見てみたい日曜美術館、40年間のアーカイブ(その2)

 04, 2016 00:39
初回は「私と碌山 荻原守衛」(1976年)。
以下私が見ていなくて、一度ぜひみたい番組を古い順に選んでみる。
まずは昭和51年(1976年)、この頃私はまだ中学生で、番組の存在も知らなかった頃。
No20「私と関根正二」出演今東光。
これは何度かここに書いたもので、不変の再放送希望第1位だ。
一昨年だったか、関根正二をとりあげた回の時に、その一部が再録されていた。
今東光(日曜美術館)


No60「私とジャコメッティ」出演矢内原伊作(1977年)。
みすず書房から出版されている多くのジャコメッティ本の著者で
晩年くり返しジャコメッティのモデルとして座り続けた人の生の言葉を聞きたい。
ジャコメッティについてはその後1999年、(No1189)矢内原氏の没後に
加藤周一氏語る「ジャコメッティとヤナイハラ」があり、番組の長さを感じる。

No80「私と松本竣介」出演舟越保武(1977年)。
彫刻家の素晴らしい随筆の中で、幼い頃からの親友を偲んだ文章は
いつまでも忘れがたい。
その筆の主の声を聞いてみたい。
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No137「私と長谷川利行」出演矢野文夫(1978年)。
言わずもがなの利行ともっとも身近で行動を共にした矢野文夫、
その人の語る言葉はぜひ聞きたい。
意外なことに、日美40年の中で利行をとりあげたのはこの回一度だけのようだ。

続く翌週のNo138「私とマルケ」出演林謙一(1978年)。
私の最も好きな画家のマルケについても、とりあげられたのはこの一度である。
NHKドラマおはなはんの作者の林謙一は、日曜画家として著書も書いていて、
そういう牧歌的な視点からマルケについて語っていたのではないか。

No164「私と高間筆子」出演草野心平(1979年)。
関根正二、村山塊多とともに大正の三星(オリオンズ)と呼ばれる高間筆子は
二十三歳で関根正二と同じく当時大流行したスペイン風邪、
つまりインフルエンザで亡くなった。
絵筆を握ったのはわずか二年である。
夭折しただけでなく、僅かに残された作品が震災(関東大震災)によって
遺品を含む一切が失われている。
唯一、作品を掲載した詩画集の印刷物でのみ作品を知ることができる。
大正期に出版されたにもかかわらず、多くがカラー印刷されているのが救いだ。
2009年頃まで、夭折の画家の作品を多く収集する信濃デッサン館主、
窪島誠一郎氏が高間筆子に惚れ込んで東京渋谷区の明大前にあるビルの最上階に
高間筆子美術館を私費で開設していた。
もちろん収蔵作品はなく、「絵のない美術館」として
わずかに残った写真と資料のみを展示する一風変わった美術館、
というより記念館だった。
まだ小さかったセガレの手を引いて私は一度、ここを訪れたことがある。
一部屋だけの美術館を訪れる人は週末でさえめったになかったようで、
美術館のスタッフを兼ねた(地下にあった)劇場関係者にドアを開けて入れてもらった。
そこで詩画集の復刻版を見せてもらったが、立派な造本だった。
野見山暁治さんの「アトリエ日記」を読んでいたら、
窪島氏が運営する無言館(戦没画学生の遺作のみを展示する唯一の美術館)に
莫大な税金を請求されて途方に暮れているという記述が出てくる。
その後ビルごと売却されたと聞いた。
同時に美術館も閉鎖されたのもその頃であり、
ひょっとして無言館と信濃デッサン館の運営のための措置だろうか。
(ビルに併設された多目的ホールなど他の施設は現在も営業しているようで、
 売却されたわけではないのかもしれない。
 ただ、そのホールも今年限りで閉業とBlogに窪島氏からのメッセージが出ている。)
これは窪島誠一郎さんがその自費復刻版と
伝記(「高間筆子幻影」)を出すずっと以前の番組であり、
語るのは大正から昭和にかけて、芸術家や作家と広い交流のあった草野心平。
一度見てみたい。

以下続く
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