無題-150623

 25, 2015 00:15
無題

沖縄戦慰霊の日、
戦没者の名を刻んだ慰霊碑「平和の礎(いしじ)」の前で、
犠牲になった家族の名前に手を当て、泣き崩れる人の写真を見て胸を衝かれる。
私はすぐに写っている人物と自分を置き換えて想像してしまう。

沖縄は日本の中でもっとも民主主義のレベルの高い県民だと、
海外のある歴史学者が言っているそうだが、本当にその通りだと思う。
以前も書いたけれど、沖縄で米軍がらみで何か起こると
ニュースではいつも「沖縄が怒っています」という。
なぜ「日本が怒っている」とはならないのだろう。

この日、沖縄の高校生が70年前に思いを馳せ、
平和祈念公園までの道のり約9キロを平和行進したと現地の新聞が伝えている。
9キロというのは長い。遠い。
その道すがら、70年前の人たちはこの暑さの中をどんな気持ちで逃げたか、とか、
背後から降ってくる砲弾の恐怖はいかばかりだったか、とか、
歩きながら考えたこと、感じたことは大きかったそうだ。
その身を現場に置くこと、そこを歩くことは
頭で考えるだけでは得られない思考と皮膚感覚を得られるのだろうなと思う。

これだけ県民の反対する中、今も「粛々と(辺野古)移設工事を進める」
と言い続ける首相ら一行がやってきたこの日、
彼らに罵声を浴びせる県民を、場違いな非礼とは、私は思わない。
一般の人が声を、気持ちを直接彼らに伝えられる機会はほとんどない。
その首長でさえ、長く会ってももらえなかった。
やっと会えても言葉が届かないから、アメリカへ行って直接お願いする。
日本に聞き入れられないからアメリカへ直訴するとは、
まるで時代劇を見ているような話だ。

今その声は聞けないけれど、
今の沖縄を見たなら、20万の戦没者の人たちはなんと言うだろかと思いをはせると
なんだか無性に悲しくなる。
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Tag:Landscape Paysage 風景画

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