唐九郎の茶碗の幻

 23, 2011 15:57
ここのところ仕事がたて込んで、絵が仕上がらないので、また思い出話を一つ。

唐九郎の茶碗といえば日本史でいうと徳川家康くらいに有名だ、が、
その唐九郎の茶碗をいくつも実際に手に取ってみたことがある、というと
「それはすごい!」と言ってくれる友人、隣人、
残念ながら、今私の周りには一人もいない。
私自身には華やかな交友録など付箋に書くほどもないのだが
友人知人からは驚くような人物との出会いや交友を聞くことがある。
瀬戸内寂聴さんの「奇縁まんだら」の「加藤唐九郎」のところを読んで
少しほろにがいこの話を思い出した。

加藤唐九郎
・・・・
東京に来て二年目、ちんぴらデザイン事務所での曲折があったあとで
とある建築事務所にて糧を得ていた。
建築誌にも掲載されるほどいい仕事をしていたその建築事務所の社長は先生と呼ばれ、
まだデザイナーにさえなれていない当時の私のことなど
まったく歯牙にもかけていなかったのだが、
酒が入るとよく自身の若い頃の(デビュー時、と言っていた)経験談を話してくれた。
話の内容は主に芸術全般にわたる先生自身のよき趣味と、
その交友録にはたくさんの花が咲き乱れ、
東京に来たばかりの自分には、さながら花吹雪の観を呈したものだ。
土門拳の有名な室生寺撮影に同行した話から
円谷英二監督の「ラドン」特撮撮影セットの制作アルバイトの話まで、
とても同じ屋根の下で働いている人とは思えない
羨望とも憧憬ともとれる思いを抱きつつ、聞き惚れていた。

その中で、加藤唐九郎の交友とはこういうものだった。

先生の実家が岐阜の大きな窯元である縁で加藤さんとは以前から交流があり、
東京に来たとき、その子息である先生のところへぶらりと寄っては酒を飲みながらゴロゴロし、
なにか話すでもなく、するでもなく、しばらくするとふっと帰ってしまう。
半年ぐらいするとまたやってくる。
ただしその時には自作のぐい呑みを手にしてそれを宿賃代わりに置いていくのだそうだ。
しかもその器は先生曰く、「最もできのいいものを置いていく」らしい。

いったい一泊いくらなのだ?!



しかし、今改めて思う。そんなできのいい話があるだろうか。
この手にとって見たあの器、当時も思ったのだが
なんの色もにじみもなくベージュの肌に白っぽい釉薬がかかっているだけで真っ白、
いわゆる味わいというものをほとんど感じなかった。
今もそうだが当時も私には焼き物のことは全くわからない。
それでも今、本などで調べてみると「志野」という器に近かったようだ。
しかし巨匠がかわいがった寂聴さんさえもらえなかった唐九郎の茶碗、
ぶらりとやってきてゴロゴロしただけのお礼でその最高のでき、
というものを翁は本当に置いていったのだろうか?

またある日、先生がピカソ展で買ったという版画を見せてもらった。
私が学生時代に描いたデッサンを見せてそれに感心したことから、
「この絵描きクズレを唸らせてやろう」、という魂胆だったのかもしれない。
期待に添うべく「へぇ~!」と驚き、サービスする当時の自分だった。
しかしピカソにしてはどうも色が悪い。汚い。
それにピカソ展でピカソのサイン入り版画を売っているだろうか。
まあ、百貨店だったら売っているかもしれないが、それを実際に購入した人に初めて会った。
さんざん悩んだあげく数十万円で買ったという話だったが(40年程前)
それにしてはもっとましな作品は他になかったのだろうか。
あとで他の事務所の人に聞いたら「あんなの、偽物だよ」とあっさり断定した。
(ただし根拠は不明)

その後バブルがはじけ、先生は大きな借金を残し、行方知れずのひととなった。
借金の返済に唐九郎の器や、ピカソの版画をあてればかなり足しになったと思うが、
そういう話はとうとう聞かなかった。

余談だが、加藤唐九郎という人の顔はいい顔だ。
笑い顔、話し方が泉谷しげるにも似ていた。
人相学も全く知らないが、ああいう顔の人に悪い人はいないと思う。
ちなみに翁は尋常小学校しか出ていないにもかかわらず
学識はあの白洲正子を唸らせるものがあったという。
芸術家の中には「芸」だけでなく、学者を唸らせる学識を持った人がたくさんいる。
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Tag:加藤唐九郎 ピカソ

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