ふたつのメッセージ

 10, 2015 19:44
週末、ETVの「立花隆 次世代へのメッセージ~わが原点の広島・長崎から~」
という番組を再見する。

立花氏は学生時代に、国際青年核軍縮会議に招かれた。
ところが戦勝国の人々の中で、当時はソ連への対抗上、核兵器が必要だとする認識が広まっていて
原爆の被害の側からの深刻さが全く伝わらないというジレンマに陥る。
そのときに唯一立花氏の話や持参した原爆の写真集に興味を持ったのが
カナダ人のディミトリ・ルソプロス氏だった。
この番組ではこのディミトリ氏の存在がとりわけ重要である。

かつてカナダにはアメリカの核兵器が持ち込まれていた。
ソ連の核攻撃を受けた場合、アメリカに届く前にカナダ上空で打ち落とすためのものであり、
撃墜されれば弾頭は、カナダ上空で炸裂する。
つまりカナダにあった何カ所もの核ミサイル基地は、アメリカの盾とするためのものだった。
被害を被るのはカナダ人であると、基地を廃絶するための運動を起こしたのが
当時学生だったディミトリ氏らである。
運動前、基地反対の支持率は19%だったのが、数年後44%まで上昇し、
ついにはカナダのトルドー首相が核兵器撤去を決断する。
首相は国連で「カナダは核を作ることも保有することも放棄した国です」と演説した。
立花氏と交流絶えて久しいディミトリ氏が、その間にはじめた草の根の反核運動が、
ついにカナダ国内からアメリカの核ミサイル基地の撤去を実現させていた事実を知って、
立花氏は衝撃を受ける。
ちなみに立花氏はその間、若い日に打ち込んだ反核運動から一切身を引き、
フクシマの原発事故後には原発使用継続を支持もしている。
その是非をここではひとまず置く。

半世紀を経て再会したディミトリ氏は立花氏にこう語る。
「核爆弾が核戦争の抑止力になっているというのは愚かな考えだ。
 ヒロシマとナガサキの被爆の現実が、
 あの悲劇を繰り返してはならないという、抑止力になっている」
ヒロシマとナガサキの悲劇がなければ、ベトナムで使用されただろうというのが氏の考えだ。

番組でもう一つ重要なエピソードとなっているのが、
香月泰男のシベリアシリーズの作品群だ。
立花氏の最初の著作が香月泰男の「私のシベリア」だ。
まだ駆け出しのルポライターだった立花氏が画家の聞き書きをまとめたもので
本のクレジットに氏の名前はまだなかった。
後年、画家本人についてのその後のレポートと合わせて再版されたものを私は読んだ。
その中でも「1945年(赤い屍体)」という作品とそれについて語った内容が忘れられない。
可能なら、「シベリア鎮魂歌—香月泰男の世界」(1945・避難民・奉天の章だけでも)を
読まれることをおすすめする。
香月泰男のシベリアシリーズは、
ただ眺めていただけでは半分も「見た」とは言えないことが理解できると思う。
香月泰男_1945

敗戦直後に見た、中国の線路脇にうち捨てられた日本兵の屍体。
生皮を剥がれた赤い屍体はその後も画家の脳裏を離れず、
戦時中に中国人に対して行った日本兵の蛮行への、
憎悪の爆発の一つであったろうと画家は見る。
シベリア抑留からの帰国後、画家は原爆被害者の「黒い屍体」の写真を見せられる。
二つの屍体を思い浮かべて画家は考える。
「日本に帰ってきてから、広島の原爆で真黒焦げになって転がっている屍体の写真を見た。
 黒い屍体によって日本人は戦争の被害者意識を持つことができた。
 みんなが口をそろえて、ノーモア・ヒロシマを叫んだ。
 まるで原爆以外の戦争はなかったみたいだと私は思った。
 私には、まだどうもよくわからない。
 あの赤い屍体についてどう語ればいいのだろう。
 赤い屍体の責任は誰がどうとればよいのか。
 再び赤い屍体を生み出さないためにはどうすればよいのか。
 だが少なくともこれだけのことはいえる。
 戦争の本質への深い洞察も、真の反戦運動も、
 黒い屍体からではなく、赤い屍体から生まれ出なければならない。

 私にとっての1945年は、あの赤い屍体にあった。
 もし私があの屍体をかかえて、日本人の一人一人にそれを突きつけて歩くことができたなら、
 そして、一人としてそれに無関係ではないのだということを
 問い詰めていくことができたなら、
 もう戦争なんて馬鹿げたことの起こりようもあるまいと思う。」
 (以上、「私のシベリア」より抜粋)

この二つのメッセージを読み解き、結びつけて並立させるには想像力が必要である。
現代人はその想像力を働かせ続けることができるだろうか、
悲観的な思いが大きくなりつつ、戦後70年という年を迎えている。
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