赤塚不二夫とツツジの花咲く頃

 25, 2015 21:42
赤塚不二夫120%

2008年に亡くなった漫画家の赤塚不二夫、
今年は生誕80年にあたるそうだ。
自伝がかつてNHKでドラマ化されたことがあった。
その少し前に藤子不二雄の自伝もまたNHKでドラマ化されていて、
当時はトキワ荘を舞台にした日本漫画界「夜明け前」にスポットライトが当たっていた時代だった。
どちらも感動的で、欠かさず見ていた。
歴史のおもしろいところは、いろんな分野の天才というのはしばしば、
ある時代の同じ時期、同じ場所に登場することだ。
出久根達郎さんのエッセイ(「風がページをめくると」ちくま文庫)で紹介されていた、
赤塚不二夫の少年時代の話がとても印象的だった。

赤塚さんはあるとき、友達と連れだって火事を見物に出かける。
彼のクラスには体の不自由な子がいた。
そしてその子も連れて、火事場へ急ぐのである。
『早く歩け、このバカやろう』なんて言いながらも、置いてゆかずにみんなで出かける。
「帰りはみんなでおんぶして帰ってきたよ。交替で。
「おかしいのは、火災現場に行ったらもう火事が消えていたんだ。
 『おまえのせいで、火事消えてるよ』『ごめん』って言ってね。
 帰りは山道を通ってきたんだけど、ツツジが満開だった。
 それで、おんぶして歩いていると、そいつが泣くんだ。
 『オカアチャーン』って。
 すると僕たち、ツツジの花を折って持たせてやって、『ほら、きれいだぞ』って言う。
 するとしばらくはそれを見てるんだけど、また『オカアチャーン』って泣くんだ。」
出久根さんは、赤塚漫画にはこの奇妙なリリシズムが流れている、と書いている。
「昔はそうやって、みんな一緒に生きていたのだ。
 どこにでも連れて行くし、一緒に遊ぶんだもの。
 そこなんだよ、大事なのは」と赤塚さんは言う。

赤塚さんはそこで放送禁止用語、言葉の自主規制について書いているのだけれど、
語る内容はその範囲にとどまらず、人間にとって最も大切なことにつながっていると思う。
大人になると、いろんな「事情」が生まれ、意図せず本人の背中にくっついてくる。
それは家庭だったり地位だったり、多くは金銭的なものだったり、
今の言葉で言えば「リスク」と言ったらいいだろうか。
それが必要以上に大きく見えるもので、
やがて友人や仲間が見捨てられて「やむなし」という理由になったりする。
「少年の心を持った人」という言葉はよく聞くけれど、
赤塚さんは生涯、どんな事情も関係なく人とつき合ったのではなかったか。
つまりほんとうの意味で「少年の心を持った人」だったという気がする。
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