放っておかれる被災者

 15, 2011 21:41
「街壊滅」「原発爆発」「炉心溶融」「10m以上の大津波」
日本では仮定の話でしかなかった言葉が、皆先週末に起こった。
しかも自分の住む東京が、その震災の端くれに位置する。

東京から見ればそれほど遠くではない、
近隣県で起こっていることとは思えないような物資の不足が
震災後5日経っても全く解決していないのはどういうことなのか。
・・・・
全く矛盾したことも同時に起こっている。

こちらでは、TVの災害映像を見て「かわいそうに」「きのどくに」
言ったその後に備蓄のために買い占めに走る。
「ものは充分あるのに」品不足が起こっている。
反面「情けない」とテレビ解説者が言うのはもっともで簡単だが
原発周辺地区で避難が起こり、広範囲の地域で「外に出ないように」
という政府発表があれば、それに拍車がかかるのも当たり前だ。
「買い占めないで」と言ったその口から
「放射性物質への対処方法」といった脅しをかける。
報道のモラル欠如、思考停止とはこういう事だと思う。
しかしなんと都会に住む人間は、私たち東京都民は、
地方に対して冷たいのだろう。

とりわけTVは冷たい。
被災者にマイクを向け、足りないものは何かと聞く。
そして足りないものを届けることができないとも言う。
そこに物資を届けるための提言がない。
我が子に欲しいものを喋らせるだけ喋らせて、
「それはない」と言えば、子供は泣くだろう。
あとは「がんばってくださいね」と言ってカメラは移動する。
もう、どこで聞いても必要なものはわかっているじゃないか。

被災者を放置する我々。
被災者の叫びを伝える、聞くことが、
放置する自分たちの免罪符になっていないか。

ふだん普通に私たちが使ってる電気の供給元の住民の方々が
その電気を作る設備のリスクを負い、
片や私たちはいまだこうして電気を使い、買い占めに走り、
普通の生活を続けている。
東京23区は計画停電にさえ例外となるところが多いらしい。
その矛盾した箱船の安穏を享受している自分に
なにか言葉にならない後ろめたさを感じる。

何かしたい。
そういう思いが日増しに高まっている人は多いのではないか。
しかし肝心の災害地の行政は、個人からの義援物資の受け入れを拒否している。
送られた物資の仕分けや管理に人が割けないからだろう。
そういうところにこそ、ボランティアが協力してくれると思うのだが。。

アメリカから空母が来たそうだが、日本は一体何をしているのだ。
自衛隊の方の活躍には心から感謝したいが、人員が少なすぎる気がする。
戦地に5万人、あるいは10万人兵士を派遣するのにそんなに時間がかかっていては
あっというまに負けてしまうだろう。
ほんとうに10万人、いや、5万人も現地にいるのだろうか。
実際、自衛隊はもっと優秀なのではないか。
国際救助隊が活動しているそうだが、
なぜ報道されないのだろう。
私が見ていないだけだろうか。
素人考えだが、空母から戦闘機を下ろし、物資を満載して被災地に行き、
かわりに避難民を乗せて東京へ移動すればどうなのだろうか。

受け入れるべき東京の長はこの重大事にまた問題発言をしている。
マスコミも都民もどういうわけかあまり非難もしない。
救出されたおじいさんで、1960年の大津波も経験した人がいる。
そのひとが助け出された時にマイクに答えたひと言が感動を呼んでいる。



どちらが人の上に立ってふさわしい言葉を持っているか、
都の長にまず聞いて欲しい。
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Tag:東北・関東大地震

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