「顔」

 23, 2016 02:55
あたたかい日(ガッシュ)

海の向こうでふたたびいたましい事件が起こっているけれど、
こちら日本ではふしぎでおかしな事件が起きる。
いかにも平和だと感じる。
ネットであらゆる情報が社会に晒され、その真偽が公のまな板に載る現在、
TV、ラジオにひんぱんに登場していたコメンテーターの輝かしい経歴が
すべてウソだったのだという。
長年にわたり誰も気づかず、家族さえ黙っていたことに、あっけにとられる。
はたして彼のコメントは、そんなスキャンダルに関係なく、
的確で価値のあるものだったのだろうか。
日本にはそれこそ、経済を専門とする評論家やコメンテーターがごまんといて、
ひとりくらい「ちょっとおかしいんじゃないか」と突っ込んでいても良さそうなものだ。
でもそんな話はほとんど聞かない。
だからといって、価値あるコメントだったとも(共演者以外からは)あまり聞かない。
訂正されていない経歴がウソでないとすると、これまで680もの企業が、
彼のアドバイスに安くはないギャラを支払ってきたことになる。
不謹慎ながら、ほんとうに不思議でおもしろい。

ここで思うのは、最近多発する問題大臣の任命責任を首相に言うならば、
TVやラジオは問題コメンテーターの任命(なのか採用なのか)責任を
問題にしなければウソじゃないかということだ。
逆に言えば、繰り返し「任命責任は自分にある」といいながら責任をとらない無責任対応が
一般社会に不感症をまん延させているからとも言える。

FMラジオでの涙まじりの謝罪コメントを聞いたけれど、なんか滑稽だ。
これは紛れもないイケメンに、
あんないい声で「ごめんなさい」と耳元でくり返しささやかれる、
その状況がおかしすぎるのである。
つくづく思うのは、人の印象というのは顔と、
その人の声にコーティングされやすいということだ。
とくに良い声にひとは弱いのではないかと思う。
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Tag:肖像画 Portrait

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