消える国連

 20, 2015 21:48
ほんの少し前まで、相手にいかなる理不尽があっても、まずは第三者が集まって、
そこ(国連)で議論を尽くしたうえで悪い相手を制裁、懲罰に及んだ。
いつからこうなったのだろう。
ひとたびやられたら「我々には報復する権利がある」と言ってよその国へ飛び、
容赦ない攻撃が許されている。
恥をかかされたら一刀の下、相手を斬り倒す、
日本では江戸時代初め頃の侍の話だ。

中東で過激派組織がやっていることが許し難い、というのはそのとおりで、
しかし今まで国際間にはまず話し合いのルールがあって、
いきなり他国へ戦闘機や軍隊が飛んで攻撃するなど、映画やマンガの世界のことだった。
そんな蛮行が21世紀の現在行われて、国際社会からとがめられもしない。
国連というのは知らないうちに意味を持たなくなってしまっていた。
そう思っていたら今朝の新聞で、
日本の自衛隊の海外派遣には、「国連の安保理決議は派遣の条件としないようにする」と出ていた。
アメリカはイラク戦争あたりから自国の判断のみで戦争を始めている。
これに日本のフットワークを合わせたということなのだろう。
これってかつて日本が第二次世界大戦に突入していくきっかけになった
「国際連盟脱退」とどこか似ている気がする。
日本だけが脱退したことと、世界中が同時に脱退したこととの違いはあるものの。。
United Nations
(Miroslav Sasek: This is the United Nations 1968)

私たちはアメリカの目を通した世界観で、あまりにものを見過ぎている気がする。
こちらで正義と決めた側の目からだけ世界を見ていて、
爆弾が空から降ってくる側のことはほとんど伝わってこない。
2003年のイラク戦争で戦死した150人ほどのアメリカ兵のことは映画化されて
アカデミー賞を受賞する作品まででているが、
40日間で亡くなった10万人のイラク国民のことは何も知らない。
米兵が劣化ウラン弾の後遺症に悩むというドキュメンタリーを見たことがあったけれど、
同じウラン弾による直接の犠牲者であるイラクの子ども50万人のことは知らない。
現在も進行形の紛争のそばには必ず関係のない一般の市民、子どもが大勢暮らしている。
国家とそこに暮らす人とを一緒くたに考えるところに、悲劇の視点が抜け落ちてしまう。


欧米はここ何年か何十年か、「独裁国家を民主化して自由を与える」という理屈で、
イラクやリビア、シリアなどでやりたいようにやり、あるいは支援してきた。
その国の人たちは今、自由になっただろうか。
平和に暮らせているだろうか。
民主化の名の下によその国の軍隊が来る前と後と、
その国の人は今ではどちらがよかったと思っているのだろうか。
その検証をまた今回もしないまま、その暴走に燃料を供給するだけでなく、
日本は一緒に乗り込もうとしている。
乗り込んだらやっぱり危険だから、銃も使えるようにしないといけないという。

どこかのサイトで誰かが、
自分のおばあちゃんが以前こう言っていたと書いていた。
「戦争は知らない間に始まっていたよ」
中川一政画伯も随筆で「なぜ戦争が起こったのかがわからなかった」と書いている。
いっとう最初がわからないと、最後までわからないと。
私たちは「知らないうちに始まりつつある」戦争に、
今度は気がつくことができるだろうか。
スポンサーサイト

COMMENT 0

WHAT'S NEW?