忘れられた日本人、「寄り合い」の情景

 02, 2016 12:44
東京湾をゆく船-6(ガッシュ)


ここで何度か書いている宮本常一著「忘れられた日本人」は冒頭隠岐を訪ね、
村に伝わる古文書の存在をたずねるところから始まっている。
今とは違い、取材で訪れた村で出会った重要な古文書はすべて手で書き写した。

その時、限られた時間内で書き写すことが難しいと判断した宮本常一は
村の区長にすこしの間その文書を貸してもらえないかと頼む。
すると、「自分の一存で決められぬ」と区長は古文書を持って、
村人の意見を聞きに出かけていった。
その後、区長が帰ってこないのをじりじりして待っていた宮本常一は
とうとう話し合いの場へと自ら出かけてゆく。
するとそこでは村人らの話し合いが皆の納得のゆくまで、
いつ終わるともしれず延々と続けられていた。
そこでの話し合いは理詰めで相手を納得させるのではなく、
ひとりひとりがそれに関係のある、
自分の知っている限りの体験や事例を挙げてゆくのである。
話すことがなくなったら帰ってもいいし、眠くなったら寝てもいい。
気の長い話で、これでは時間がかかっても無理はないと宮本は思う。

このような寄り合いによる決め方はここだけでなく、
旅の次の村でもそうだった。
次の村ではさらに遠方へ船を出し、村の総代が紋付き袴でその船に乗ってやってくる。
同じように集まった全員が納得のゆくまで何日でも話し合いは続けられた。
話に出たあることがきっかけで話題は別の方向へ飛んでゆくことがあるが、
そういうことも話し合いでは重要なことなのだと宮本常一は思う。
いっぽう、自分のひと言が村の人にたいへんな迷惑をかけていることがわかってくる。

今日の論議のように理詰めでは、話し合いはやがて収拾のつかないことになってしまう。
自分の知っていること、体験によるたとえ話をすればわかりやすい。
反対意見が出ればしばらくそのままにしておき、
賛成の意見が出ればまたそのままにして冷却期間をおき、みんなで考え合う。
最後にみんなの長に決をとらせるが、それで気まずい思いをするものは誰もいないという。
宮本常一が「忘れられた日本人」の最初に書いたのは、この寄り合いの情景だった。
それは宮本の目の底に染み入ったという。

今の社会は意思決定のスピードが大事だと、ことあるたびに言われる。
上の「寄り合い」による話し合いは
主に京都、大阪以西の西日本で古くから行われていた。
一見おそろしく気の長い「寄り合いの決め方」だけれど、
どんなに長くとも3日あれば決まり、話を尽くしただけに決定は何より大事で皆が従う。
そして大事なことは、全員が納得して誰も気まずい思いをしないことのように思われる。
本書の出版は1960年、取材は1940〜50年代のことで、今から70〜80年前のことだ。
この話し合いをそのまま今の社会には当てはめられないかもしれないけれど、
現代はこれより優れた方法で物事を決められているだろうか。

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