夜の柱時計 【旅と絵 その5】

 27, 2015 00:53
画家の田淵安一さんの自伝的エッセイに「二面の鏡」という本がある。
不思議なタイトルは、画家の若い頃日本での日々と、フランスに渡ってからのと、
二国で経験したことや考えたことを交互に綴っているのでつけられたものだ。
厚かましくもそれにならって、
先日から日本と海外の旅の思い出を交互に書き始めた。
旅はもちろん好きだけれど、生活などに追われてそう何度も出かけてはいない。
書ける話はそんなに多くはないし、残念なことに、
それら印象に残っている出来事には写真やスケッチが残っていない。
残しようがなかったということもある。
月日が経ち、今となってはぼんやりとなってしまっている記憶を文字に起こし、
失われた風景を視覚化するのはけっこうおもしろい作業だ。
思いつくまま書いているので、旅の時系列は前後入り乱れている。

新潟_勝木

山形から新潟へその日、県境の国道をひたすら南へ向かって歩いていた。
あたりには人家もなく、月のない夜が暮れてみれば私はひとり、
黒い地平の真ん中にいた。
新潟に入ってどれだけ歩いただろうか、
道は右へ一度折れると今度はまっすぐに伸び、地平の際まで続いているように見えた。
といっても、街灯もなければ車も通らない道は、10mほど先で闇に沈んでいた。
今地図を見ても、人家もなく、まっすぐな道がどこまでも続く場所など見あたらない。
一体どこを歩いていたのだろうか。
足下もよく見えないので、歩くというより浮遊感がある。

やがて、道路のはるか先に一点の光が見えてきた。
しばらく歩くと、それはどうも人家のようであり、
さらに歩くと、古ぼけた小さな旅館の開け放たれた玄関先だとわかってきた。
そんな先までどうして見えたのかわからないが、明かりの中に古い大きな柱時計が見える。
その床置きの柱時計は天井に届きそうで、こちらをじっと見ているようだ。
一軒宿へ続く道は、気がつけば宿の淡い灯りに照らされ、黒い地平に浮いていた。
漂うように歩き続けていると、永遠にそこへは着かないんじゃないだろうかとも思えた。
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