トーマスの逃走 【旅と絵 その4】

 21, 2015 01:50
ギリシア国境にて
この話も国境でのできごと。
ソ連出国の日がきて、モスクワからギリシアへ向かう列車に乗せられた。
その頃ソ連への旅行は、着いた街の中こそペレストロイカ政策で自由に歩けたが
旅のコース、宿、移動の列車まで、日本を出る前に決められて変更は一切認められなかった。
(一度、国営旅行者の人に掛け合ってみたけれど)
とくにモスクワへの出入りには、ひとりの旅行者にロシア人が二人迎えにやってきて、
出国時には再度ふたりが来て駅まで送り届ける念の入りようだ。
丁寧なサービスというより、列車に確実に乗ったかを見届けるためだろう。
にもかかわらず、私の10日ほどのソ連の旅は最後まで手違いの連続だった。
やっとジュースやコーヒーがいつでも飲める西側へ出られる。
圧倒的にものが不足しているうえに、常にどこか緊張を強いられる生活から解放されることに
私はかなりほっとしていた。
列車のルートはハンガリー経由のギリシアアテネ直行便と決められていたので、
日本のハンガリー大使館で私は安くない料金を支払い、
トランジット(通過)ビザを取得してきていた。
ところが、着いた先は当時チャウセスク政権下のルーマニアであった。
当時私の知っているこの国のことといえば、体操の妖精コマネチ選手くらいの、遠い国だった。
首都にもかかわらず、街全体の貧しさがにじみ出ていて胸が痛んだ。
そこで列車を乗り換え、さらに翌日着いたのはまたしても予定にない、
ブルガリアのソフィアだった。
この国についてもヨーグルトしか思い浮かばない、やはり遠い国だった。
なんというか、到着して降ろされるまでわからない、外国人の悲しさである。
ルーマニアやソ連よりも落ち着いていて、少しは豊かな国のようだった。

わずかに残ったロシアルーブルが使えたのでそれでチョコを買い、
その日の空腹をしのいで夜8時になった。
裏の手数料を求める車掌ともめながらも、やっと列車に乗ることができた。
やれやれ、これでやっとギリシアへ行けると思った。
モスクワから西、欧州側の東欧は、とにかくすべてが金次第で動いていた。
しかしこれでやっとある程度常識の通じる国に行けると思うと、今度こそ「ほっ」とした。
地図で見れば、ブルガリアのソフィアからギリシアのテッサロニキまでは近い。
なんでこんなに時間がかかるのか、一昼夜かけての移動だ。
列車は深夜にどこかの駅に停車して、長い間止まっていた。

翌朝、列車はまだ止まっていた。
カーテンを引いて窓の外を見ると、人がゾロゾロ線路の上を歩いている。
廊下にいた人に、この列車はどうしたのかと聞くと、
「この列車は動かない。
 次の駅までは近いから、お前も歩いたほうがいい」と言っているようだった。
空腹を抱えたままとにかく荷物を背負って、私も線路上を歩き始めた。
列車の先頭まで来てみると、そこにあるはずの機関車がついていない。
我々の乗った列車をここまで引っ張ってきたトーマスは、
いったいどこへ行ってしまったのだろうか。
そして動かないこの客車は、誰かが取りに来るのだろうかと、
どうでもいい疑問が浮かんでは消え、先の駅を目指す人の列に加わり、歩き続けた。
列車の行き先だったテッサロニキはそこからまだ先で、
今日の宿泊地のアテネはさらにずっと先なのだった。
それよりも手の中の乗車券はここでまだ使えるのだろうかと、そればかり考えていた。
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