安西水丸さんゆかりの場所を訪ねて-1(茅ヶ崎)

 07, 2017 13:59
茅ヶ崎
(ガッシュ)

2014年に急逝したイラストレーターの安西水丸さんは
イラストだけではなく、文章でも足跡を残している多才な人だ。
「誰からも愛された絵」とは水丸さんに
キャッチフレーズのようについてまわる言葉だけれど、
その独特の絵を雑誌などで目にしていても、名前は知らない人が今は多いかもしれない。
私自身、デザインの世界に入ったときにはすでに超売れっ子で
それゆえ逆に、最近の雑誌でその画を見たときにはどこか懐かしい、
つまり1980年代を最も感じさせるイラストレーターだった。
その安西水丸さんが亡くなったとき、日曜美術館で追悼番組が制作された。
2014年放送のとてもいい番組で、今までなん度も繰り返し見た。
以後、エッセイや本を読んだりしながら
私が水丸さんを本当に知りはじめたのは、この時からだった。

水丸さんは画を描くのが好き、という点では誰にも負けなかったと書いておられる。
「いい絵とは何だろう」
和田誠氏とともにそのことを繰り返し語っていた。
それほどの絵好きが本業のイラストレーションより先に手がけたのは漫画だった。
(その頃の職業はまだデザイナーだった)
まず嵐山光三郎氏に勧められてガロ誌上に漫画を3年間休まず連載し
その後「青の時代」という初の作品集に結実した。
日曜美術館でもそのさわりを放映、朗読していたが、かなり変わった作品群である。
というのも水丸さん自身、映画にしても漫画にしても、
起承転結があってオチにつながるストーリーにまったく興味がないという
かなり変わった嗜好があるからだ。
それはその後発表されたナンセンスマンガの「普通の人」に最もよく現れている。
その後村上春樹氏に勧められて小説を書き始めたとき、
その不思議な文章世界は他に類を見ないものになった。
詩情がありながら情緒的な湿度がまったく感じられない。
リリカルハードボイルドとでも言ったらいいだろうか。
それはイラストレーションも文章においても受ける印象は少しも変わらず、
まれに見る画文一致のスタイルである。

水丸さんは多趣味で知られるが、とくに民芸や建築、
そして日本史、とくに戦国武将についての造詣が深い。
それらの知識を土台に、最も好きだった映画についてのエッセイは
他の人にない視点がある。
だいたい歴史好きの人というのは記憶力がいい人が多い。
水丸さんも例に漏れず、映画についてのエッセイでもその才は発揮され、
脇役の名前や出てくる小物、建築物に至るまで驚くほどよく覚えている。
自伝的エッセイでも、40年近く以前に家を建ててもらった近所の大工の棟梁が
酔った勢いで読んだ出来の悪い俳句を覚えていたりもする。
ちなみに水丸さんはこれも知人の勧めで俳句を詠み始めたが、
句においてもタッチはやはり変わることがなく、独特の優しい虚無感がある。
視点と言えば、人生に挫折を経験した人物に焦点を当てた、
舞台の真ん中には決して立たないような人物を取り上げたりしているのも特長だ。
浮き上がれない人間が機を得て這い上がってゆくのではなく、
そのまま消え入るままに描いているところに引き込まれる、不思議な作家だ。
これは著書「4番目の美学」にも結びついている。
余談で、私はアキ・カウリスマキ監督作品が大好きなのだけれど、
水丸さんもきっと好きなのではないかと思っていたらやっぱりそうだったので、
とてもうれしかった。

ペンによる線画にカラーシートのPANTONEを切り貼りして作る、
水丸さんの代表的なスタイルのイラストのほかに、
色鉛筆やペンなど、さまざまなスタイルで描いている。
中でも私は、ブルーのインクの万年筆だけで描かれた、
「ブルースケッチ」といわれる作品群がとても好きだ。
この連休、水丸さんゆかりの地を、2日かけて訪ねるにあたり、
私も同じ青いインクでスケッチしようと思って、新しい万年筆を買ったりした。
無邪気なものである。

天気もよく、ほぼ半袖で過ごせた最高の行楽日和、
一日目は、水丸さんお気に入りの土産物屋のある江ノ島に行ってみた。
現地は想像以上の大変な混雑であった。
なぜ少年時代に住んだ千葉県千倉でもなく、晩年に住んだ鎌倉山でもなく
江ノ島なのかというと、2001年に水丸さんがここの土産物屋をTV番組で訪れたおり、
隅っこにあった木の灯台をうれしそうに購入している様子を日曜美術館で再録していた。
水丸さんは日本の土産物屋の中で、江ノ島ほど好きなところはないと生前語っていた。
そこで購入していた木製のいかにも古そうな灯台の玩具が、以後気になって仕方がない。
というわけで出かけたのだけれど、しかし、やはりというか、
もうお店には売っていなかった。
店の若主人にお聞きしたら、当時もすでにこのお土産は作られなくなって久しく、
仕方がないので木地のみを注文して仕入れ、先代の父上とともにふたりで
自ら絵付けして売っていた最後の残りだったのだということだ。
実直そうな店主親子が、深夜手描きで灯台の絵付けをする姿が思い浮かぶ。
私のように今でも番組を見てその灯台を買いに来るお客さんがいるとのことで
今後無駄足にならぬよう、私がここに書き留めておきます。
下の写真は最後の灯台ふたつを水丸さんを偲んで展示してあるもので、非売品である。

水丸さんの灯台

画は、その江ノ島からほど近い茅ヶ崎の海岸を描いた。
電車のアクセスはではそこからちょっと不便で、江ノ島から内陸へ藤沢まで戻り、
JRで茅ヶ崎まで移動しなくてはならない。
駅から海へは徒歩でさらに20分ほどかかる(バスがあるんだろうと思う)。
水丸さんは散歩がてら(という割には離れている)この茅ヶ崎の海によく来ていたという。
少年時代を過ごした千倉の海に似ていたからかもしれない。
水丸さんは病弱な少年時代、療養のために疎開していた外房の荒海で、
波乗りをしていたのも意外なことだった。
ここでサーフィンをしている若者を見ていて、
「彼らは波がよくわかっていないようだ」と、たびたびエッセイに書いていた。
水丸さんの文章のもう一つの特長は、ソフトな語り口ながら意外に手厳しい毒舌である。
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