03, 2015 22:12
中東の人質事件で日本中が無事であってほしいと願っていた中、
現地で取材中の日本人女性が交通事故で亡くなったというニュースが、小さく流れた。
事件の取材で移動中の事故だったと伝えていた。
後藤さんと同じジャーナリストであり、人質二人の救命に国中が力を尽くす一方で、
耳目を集めることなく砂漠に吹き消えたその命を思うと、大きなやりきれなさを感じた。
危険地域に出かけるジャーナリストの役割が叫ばれているけれど、
人質救出というのははたしてジャーナリストの仕事だったのだろうか。
対して交通事故でなくなった女性記者は、亡くなったその瞬間まで取材のただ中にあった。
やりきれなさで言えば、
湯川さんに助命嘆願の声や追悼の言葉がほとんど出ないのはどうしてだろう。
本人たちが知らない三人の生を巡るその後は、さまざまなことを感じさせられる。

多くの人が「私はKENJI」のカードを持っていた。
向こうがそのようすを見ているかどうかはわからないにしても、
フランス人が「私はCHARLIE」のカードを持って、
週刊誌の主張を全面支持したときと同じスタイルをとったことは、
助命嘆願の時にあって問題はなかったのだろうか。
中東で日本の首相がとった行動や言動の軽率さを言うならば、
多くの文化人がとったこちらの行動はどうだったのだろう。

「人命第一」と、身代金を払わないこと、
「テロに屈しない」ことと、命が奪われたこと、この言葉に矛盾はないのだろうか。

いろいろなことに違和感を感じ続けたまま、
日本という国はテロに負けない国を目指す、というような首相会見を
TVで繰り返し聞かされる。
いったい、テロに対策などとれるのか、安全に万全など期せるのだろうか。
さらに「彼らに罪を償わせる」、という復讐とも受け取れるメッセージ。
これらのメッセージがテロ集団よりもむしろ、
現在海外にいる120万人以上の日本人駐在員とその家族を震え上がらせているように想像するのは、
思い過ごしなのだろうか。
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