知らせるつもりで出した伝票の住所が古いままだったということだ。
ひとまず無事を確認して安心した。

その頃店は飲食店ばかり隣り合って5軒が並んでいたが、一軒また一軒と閉店し、
いつの間にかおっちゃんの中華料理屋一軒だけになると客は激減したとのことだった。
セガレは閉店後、別の仕事に就いているという。
父の仕事を継ぐといってついてきた子供に
経済的、社会的環境の変化でそれができなくなったとき、
父親というのはどういう気持で決断を言い渡すことになるのだろうか。
昨今の不況で近所のセガレの同級生の店が閉店になったとき、
やはり同じ感慨を持ったものだった。
そこは祖父の稼業を同級生のお父さんが継いでいた。

中華は調理師の中でも調理、仕込み、そして掃除に最も体力がいる職種で、
「60を超えたらお好み焼き屋に転業する」と言っていたのにそうしなかったのは
次男坊が店を継ぐと言って、調理場に入ったからだったに違いない。
今となっては年齢的にもおっちゃんひとりでは続けていくことに無理があると、
この2月ついに店を閉じたそうだ。
あの頃35歳だったおっちゃんは、信じられないことに今は70を超えている。
驚くにはあたらない、16歳だった私も50を超えているのだ。
あの料理、ラーメンはもう食えないんだなと思うと寂しいと同時に、
人生が有限であることの感を強くする。
まだ学生の頃、お世話になったお礼に店のポスターを手書きで描いて贈ったことがあった。
店を閉じた後は額を入れ替え、今も大事にしていると聞いて胸が熱くなる。
「贈る」というにはあまりに稚拙な絵柄に、今となっては申し訳ない限りだけれど、
感謝の気持ちを込めて週末一枚、当時の店の様子を油彩で描いた。
あの頃の店とおっちゃんの後ろ姿を思い出して画にしてみた。
画の中のおっちゃんは40歳くらいで、冬でも暑い調理場はこんな感じだった。
「こんなに汚れていないぞ」と言われそうだけれど、
ボウルやネギ、卵の位置はだいたい合っているはずだ。
カウンターにはたこ坊主のようなおかしな常連客が座っている。
そういった客の面々、
茶せん作りの名人、鉄工所の親父、そして犯罪歴のあるこのたこ坊主も、
皆一足先にこの世の人ではなくなっている。
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Tag:油彩 Portrait

COMMENT 4

Thu
2014.07.31
01:30

タブロウ #3h4yWL0g

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暑中お見舞い申し上げます

のまどさん、こんばんは。
そちらは高所で涼しそうですね。
こちらは毎日うだるような暑さですが、台風のせいか風が少しあるのが救いです。

体力がいる仕事とは思いますが、友禅のバイトとは優雅ですね。
先日セガレが奈良京都へ修学旅行へ行ってきました。
自分のふるさとへセガレが旅行とは、これもまた時代が流れたということですね。
私も関西弁はそのままですが、すっかり東京に根を下ろしています。

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Wed
2014.07.30
01:11

のまど #Ufx3x5dU

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暑中お見舞い申し上げます。
こんにちは。

こちらは15℃程で肌寒いです。
何だか不思議ですね、丁度1980年頃は私も京都でアルバイトの日々でした。
最後の仕事場は鴨川沿いにあったホリデイインと友禅の染付工場でした。
ニアミスではありませんが、近くで同じような事をしていたんですねェ
お互いもう30年以上も前なんですね、白髪が増える筈です。。

しかし今でも当時の方と縁が切れていなのはタブロウさんのお人柄だと思います。

いやはや、私なんて友禅の工場の場所も覚えて居りません、、から。。

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Mon
2014.07.28
21:12

タブロウ #3h4yWL0g

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KENさん、こんばんは。
暑中お見舞い、ありがとうございます。
このあたり、(地名は芋山というんですが)ご存じでしたか。
最初は2kmほど下ったところに店があり、私はそこから手伝っていました。
本当に長く手伝いました。
間にはいろいろ大阪でも働きましたが、ここでの経験は大きかったです。
料理の味は好き好きありますが、私はここが今でも日本一だったと思っています。
サポートだけで調理はしなかったのですが、見よう見まねで覚えて
一人暮らしをはじめたときには毎日中華を作って食費を浮かせていました。
学生時代のバイトはいろいろ後に役に立ちますね。

Edit | Reply | 
Mon
2014.07.28
08:30

KEN #T9f8X956

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暑中お見舞い申し上げます。

タブロウさん、こんにちは・・・・
梅雨が明けて強烈な夏日が続いていましたが、こちら滋賀の昨日は極端に涼しい日でした。おかげで一息つきました。東京はいかがでしたか。

「調理場の作品」を拝見、はてどんな背景で描かれたのだろうか? 生駒市北田原町、懐かしい地名がでてくるので思わず文章に引き込まれました。知らないうちに時は過ぎて気がついたら30年も前の話だったのですね。いまでは個人商店は立ち行かない世の中、思い出深いバイト先のお店も姿を消して寂しいですね。

これから夏本番、お体ご自愛ください。

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