アパート

 10, 2015 01:00
無題_20150628(オイルパステル)

はじめてひとり暮らしを始めたのは、大阪の野田というところ。
この画のアパートよりは大きかったが、似た感じの建物で、
大阪中央卸売市場の城下町とも言える、戦災からも免れた数少ない古い下町だった。
それまで全く知らない町であったが、昼間は画の研究所へ通い、
朝の空いている時間は卸売市場で働いて学費を稼ごうという腹づもりだった。
とすると、住む場所は電車の始発前に、市場へ歩いて通える場所でなくてはならない。
東京の山手線にあたる大阪環状線の高架を走る電車から
眼下に広がる町を見おろして当たりをつけると、駅に降りて探し出した。
部屋を探すにはまず不動産屋へ、ということを思いつかず、
歩いて目についたアパートのドアを片端からたたき、
「空いてる部屋はありませんか」と聞いて回った。
そんな飛び込みの部屋探しする者をそれほど不審にも面倒にも思わず、
空いている部屋があれば住人の人が案内してくれたり、
離れたところに住む大家さんに連絡してくれたりした。
世間というのは何かにつけ、若さに甘い。
それがまた若者の成長を促す土でもあったのだ。

そのとき見たいくつかの物件は今もよく覚えている。
ある部屋は窓を開けると、隣の建物の壁が目の前30cmほどに迫り、
暗い裸電球一つがぶら下がる部屋は昼間も真っ暗で、若さの勢いはいきなりくじかれた。
案内してくれた人はうしろから
「半年前にひとり暮らしのおばあさんがここで亡くなりました」と言って追い打ちをかける。
またある部屋は、すべての障子紙が破れていて、短ざくのように風になびいていた。
ゆれる紙切れにはすべて、なにやら筆で書かれた細い文字が見え、
さながら耳なし芳一の部屋を思わせた。

けっきょく決めたのは「源氏荘」という、窓枠に至るまですべて木造のモルタルアパート。
昭和37年築の二階の角部屋、フロなし3畳一間のウナギの寝床のような部屋だったが、
窓が三カ所にあって日当たりがよく、
ガスが部屋に来ているので、自炊できるのが助かった。
中華料理屋で高校時代からバイトしていたので、メニューはほぼ毎日中華だった。
そこに住む全員が銭湯通いなので、夕方、あるいは夜になると、
誰彼となく洗面器を持って出かける。
近所に銭湯は4つもあって、行きつけの湯が休みの時には、
別のところへ行くのも楽しいものだった。
大阪中崎町の研究所までバイクで10分ほど、家賃は9千円と格安だった。
ここで半年働き、貯めたお金で残りの半年は画の勉強に専念した。

東京に来てからは、部屋を探すときにはさすがに不動産屋さんにお願いする。
それでも古いモルタルのアパートを見ると、
ドアをいきなり開いて「空いてる部屋はありませんか」とやっても、
それもアリなんじゃないかと、今も思い込んでいるフシがある。
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Tag:風景画 Landscape Paysage

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