船長のいない五輪丸

 05, 2015 01:41
オリンピックマークの件については自分も同じ業界、職種でもあるから、
とりわけ気になってみていた。
問題はこんなに大きいのに、少ないのは「対話」と「説明」だ。
ベルギー人デザイナーと関係者がもっと早くに一度ならず膝をつき合わせて対話をしていれば
もう少し違った結果になっていたのではないだろうかと思う。
応募のハードルを下げるために個人のデザイナーが応募対象となったことが
こういうときに全く裏目に出ている。

今ただひとつ理解を得られるのは、学生が制作したと言われるあの桜の招致マークだろう。
さらにその前の、水引の帯をイメージしたデザインもあった。
それらはIOC側の決まりで、大会のシンボルにすることは難しいらしい。
今、二度目のオリンピックを東京へ招致するのも景気を呼ぶためというお金の問題なら
賛同を得られるマークが協賛金を得るために使えないというのも、
2020年五輪を表して象徴的だ。
「汚染水は完全にコントロールされている」という嘘で始まった五輪、
桜のマークをデザインした、当時学生だった女性の当時のコメントの言葉と表情だけが
すばらしく新鮮に見える。

いっぽう、佐野氏への怒りは治まる気配がない。
国立競技場や現政治への怒りをしのぐ熱量は、どこからくるのか。
「彼を擁護するのは同業者のみ」、そう言われてもなお、
頭も仕事も下げる人にバッシングを浴びせ続けるのは、見ていて気持ちが滅入る。
もうそれくらいでいいんじゃないかとため息が出る。
しかし責任だけは誰かがとらないといけない。
責任がなくても、取らないといけない。
あれだけ立派な人が集まっているのに、責任をとると言える人がいない。
民間ではふつう、一番えらい人がとっている。
役人や管理人ばかりの中で、そういう時に「自分がとります」といえるのが、
クリエイター(えらい審査員の人たちのこと)じゃないかと思う。
招致が決まった頃に前面に出ていた多くの顔はどこへいったか、
出航した船に船長がいなくなり、船は漂流している。

繰り返される「デザイン界の常識」のおかげで、
デザイン界という場所は今や、一般常識からかけ離れた住人が住む世界と思われているだろう。
デザインの良い悪いは別にして、
「デザイン的に別物」とはどういうことだろうか。
シンボルマークの役目はまず、「他者とはっきり区別ができること」、
そして色とフォルムによる「ポリシーや(企業)カラーの表現」だろうと思う。
遠くにあの二つのマークを置いてみて、二つを見間違える人は少ないという気がする。
著作権という法による問題はわからないけれど、
「デザイン的に別物」とはたとえばそういうことだろう。
専門家でない人に説明するなら、コンセプトとか考え方の違いなどという
目に見えない曖昧な言葉では伝わらないんじゃないかと思う。
しかしこれから先、この話ももう通用しないだろう。

emblem-2
(こんな感じ。写真は私が撮ったものです)
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