それぞれの世界

 10, 2016 02:31
flower

どの国のいつの時代に生まれたか、あるいは暮らしているかによって、
その人の目に映る世界の姿は大きく違う。
もっといえば、目に映る世界は人それぞれですべて違う。
それそれの国の人はそれぞれの視点で世界を見、
それぞれの論理で考える。
たとえば原爆を持つ国と持たない国、
持たない国は持てる国のいうことが理解できず、逆もまた哀れなりだ。
剣を持つ国は手にした刃の切れ味に腐心し、持つことの正当性をルル語るが
そばで見せられ、聞かされる方はただ不気味なだけでたまったものではない。
ヒロシマやナガサキに謝罪しようがしまいが、
自らの猛々しい内面は、実はいささかの揺るぎもないのだろう。
しかしJFKの娘さんがなんとか大統領の手を引いたことで
アメリカにとってヒロシマ行きはタブーではなくなった。
あのアメリカでさえ、継承された平和を呼ぶ声は
小さくともむだではなかったのだと、驚いたり感動したりする。
任期一杯正気を保った人物がたまたま大統領に就いた幸運が、
人間の転覆をあと一歩のところで持ちこたえている。

日本は戦争を経験して、非戦、反核の誓いをたてた。
憲法も現実に合わせてハードルを下げる必要はなく、
慰霊碑に刻んだ「過ちは繰り返しませぬから」の誓いを守るために九条はある。
しかしいったいなにが「過ち」だったのか、
それが抜け落ちていたために日本はいまだ、
非戦の旗を掲げながら右へ左へゆらゆら揺れて頼りないことこの上ない。
大統領のヒロシマ訪問から時を置かず日本の視線ははやくも横にそれ、
東の都知事の金の使い方に釘付けになっている。
日本の首都は、毎度ろくでもない人物しか選ばない。
これは、自分たちの映し鏡でもある。
ねずみ男の浪費には腹も立とうが、我々の命にまではかかわらない。
命にかかることには逆におおらかであったり、
先伸ばしして平気であったりする。
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